第3話
それから、私たちの奇妙な共同生活は始まった。
朝、美紀が仕事に出かける。私は絵を描く。その間、藍は部屋の片付けや買い物やら雑務をこなしてくれる。
そして夕飯は私か藍が作る。藍は適当に見えたので料理などで全くできないかと思っていたが意外と上手で、聞くとそっちの専門学校を出たらしい。なのに、今はこんな暮らしかと私は、ほとほと呆れたのであるが。
暮らし始める前はどうなるかと思っていたが、ああ見えて美紀たちはプライベートを守ってくれていて私にはあまり干渉してこなかったし、昼間の仕事は藍がやってくれるので助かっていた。
ただ、時々、美紀が出かける時や帰ってきた時に玄関に出くわしてしまって、藍のいってらっしゃいとおかえりのキスを見せ付けられるのには毎回どうも嫌であったが。
同性愛が嫌というのではない。のぼせ上がっている彼女たちの態度があまり好きじゃなかった。
その日も朝それを見てしまって美紀が出かけた後ため息をついていると、藍が私を覗き込んできた。
「気持ち悪かった?」
「いや・・・そういうのじゃなくて、例えそれが女と男でもそうやって見せ付けられるのは第三者にとってはあまり好ましくないでしょ。」
「そうかな・・・?戀さんって硬いこと言うね。そういうストイックなとこ好きだけど。」
「・・・・・。」
私がうんざりした顔で藍を見ると、藍は笑う。
「もう、顔が怖い!!笑って!!」
「・・・・・。」
そう言われて私が笑う訳もなく、じっと睨んでやると、藍はつまんない!と口を尖らせた。
「いいですよーだ。お邪魔な私は買い物に行ってきます。」
そう言う藍を私は、引き止めた。
「藍、今日はいい。私が行く。」
「え?なんで?」
「いや・・・こうも家にこもりきりだと絵を描くのも嫌になってくるし。気晴らしに外を歩きたい。」
藍が来てくれてから、最低限しか外に出ず、作品に取り掛かりっきりでそれはそれで筆が進んでいたのだが、どうも詰まってきた。久しぶりに外の景色を眺めて歩きたい。そう思ったからだ。
「じゃあ、私もついて行くよ。」
「私は一人で歩きたい。」
一人で考えながら歩くのが好きだったし、そのために外に出ようと思ったのだから、藍がいてはそれこそ邪魔だ。
だが、藍は食い下がらなかった。
「いいじゃん!私も行きたい!!戀さんと歩きたーい。」
「貴女と歩いてどうするのよ。」
「一人で歩くより、二人の方が楽しいよ?」
「私は一人の方が楽しい。」
「なんでそういうこと言うかな?ね、連れってって・・・お願い。戀さんが五月蝿いの嫌だったら黙ってるし。」
そう言って上目遣いで私を見る。そこまでしてどうしてついて行きたがるのか私には皆目見当がつかなかったが、どうしてもと押されて、そこまでして私も断る理由もないし渋々了解したのだった。
買い物に商店街を歩くと、行く店の先々で「おはよう、藍ちゃん。」「おまけしておくよ、藍ちゃん。」など言われた。
この短期間の間によくもまぁこんなにも親しくなれたものだ。コミュニケーション能力は高いらしい。それには脱帽した。
「へへ、いっぱいおまけしてもらった。」
「・・・・・。」
私が呆れた目でみると、藍は「顔が怖いよ!」と言って口を曲げたのだった。
「さて、帰りますか!」
「先に帰っていいよ。」
「え?どこか行くの?」
「ちょっと、並木道を歩きたい。絵を描くのに見ておきたいから。」
そう言うと半分予想はしていたのだが案の定、藍はついて行くと言った。
来るなと言って引き下がらない子だと私は知っていたので静かにしていてよとだけ言って放っておいた。
「うーん、閑散としてますね~。」
雪原の並木道は、商店街があるところから少し離れており、人など通らない。
そんな静けさに包まれたところを私は黙々と歩く。
最初は藍も黙ってついてきていたが、それに飽きたのか口を開いてきた。
「ねぇ、戀さんはこの風景をどういう風に覚えて絵にするの?頭にインプットするの?」
「確かに、視覚からも入るけど、私の場合・・・音を・・・絵にする。」
「音を?音なんてないよ。静かじゃん。」
