第九話 弟


 アレキサンドライトの瞳を輝かせて、金緑はゆっくりと硝子たちに近づいて来た。

 にっこりと微笑むその美しさが恐ろしくて、硝子はぎゅうっと尖を抱きしめた。


 「タイムアップだよ、尖くん」

 「はい」

 「いい子だ。硝子ちゃん、その子を返してもらうよ」

 「返す?尖は私の弟よ!あなたになんて渡さない!!」

 「死者を生き返らせることはできないよ。それは君の弟じゃない」

 「いや、いやいやいやいや!!」


 硝子は金緑から守るように尖を背に隠した。

 けれど尖は硝子をぎゅっと抱きしめた。


 「姉さん、このひと月楽しかったろ。これは俺がいなきゃ得られない幸せだ。でも俺がいなくても得られる幸せもある」


 尖は硝子の原石をいくつか拾い、その一つを硝子に握らせた。


 「宝石を見るの楽しかったろ」


 もう一つ、硝子の原石を拾った。


 「プレゼントもらって嬉しかったろ」


 もう一つ、硝子の原石を拾った。


 「ネックレス着けてもらって嬉しかったろ」


 もう一つ、硝子の原石を拾った。


 「オシャレするの楽しかっただろ」


 もう一つ、硝子の原石を拾った。


 「金緑さんが触れてくれた時、嬉しかったろ」


 もう一つ、硝子の原石を拾った。


 「……俺のいない時でも幸せになれたろ?」

 「いや、いやだ」


 そして尖が全ての原石を拾い上げると硝子はぼろぼろと涙を流した。

 けれどそんなことはお構いなしに金緑が近づいてくる。来ないで来ないで、と硝子は弱々しくけん制するけれど、硝子が庇う尖自身が金緑の前に立ち深々と頭を下げた。


 「お世話になりました。楔さんにもお礼言っといて下さい」

 「任されたよ」


 金緑は硝子の額を覆うように手を添えた。

 硝子はガタガタと震えながら、いやだ、と尖に手を伸ばした。けれど尖は硝子の手の届かな場所へと一歩下がった。


 「さあ、研磨の時間だ」


 金緑に触れられた額が熱い。

 硝子は体の中でぐるぐると何かが蠢いているのを感じた。それはまるで体内で何かが削られているようで、けれど不思議と不快感はなかった。

 けれど確実に自分の中から何かが無くなっていく。


 「な、なに?なに、これ、なにか、削られる、なに、なに」


 硝子は立っていられなくなり地べたに座り込んだ。だらだらと汗が流れてとまらない。

 けれど尖は硝子に手を差し伸べることはなかった。差し伸べる事はできなかった。尖を作っていた物が粒子となってさらさらと流れ出していたからもう動くことはできなかった。

 それはまるで宝石を砕いたように美しい。


 「いや!いやだ!尖!いや!いかないで!!」

 「大丈夫だよ。もう姉さんに俺は必要無いんだ」

 「いや!!」


 硝子は尖の元へ行こうと力を振り絞った。

 よろよろと尖の元へ向かうけれど、金緑はそれを許さなかった。


 「駄目だよ。あれは君の弟じゃない」


 硝子はずっと考えないようにしていた。

 遺骨のある尖の身体がどこからきてどうして動いていて、何故金緑が遣わせることができたのか。

 何故尖が宝石の価値など知っているのか。

 何故楔の事にばかり詳しいのか。

 何故楔と同じ知識を得ているのか。

 幽霊や魂のように触れられないのならまだ分かる。けれど尖の肉体は確かにそこにあった。触れれば温かく食事をし、生きていたのだ。


 誰かの身体が、そこにあったのだ。


 「あれは僕の弟だ」

 「いやああ!!」


 尖を作っていたものが全て砂となり、その中から出て来たのは狐面を着けた楔だった。

 もうどこにも尖の姿は無かった。いや、最初から無かったのだ。


 「君の弟はもういない。そして君が背負う罪悪は最初からどこにも無い」


 金緑はぎらりとアレキサンドライトの瞳を輝かせた。

 青く輝くその瞳はただただ美しく、目をそらすことができなかった。そしてその青い瞳は、次第に赤く変わっていく。


 「君の罪は弟の想いで磨かれた。君が罪悪のアレキサンドライトを創り出す必要はもう無い」


 硝子の身体から、ざらざらとアレキサンドライトが溢れ出す。それは薄汚れた原石ではなく、美しくカットされた宝石その物だった。

 呆然とする硝子に見向きもせず、楔はそれを拾い上げじろじろと調べると金緑にこくりと頷いた。

 硝子は自分に興味を示さない楔に苛立ちを覚え、ぐいと上着の裾をひっぱった。


 「楔さん、尖は……?」

 「俺は依り代となっただけだ。元より君の弟ではない」

 「金緑さん、もう一度尖を呼んで下さい……お願いです……」

 「僕は死者の招き方なんて知らないよ。僕はやって来た客から研磨依頼を受けるだけだ」


 そんな、と硝子は助けを求めるように楔を見上げた。けれど楔はふいっと目をそらした。


 「尖はあんたに新しい夢を見てほしかったんだ。だから俺は夢を見る手伝いをした。原石が磨ける状態になれば兄上が磨いてくれる」

 「だがアレキサンドライトは君の闇。美しくとも心奪われてはいけないんだよ」


 楔はひと際大きな罪悪のアレキサンドライトを拾い硝子に見せてやった。


 「尖は復讐に来たんじゃない。あんたの原石ざいあく宝石こうふくに磨きあげるために来たんだ。そしてその役目を終えた」


 罪悪のアレキサンドライトは金緑の瞳のように美しかった。

 けれど、やはり硝子は触れられなかった。


 「……あなたたちなんなの……」

 「しがない研磨士さ」

 「どうして尖に会わせてくれたの」

 「それが僕らの行動原理だからさ」


 金緑は散乱した罪悪のアレキサンドライトすべて拾い上げた。

 そしてそれはもう硝子の身体から生み出される事は無くなっていた。


 「君の罪悪は貰っていくよ。さあ、君は幸せにおなり」


 そして金緑は振り向く事も気にするそぶりも無く颯爽と去っていった。

 楔はすまない、とだけ言った。

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