Phase.4 〈銃後のお茶会〉




     4




「旦那、着きましたぜ。しめて二オグと一スプラウズィーでさあ」

「スプラ……ああ、二シリング六ペンスか。わかった。釣りは取っておけ」

「へへ、どうも。旦那!」


 二人と一羽を乗せた馬車は、ヴィクトリア・パーク沿いに佇む、兵舎のようなレンガ造りの建物に停まった。御者にシリング銀貨三枚を払って降りて、鳥かごの相棒を起こす。


「おい、クロー。着いたぞ」

「はっ! つい振動でうとうとして……」


 二人は荷物を持って鋼鉄製の重い扉の前に立つ。武器の設計・製造・販売に関わる、工場の関係者が所属する〈銃後のお茶会フロック・ティーパーティー〉の本部だ。

 その実体は大英帝国が推し進める植民地政策と結びついた軍需ミリタリー・産業インダストリアル複合体・コンプレックス

 クリミア戦争の際に『より効率的な兵站の輸送機関』を目的に組織された企業連合ギルドは、独立後に次々と民間企業を取り込んで膨張を続け、今や世界の約四〇パーセントの市場を占有する総合軍需独占企業体へと変貌を遂げていた。

 武器・弾薬などの単純な兵器から、兵士に支給する軍靴や制服、缶詰などの兵站に至るまで、今や戦争に携わる大英帝国のほとんどの工場が、アームストロング社やヴィッガース社などの巨大財閥グレート・ファミリーの傘下に納まっている。


「ここが……」

「〈銃後のお茶会フロック・ティーパーティー〉だ」


 カネトリは発音を訂正し、少女の顔をまじまじと見つめた。


「……逃げなかったな。じつは途中で抵抗されたらどうしようと心配していたんだ」

「約束したから」

「そうか」


 カネトリはふっと笑みをもらし、荷物を抱えたまま扉を肩で押してギルドに入る。


「いらっしゃい! まぁ、カネトリちゃんじゃないの!」


 入ってからの第一声は血色の良いふくよかな女亭主のものだった。特大サイズのエプロンを身に纏い、ビールジョッキを乗せたお盆を手にしている。

 昼過ぎのランチ・タイムということもあって一階の酒場パブは大繁盛で、テーブルにはちらほら知った顔があった。


「こんにちは、アンネさん。お久しぶりです」

「本当に久しぶりよ。一年ぶりぐらいかしら? その娘は?」

「ちょっと込み入った事情がありまして。……すみません。早速で悪いのですが、部屋に荷物を置いて〈マスター〉に面会したいのですが……」

「ああ、そうね。ちょっと待って」


 マダム・アンネはにっこりと微笑んで、注文のビター酒をテーブルに届けた。

 二人はカウンターから部屋の鍵を受け取ると、メンバーの宿になっている二階の部屋に荷物を置いた。クローを鳥かごから出し、必要書類だけ持って三階に上がると、それまでとは質感が異なる壁一面に複数の扉が並ぶ空間に出た。

 二メートルほどの大きな扉もあれば、何の冗談か四十センチほどの小さな扉まであり、そのどれもが鉄板で補強されている。これらはすべてボスのデザインだ。


「これから会うのはギルドの長。つまり、俺のボスであり、大ロンドンの裏社会を取り仕切るロンドン・シンジケートの顔役だ。いいか、絶対に怒らせるなよ」

「わかった」

「……よし、いくか」


 武器商人は緊張の面持ちで中央の扉に立ち、一息ついて呼び鈴を押した。


「おお、カネトリか。よく来たの」


 一分ほど経って扉から出てきたのは、見た目はまだ十歳に満たない金髪の女の子だった。

 雉の羽飾りがあしらわれた赤いレースの帽子に、リージェント・ストリートの仕立屋に直させた特注品のグリーナウェイ・ドレス。もともとが幼児体型なのでさすがに似合っているが、目を引くのはスカートの背面、その両脇に革製のホルスターが縫われていることだ。

 握りを上にして収まっている護身用の武器は、懐に隠し持てるデリンジャーのような可愛らしいものではなく、兵士が戦場で使うような物騒な軍用拳銃。しかもその内の一挺は英国製のウェブリー・リボルバーではなく、モーゼル社製の自動式拳銃ときている。一見すると貴族の娘かと思うほどの華やかさだが、それに気づいた途端に海賊の頭のような迫力があった。


