Epilogue. マイ・ファーリー・レディ

Epilogue




「おお、ブラボー! ブラボー!」

「……っ」


 手を叩いて歓喜する音声学教授に、リジルはスカートの端を掴んで腰を折った。


「今のを聞いたかね、ワイゲルト君! 完璧なクイーンズ・イングリッシュだ! 後は社交界のマナーを叩き込めば、どこぞの異国風エキゾチックなプリンセスだって演じられるぞ。こいつは素晴らしい! 我々はこの獣を一人の人間にしたのだ!」

「ええ。……ですが、教授。一つ訂正を。彼女はもとより立派な人間です。あくまでも発声法クイーンズ・イングリッシュは彼女の高貴な魂を表現する手段に過ぎない」

「そうかね?」


 カネトリにそう水を差され、ヒギンズ教授は少しだけむっとなるが、「まあ、いいだろう」と気を取り直して楽しそうに続ける。


「リジル! どうやら私は約束を果たさねばならないようだ。今からチョコレート食べ放題に連れて行ってやろう! あれ、スリッパはどこに行った? まあ、いいか……」


 ヒギンズが外行きの外套を掴もうと、壁掛けのフックに手を伸ばした、その時だった。



「カーネートーリー!!」



 突然、研究室の扉が開け放たれ、金髪の幼女がずかずかと大股で踏み込んできた。


「ロンドンに帰ってきたら真っ先に妾のところに来いと言ったはずじゃろう!! 何を考えとるんじゃ、お前はーっ!!」

「うっ!」


 部屋に響き渡る幼女の怒鳴り声に、治りかけの脇腹がズキンと痛んだ。カネトリは腹を押さたまま、何度も頭を下げて謝罪する。


「す、すみません……。先約があったもので、こ、この後で伺おうと考えていました……」

「許さん! まったく、無駄な出費をさせおってからに!」

「か、賭けの話ですか? それは〈マスター〉が勝手に……」


 突然の闖入者に、ヒギンズは唖然としたまま膝を折って視線を合わす。


「むっ、ミセス・。なぜここに……」

「うむ。宿の女将にリジルをクイーンズ・イングリッシュの訓練に連れていったと聞いての。腕のいい発音教師と聞いてピンときたんじゃ」

「ははあ。そうでしたか」

「し、知り合いなんですか?」

「知り合いもなにも、彼女は私の子ども時代の……」


 ヒギンズがそこまで言いかけた時、〈マスター〉はパチンと指を鳴らして大声で言った。



「――賭けは妾の負けじゃ! もってけ、この……大泥棒っ!」



 〈マスター〉の後に続いて部屋に入ってきた二人の黒人が、抱えていた袋の中身を思いっきりぶちまけた。赤い絨毯の上にバラまかれた二千枚のソブリン金貨。小切手一枚で済むものを、完全な嫌がらせだった。

 あまりに大人げない上司の行為にカネトリは唖然となるが、何かを言おうとするよりも前に目の前にギルドの身分証と旅券のセットが付きつけられる。


「その獣娘の正式な身分と旅券パスポートじゃ。これからは〈銃後のお茶会フロック・ティーパーティー〉の一員として、たっぷり働いてもらうぞ!」

「あ、ありがとうございます! 〈マスター〉!」


 それは、少女が本当の英国臣民になるために必要なものだった。

 感激して手の甲に何度も忠誠の口づけをする部下を見上げて〈マスター〉は満足げに頷くが、すぐに賭けに負けたことを思い出し、金貨の山を踏みつけてふんと鼻を鳴らして続ける。


「いいか、カネトリ! リジル! これから先、戦場の姿は大きく変わる。じゃが、たとえ軍事諜報員としての命令が下ろうが、お前たちの役目は変わらん! 武器を売り捌くこと、それこそがギルド創設者、アンドリュー・アンダーシャフト卿より与えられた我々の使命! より多くの国、より多くの戦場に売り捌き! その破壊力を世界中に知らしめろ!」