「静かでも聞こえてくる音がある。それを絵にする。」
そう言うと藍はしばらくぽかんとしていたが、次第ににこにこと笑顔になってきて、私の腕にしがみついてきた。
「戀さんって繊細なんだね、いいなぁ!!すごいっ!!」
「からかわないで。」
「からかってない。」
私は藍を振り払うと、早足で並木道を後にしたのだった。
それから、夕方。
美紀が今日は遅くなるということなので先に二人で夕飯を済ませ、私はすぐさま絵を描きにアトリエに行った。
暫くして、部屋をノックする音が聞こえた。
「何?」
「戀さん、珈琲いれてきたよ、疲れたでしょ。一休みしたら?」
そう言って藍が入ってきた。そういうことは気が利くらしい。
「ありがとう。」
珈琲を受け取ってもなお藍が、ずっといるので「何か用?」と聞くと、藍は私の描いている風景画をじっと見つめながら口を開いた。
「ねぇ、戀さんって人物画は描かないの?」
「あまり描かない。」
「描けないの?得意じゃない?」
「そういう訳じゃないけど。単に風景画が好きなだけだから。」
そう言ってやると、藍は私に近づいて、私の両肩に両手を乗せるとこんなことを言い出した。
「だったらさ、私を描いてよ!!」
「・・・私が?藍を?どうして!?」
「いいじゃん!私、似顔絵って描いてもらったことないの。デッサンみたいなのでいいからさ。ね?息抜きにもなるって。」
そのようなことを藍は何度もぐちゃぐちゃと私に言って説得する。
昔はどちらかと言えば人物画が得意で何度も書いていた時期もあったし、藍の言うとおり風景画ばかり取り掛かっていて煮詰まっていたので息抜きになるというのもまんざら嘘でもない気がした。
そんな少し間がさしたような軽い気持ちで私はしょうがないなとOKサインを出してしまった。
「似てなくても文句言わないでよ。」
「戀さん上手いから、似てるって信じてる。」
「そういうのやめて。」
そんなことを言いながら、私は絵筆から鉛筆に握り替えた。
藍はと言うとちゃっかり椅子を引っ張り出して、ちょこんと座った。
「ねー、これって動かない方がいいの?」
「当り前。」
「つまんない。」
「藍が言い出したことでしょう、じっとしていて。」
そう言って私は藍の輪郭を鉛筆で書く。
あまりじっと見たことがなかったが綺麗なつくりをしている。
長い睫毛。大きな瞳・・・。なるほど、こういうところに美紀は惚れたのであろうか、そんなことをぼうっと考えながら暫く筆を進めていると、藍の顔が急に自分の顔の近くにあった。
「!?」
「どこまでできた?」
「いきなり動かないでよ。」
「あ、結構できてる!!すごい!!似てる!!やっぱり戀さん上手いね。」
すると、藍は冷たい手を私の手の上に重ねてきた。
「絵を描いている戀さん、大好き。」
そう言って藍は私をじっと見つめる。
「だから、からかわないで。」
「からかってない。ね?私の絵を描いている時、ずっと私のこと考えてくれていた?私、戀さんの頭の中独り占めしていた?私の音、戀さん聞こえた?」
「藍・・・。」
藍の音・・・。
人物画を描くときにも私はその人の音が聞こえる。性格と言うのかそう言うのが音になる。それを絵にしている。
藍の音は・・・。
雪原の音に似ている。
でも、その雪の下から、何か熱いものがこみ上げてきそうな・・・そんな情熱を秘めた音。
一気に雪が溶け出してしまいそうな・・・。
何かの拍子に静かな雪原が崩れそうな。
「藍の音は・・・。」
そう言おうとして、唇をふさがれた。
驚いて目を見開いてしまったが、なぜだろう。次の瞬間にはそれを受け入れてしまった。
そしてこともあろうか、藍が唇をそっと離した後には彼女をぎゅっと抱きしめて、もう一度、今度は自分の方から藍の唇を貪った。
深く。深く。
藍もそれに食らいついてくる。
やっと、お互い唇を離すと、藍は私に抱き着いた。
なぜか、私はそれを引き離すことができなかった。
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