第八話 無実


 翌朝、いつもは硝子が起こす側なのに珍しく尖に起こされた。そんなに楽しみにしていたのかと思うと硝子は嬉しくなった。

 仕事以外で電車代をかけるなんて絶対に嫌だと思っていたけれど、一緒にいたいと思う相手がいるなら惜しくはないのだと硝子は初めて知った。

 俺が案内するから、と尖は硝子の手を引いて迷うことなく電車を乗り継いだ。施設と病院しかしらない尖とは思えない行動に少し驚いた。


 「ICカードなんていつの間に買ったの」

 「楔さんがくれたんだよ」

 「……ふうん。一人で電車なんて乗ったこと無かったのによくわかったわね」

 「金緑さんはともかく、尖さんは電車乗るし」


 あの狐面でか、と心の中で悪態をついた。

 硝子が尖に会いたいと思っても会えなかった時間にあの男は尖に会っていたのかと思うと憎々しいし、尖が友人のように語るのがひどく不愉快だった。


 「ねえ、どこに行くの?」

 「姉さんも俺もよく知ってるとこだよ」

 「まさか施設?病院?駄目よ。私達を知ってる人のところなんて、駄目」

 「違うよ。そこじゃなくてもう一つの場所」

 「もう一つ?」


 尖が知っている場所は施設と病院しかない。それは間違っていない。

 けれど、もう一つだけ二人にとって想い出の地があった。

 一時間ほど電車に揺られて、次々に出てくるよく知った駅名に硝子は行き先が分かってしまった。


 「俺と姉さん二人で出かける場所といえばここだよな」


 尖が連れて来たのは、硝子が尖を殺した病院のすぐそばにある崖だった。


*


 その日、硝子は尖の見舞いにやって来なかった。


 「硝子ちゃん今日は来なかったわね。どうしたのかしら」

 「バイトだって……」

 「そっか。それじゃあしょうがないわね」

 「……お姉ちゃんばっかり外で遊んでずるい」

 「遊んでるわけじゃないわよ。お姉ちゃんがお仕事してくれてるから尖くんは治療できるのよ」

 「でもお姉ちゃんは好きな物食べて好きなとこ行ってる!お姉ちゃんばっかり元気でずるいよ!!」

 「尖くん……」


 硝子は尖が入院していた頃から働き詰めだった。

 バイトを掛け持ちして必死に生活費を稼ぎ、尖が病院で退屈しないよう欲しい物をいつでも何でも買ってやれるよう、両親がいなくて生活が苦しいと馬鹿にされたりしないよう硝子は必死だった。

 だから硝子が尖に会うのはいつも面会時間ギリギリで、忙しい時は会いに行けない時もあった。

 尖がごねているのは看護師から聞いていたけれど、硝子にも自分の生活費が必要だ。仕事をしなくては生きていけないからどうしようもなかった。


 そんな当時の自分を思い出して尖はため息を吐いた。


 「子供だよなあ。自分だけが辛いと思ってたんだ、俺は」

 「それは普通のことだわ。子供が一人で病院にいるのはつらいし家に帰りたいって思う。普通の事よ」

 「そうだね。だからあんたが俺を憎く思うのも普通のことだと思うよ」


 びくりと硝子の身体が揺れた。

 尖はじいっと硝子を見つめている。


 「自分は大学を諦めて働き詰めなのに弟はゴロゴロしてるだけ。稼いだ金は全て弟のために消えていく。弟さえいなければもう少しマシな生活できるのに――って、介護してる人間は結構な割合で一度はそう思うんじゃないかな」

 「それは、でも……」

 「まあそれはいいや。俺が話したいあんたの罪はそれじゃない」


 尖は日本人ではありえないクリソベリルのような色をした瞳をぎらりと輝かせて硝子に一歩近づいた。

 陽の光を受けるそれは金緑の瞳にも劣らないほど美しい。


 「なあ、あんたは何の罪悪感を抱えてるんだ?」

 「な、んの、って」

 「俺達はこの崖に来た。目的は何だった?」


 いやだ、と硝子は首を振った。


 いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、

 いやだ、いやだ、いやだ、いやだ


 尖はじわりと涙を浮かべる硝子の腕を掴んで引き寄せた。


 「思い出せよ。あの時何があったのか」


 あの時、硝子は尖を崖の縁まで追いつめた。

 あと一歩下がれば落ちるだけ。硝子が突き落とさずとも、あと一歩後退させれば尖は自分から落ちていく。

 震える尖を見ながら硝子はそんなことをぐるぐると考えていた。尖を追い詰めて、追い詰めて、追い詰めて、もう落ちる、そう思った時に硝子は――


 「と、尖……尖!!」


 硝子は尖の腕を掴んだのだ。

 そしてその拍子に、硝子も崖の外へと身体が飛び出していた。もうこのまま二人で落ちるしかなかった。

 落ちたのは尖だけではない。硝子も落ちたのだ。


 「お姉ちゃん!」


 しかし尖は硝子を崖の上に突き飛ばした。

 そして硝子はかろうじて崖の上に引っかかり、尖は既に見えなくなっていた。


 「あんたが俺を殺したんじゃない。俺があんたを生かしたんだ」

 「違う!私が殺したの!尖の事を隠ぺいして逃げたのよ!」

 「警察だってあんたの事を調べた。どういう状況だったのか調べた上で事故死になったんだ」

 「違う違う!私が尖を連れ出さなければあんな事には」

 「あんたが俺を連れ出したんじゃない!あんたは自殺しようとしてた俺を止めるために追いかけてきたんだ!」

 「ちがうっ!!!」


 あの時、尖の病状は悪化していた。


 身体に繋がれるコードは増えるばかりで、呼吸すらままならない。

 硝子は尖に付き添い欠勤を続けていたせいでバイトをクビになっていた。尖もそれを察知していたけれど、仕事に行って良いよとは言えなかった。


 「俺は自分の足で病院を出たんだ。監視カメラにも映ってた。警察はそれを調べたからあんたに罪は無いと判断した」

 「ちがう!私が、私があの子を死なせたの!私が!!」


 硝子は悔いていたのだ。


 親の愛情を受けさせてやれなかった事、

 病気を治してやれない事、

 いつもそばにいてやれない事、

 普通の生活をおくらせてやれない事、

 尖はその全てに苦しんでいたけれど、それでも生きて欲しいと思っていた事


 そして、自ら命を絶つ選択肢を選ばせてしまった事


 だから硝子は尖と一緒に死にたかったのだ。


 「俺があんたを恨んでるという罪悪を抱えることで、俺をあんたの中で生かし続けてるんだろう?一生俺と生きるために」


 尖は硝子の身体から零れ落ちた罪悪のアレキサンドライトの原石を拾った。

 もうじき完全な宝石になりそうなくらいに磨かれている。


 「俺はあんたを恨んでない。あんたは自分のために生きていいんだ。もういいんだ」

 「い、いや、いやだ、わたしは尖といっしょじゃなきゃいや、うちにかえろう、もうかえろう、かえろう」

 「……駄目だよ。この身体はもう返さないといけないから」

 「返す?返すって、だれに」


 悲しそうに笑って、尖は硝子の後ろに目をやった。

 そこにいたのは――


 「金緑さん……?」

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