「…………」


 面と向かって発せられた言葉は、上司の迫力もあって重く響いた。

 複雑なのはいつものことだ。世界は複雑で、正常であったためしがない。幾つもの戦場を渡り歩き、鉄と火薬を売る。

 罪深き商人が往く道は、血と火薬と大量の空薬莢、そして穿たれた屍とともにある。



 しかし、武器商人カネトリは、それでもこの道を選んだのだ。



 石を投げつけられようとも、死の商人だと罪悪感に苛まれても、恥じることなかれと自らのモットーに従って。


「「…………」」


 その時、部屋の片隅に立つ少女と、その抱える白カラスと目が合った。

 一瞬の間。しかし、思うところは通じた。

 武器商人は深々と頷き、ズボンの袖で拳を握り、真正面から〈銃後のお茶会フロック・ティーパーティー〉の長の射抜くような視線を受け止めて応じる。


はいサー! お任せください、〈マスター〉」

「うむ。当然じゃ! ……今回はよくやった。次も期待しておる」


 それだけ言うと、〈マスター〉は肩を怒らせながら慌ただしく部屋を出て行った。


「相変わらず忙しい人だな! おーい、ピアスさん! 部屋の掃除を頼むよ。金貨が散らばっているんだ。盗まれるかもしれないから、ちゃんと使用人を見張るように!」

「わかりましたわ、先生」


 ヒギンズは後から駆けつけてきた家政婦に言いつけ、リジルに向き直った。


「さあ、我々は文明人らしくチョコレートの食べ放題に行こう。銃弾なんか、あの黒い宝石の前では無力だ。毛皮ちゃんファーリー・レディ、どうやらお前が次に学ぶのはテーブル・マナーらしいぞ。まあ、私はマナーなんてクソくだらねぇもんブラッディ・シットには、これっぽっちも興味ないがね!」

「わかりました、教授」

いい返事だグッド・レスポンス


 ヒギンズは杖を取って踵を返し、鼻歌交じりに上階の寝室に向かっていった。

 研究室に残された二人と一人は無言で顔を合わせ、それから床の上の金貨に目をやる。


「二〇〇〇ポンドか。武器代にジュリアスに一五〇〇ポンドと手数料を渡して、アイルランドでの入院費と治療費を払うから、差し引き二〇〇ってところだな。……まあ、残っただけでもマシってところか」


 カネトリは苦笑した。

 負傷の代価としては、あまりにも安すぎる額だった。


「カネトリ……その……」


 もじもじと何を言おうかと迷う少女を見越し、カネトリはごほんと咳払いする。


「でも、まあいいか。仲間は金に換えられん」

「あ、ありがとう……。これも、カネトリのおかげ」

「ボクもでしょ?」

「うん。クローも」


 ばたばたと羽ばたいてアピールする白カラスに、リジルは笑って答える。


「もうすっかり立派な淑女レディだよね。カネトリがファーリー・ジェントルマンだから、ヒギンズ教授が言った通り、リジルはお似合いのファーリー・レディだね!」

「お似合いの、ファーリー・レディ……」

「……っ」


 カネトリは照れたように頬を掻いていたが、やがてゴホンと大きく咳払いし、芝居がかった動きで胸に手を当てて膝を折った。


「それでは、この私がチョコレートの店までエスコートさせていただきます。どうぞ、お手を――マイ・ファーリー・レディ」

「はい……」


 半獣人ハーフの淑女は深々と頷き、手袋を外して手を差し出した。

 英国紳士はそっと口づけし、その手をぎゅっと抱き締める。







―――――――

星の数ほどもある物語の中から、本作をお読みいただきありがとうございます!

この先も『UNDERSHAFT』は続いていく予定ですが、やはり反応が皆無だと小説が面白いのかどうかも判断がつきませんし、モチベーションに繋がりません。

なので、もし小説を読んで面白いと感じた方がいれば、いいねやフォロー、コメント、評価などよろしくお願い致します!

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