「…………」


 予想とかなり違う相手だったが、賢明な少女は何も言わなかった。


「〈マスター〉、今回の報告書を持ってきました。今後の南アフリカ情勢についての所見と、トランスヴァール共和国、及びオレンジ自由国の軍備状況です」

「うむ。ご苦労」


 この報告書は船の中で徹夜して作成したカネトリの自信作だ。〈マスター〉はカネトリからファイルを受け取ると、そわそわと手を動かした。


「その前に……ほれ、早よせんか」

「あ、はい。ただいま」


 カネトリは言葉を察して、少女の抱える白カラスを受け取ってボスに献上した。



「――クロォーちゃーんっ!!」



 〈マスター〉は途端に目を輝かせ、受け取ったファイルを無造作に放り投げた。

 あまりの無造作さに、カネトリはしばらくリノリウムの床に捨て置かれた成果物から視線を外せずにいたが、数秒遅れて散らばった報告書を回収し、何か言わないとと思い直す。


「えーっと、〈マスター〉。書類のほうを……」

「うるさい!」

「は、はい。すみません……」


 ロンドン一恐ろしい女に一睨みされ、カネトリは小さくなった。少なくとも一介の組合員が逆らえる相手ではない。


「もふもふ~、いつも硬い武器ばかり扱っとるから癒されるの。フランスのお菓子が届いたんじゃけど、食べるか? ん、どうじゃ? 可愛いの~。そうかそうか。よしよし、ならば後で部屋に持たせるからの~」

「…………」


 〈マスター〉はクローを抱きかかえてわしゃわしゃやった。猛烈に羽毛が舞う。

 傍目から見れば幼い女の子が小動物と戯れる図にしか見えない。どこか微笑ましい光景に、カネトリはここが『死の商人』の本拠地であることを忘れそうになったが、ボスは白カラスを撫でたまま、見慣れぬ少女に射抜くような鋭い眼光を向ける。


「で、その手錠の女は?」

「えっ、ああ。いやあ、ただの殺し屋です。道中で襲ってきましてね、危うく殺され……」

「――はっ?」

「えっ……えと、その……」


 そう素直に答えてしまってから、カネトリははっと気づいて後悔した。ここにくるまでの間、色々と説得のための方便と段取りを考えていたのが、すべて無駄になってしまった。

 なんとか軌道修正しようと頭を働かせるが、咄嗟のことで上手い言葉が出てこない。


「おい、危うく殺され……なんじゃ?」

「い、いえ……」


 〈マスター〉の手が止まり、武器商人はゴクリと唾を飲んだ。

 漏れ出た殺気を動物的勘で察知し、白カラスが慌てて飛び立つ。白い羽毛が舞う向こうで、〈マスター〉は壁掛けの銃架から長年愛用しているマルティニ銃を引き抜いていた。


「はっ……」


 少女は目を見開いた。銃口の先には、銃剣が光っている。


「ちょ、ちょっと待――」


 カネトリは咄嗟に少女との間に割って入った。〈マスター〉の銃剣が振りかざされ、首もとすれすれでピタリと止まる。


「ひっ……」

「そこをどけ、カネトリ。なんじゃ、相手が女だからって情が沸いたか? ギルドメンバーに危害を加える者に対して、妾がどのような処分を加えるか、まさか忘れたわけではあるまい?」

「い、いや、そうなんですけど、ままま、まずは俺のは、話を聞いてください!」


 幼女の迫力に武器商人はたじろぎつつも震える声で続ける。


「か、彼女は使えると判断したので連れてきました。す、すでに罰は与えましたので、どうか、情報を吐いた後は始末せず、ロンドン・シンジケートで使ってやってくれませんか!」

「はっ、助命だけならまだしも、ギルドで使えじゃと? それが目的なら他にごまかしようがあったろうに……カネトリ、お前は馬鹿なのか? 自分を殺しにきた殺し屋を無罪放免にして雇ってくださいなんて、妾が許すわけがないじゃろう!」

「……お、俺のモットーは『誠実』、ですから」


 口が滑ったとは死んでも言えず、カネトリは地雷原を歩くような慎重さを持って答える。


「それに、〈マスター〉に隠し事はしたくなかったんです!」

「ほう……。またそんな適当なことを抜かしおって……」


 この言葉が効いたのか、〈マスター〉の気配が若干和らいだ。カネトリはその隙を見逃さず、まくしたてるように言う。


「ほ、本当ですよ! ギルドに忠誠を誓う一人としても、〈マスター〉には諸々の事情込みで彼女のことを知ってもらおうと……」

「道すがらの女じゃろう。なぜ、こんな女にこだわる?」

「そ、それは……」


 カネトリは頭が真っ白になりかけ、ぐっと歯を噛み締めた。銃剣を掴んで叫ぶ。



「――彼女の目が、きれいだからだ! ……ですっ!!」



「…………。……はっ?」


 発せられた予想外の答えに、〈マスター〉は呆れてものも言えなかった。銃剣に部下の血が一筋流れるのを見て、ため息交じりにマルティニ銃を下ろす。


「お前……まさか、そんなことを言っているのか」

「ええ! 見てください! 彼女の目を……」


 カネトリは少女のフードを取って〈マスター〉の眼前に突きつけた。

 赤と銀の瞳が途惑いがちに瞬き、その驚いた顔を映しだす。宝石のように澄んだオッドアイもそうだが、とくに視線を集めたのは、少女の頭の上にある獣耳だった。


「お前、半獣人ハーフか……」

「は、はい……」


 それを見たままじっと押し黙る〈マスター〉に、武器商人は必死になって続ける。


「彼女の瞳に宿っているのは生きる意志だ! ケモノの目だ! 人間の目には魔力アウラが宿っていると言います。オッドアイもそうですが、こんな珍しい目を持つ彼女を殺すなんてもったいないとは思いませんか! ……それに、ただそれだけなら、わざわざここまで連れてこないで、その場で放免したでしょう。ですが、こいつはなにかギルドの役に立つような気がしました。これは商人としての、あくまでも合理的な判断です」

「ふむ……」


 〈マスター〉は腕を組み、今度は値踏みするような目を向けた。


「いくら半獣人ハーフで珍しい目をしているとはいえ、殺し屋なら掃いて捨てるほどいる。見たところ、少し幼いが顔はいいようじゃ。娼館にでも売れば……」

「――それはダメです」


 即答するカネトリに、〈マスター〉は眉をひそめた。


「それを言える立場か? 役立たずを生かしておくほど、ロンドン・シンジケートは甘くない。愚かにもギルドメンバーに手を出して逆に捕らえられた挙句、こうして醜態を晒している娘に、一体何の価値があるというんじゃ?」

「価値なら、あります」


 そう宣言してしまってから、カネトリはほとんど反射的に答えていた。



「――なぜなら、俺が彼女に『投資』するからです」



「投資……じゃと?」


 武器商人は首肯し、その手は交渉に臨む時の癖でネクタイを正していた。


「クローはめったに人には懐かないんですが……会ったばかりだというのに彼女にはどういうわけか懐いているんです。彼女は何かを持っている。俺には、そんな気がしてならない」

「その根拠は?」

「ありません。商人の勘です」

「勘か……」


 きっぱりと答えた部下に対し、〈マスター〉はうーんと考え込んだ。理詰めで問い詰めれば、カネトリに分がないことは明白だが、何らかの利益を敏感に感じ取る商人の直感を馬鹿にできないことを〈銃後のお茶会フロック・ティーパーティー〉の長は知っていた。


「問題児め……。ロキアといい、お前といい、どうしてそう亜人にこだわる?」

「別にこだわってるわけでは……。ただ、英国や欧州では差別されても、半獣人ハーフというのはアフリカの獣人部族との交渉に臨む際の切り札にだってなりえます。『素材』はいいんだ。正しく調すれば、ひょっとしたら、どこか異国のお姫様だって演じられるかもしれない。そんな彼女をただの娼婦にしておくのは豚に真珠を与えるも同義、聖書に反する行いです。なんなら、俺の助手として一から仕込んでもいい」

「…………」

「俺もあなたには恩がある。必ずギルドの役に立たせて見せます! 現時点では、確かに発音だって下町訛りコックニーで人前には出せませんが、半年……いや、獣人が人間より耳がいいのを考えると、この一か月でクイーンズ・イングリッシュに矯正してみせますよ! 六月のロイアル・アスコット大会までには、必ず!」

「ほう」


 カネトリの熱心さを試すように、〈マスター〉はギラリと目を光らせた。


「言質は取ったぞ、カネトリ。……そこまで言うならば、賭けをしようか」

「賭け、ですか……」

「金額は……そうじゃな、一〇〇〇ポンドでどうじゃ?」

「いっせ……」


 それは給与の二年分にも相当する途方もない額だった。先が読めず唖然とするカネトリに、上司は懐から小切手の束を出して振って見せる。


「助手として植民地に同行させるつもりなら、必ずしも淑女レディである必要はないが、クイーンズ・イングリッシュが使えないのは話にならん。その娘にその素質があるのならば、それを妾に証明してみせよ。向こう二年間タダ働き……投資に見合うリスクじゃろう?」

「ぐっ……」

「どうした? 自信がないなら……」

「……い、いいでしょう」


 破滅の予感が去来しつつ、カネトリはそれでも精一杯の虚勢を張って見せる。懐から愛用の防水万年筆ウォーターマンを出し、上司の差し出す小切手に震える手でサインする。

 契約が完了すると、〈マスター〉は小切手を懐にしまい、ライフルを銃架に戻した。状況がよく読み込めないまま固まっている半獣人ハーフの前で、その顔を見上げる。


「さて、殺し屋。お前は赦された。お前がどんな組織に雇われたかは知らんが、我がロンドン・シンジケートの総力を持って、近日中にこれを壊滅する。事前に交わされた契約があるなら、それはこの瞬間をもって破棄されたと考えよ」

「……っ、わかった」

「その親切な紳士に感謝するんじゃな」

「…………」


 委縮して耳がペタンと伏せたままの少女にふんと鼻を鳴らし、〈マスター〉は踵を返した。

 茫然とする部下に「ん」と小さな手を差し出し、改めて報告書を受け取る。


「ああ、先ほど、お前は『豚に真珠を与えるも同義』と言ったか? マタイ書第七章の六――『神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたに噛みついてくるだろう』だったか。……せいぜい、その犬娘に噛みつかれないよう気をつけるんじゃな」

「は、はい……」


 皮肉交じりに返され、カネトリはただ頷くことしかできなかった。




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