第7話
翌日の早朝、まだ少し薄暗い中、俺は学校へと向かっていた。
昨日の映画を観た興奮からなのか、二時間ほど早く起きてしまった。
いつもの家を出る時間までだらだらとしていようかと思ったのだが、たまには普段とは違う行動をしてみるのも悪くないだろう。
寝起きの身体に、少し肌寒さを覚える気温が心地いい。
いつも通る商店街も、今はまだシャッターが半開きになっているところが散見される。
そんな少しばかりの非日常感を味わいながら、俺は悠々と門をくぐって教室へと向かうのだった。
早起きは三文の徳とは本当らしい。
圧倒的一番乗りであろうと勢いよく教室の扉を開けると、桜井が驚いた様子でこちらを見ていた。
彼女の机に視線を落とすと、なにやら赤い本やプリントが置いてあった。
「あれ、今日は早いね」
意外や意外といった顔である。
いつもは朝に弱い仁を待ってから登校しているため、チャイムが鳴り終わる直前で登校することが大半だ。
「たまには王者の気持ちを味わってみたいと思ってな」
手を広げて大仰に言ってみる。
「なにそれ」
どうやらウケたようで、桜井はくすくすと笑っている。
「高尾くんは?いつも引きずり起こしてるって言ってたよね」
仁は買ったばかりのゲームを徹夜で遊んでいたため、どうせ今日は昼ぐらいから登校してくるのだろう。
「最近遅刻しないなーって思ってたけど、さては遅刻貯金してたってことね」
「あいつは変なとこで無駄に細かいんだよ」
新学期が始まる時には、毎回自分がサボれる日程の調整をカレンダーとにらめっこしながら決めているらしい。
「自分が好きなことに全力なんだよ、きっと」
桜井が仁のことをそう評した。
「昔からあいつはああなんだよ」
幼稚園からの付き合いだが、本当に変わらない。
「そういえばさ、二人が小さい頃ってどんな感じだったの?」
桜井が目を輝かせながら、詰め寄ってきた。
少し近くて困る。
シャンプーだか洗剤だかの匂いが、鼻腔をくすぐる。
「お前勉強してなくていいのかよ」
とりあえず距離を取るために、彼女の机を指差しながら、近くの机の上に座った。
「飽きちゃった」
休憩代わりの雑談だと思ってさ、と付け加えて、両手を合わせて揺れている。
「しょうがねえなぁ」
大きく息を吐き出しながら深く座り、当時のことを思い出す。
「確か、あれは━━━」
あれは、小学三年生の学芸会のときだったか。
俺と仁は、学芸会で行う演劇の主役の座をかけて争っていた。
俺は目立ちたがりの子供だったので、当然主役になりたかった。
仁はこの頃から面白いそうなことには目がなかったため、一番面白そうな主役になりたかった。
小学生男子というのは単純なもので、脚の速さ、遠投、給食の食べる速さなど、とにかくあらゆる方法で仁と対決した。
しかし、仁が勝てば次は俺が勝ち、その次は仁、そのまた次は俺、というように一進一退の攻防戦が繰り広げられていく。
担任の先生はさぞ手を焼いたことであろう。
このまま永遠に終わらないのではないかと思われたこの大戦争は、仁が自ら降りることで終戦となった。
『こっちの悪役のほうがかっこよくておもしろそうだからやる』だそうだ。
あとで仁に本当によかったのか、と聞いてみた。
「代わりに肉屋のコロッケを買ってくれ」
などと頼まれたので、その日の帰りに公園で一緒にコロッケを食べたのを覚えている。
なお、肝心の演劇は俺と仁のアドリブに次ぐアドリブにより、体育館を大混乱に巻き込んだのであった。
「ホントにキミ達って変わらないんだね」
目を細めながら、桜井が微笑んでいる。
「あとで先生から大目玉を食らったよ」
最終的に俺と仁が手を組み、王様役を打倒して終了したのだが、今思えば、あの時の俺達の想像力はどうかしていたと思う。
「見たかったなぁ、その劇」
「やめとけやめとけ。正直墓まで持っていきたかった話だ」
今でも思い出すと赤面してしまう。
「あー、面白かった。ありがとね」
桜井が大きく伸びをしながら、俺に感謝の意を述べてくる。
桜井って意外に大きいんだな、などと邪な考えが頭をよぎったため、直ちに目線を逸す。
時計を見ると、もうすぐ他の生徒たちがやってくる時間となっていた。
長話だったので喉が渇いた。
桜井にそう告げて、給水機まで行くために教室の扉を開けようと手をかけたその時。
━━━俺は桜井の独りでに呟いた言葉を聞いてしまった。
動揺したことを悟られないよう、ゆっくりと扉を閉め、足早に廊下を歩く。
まさか。
桜井の言葉が、脳内で何度も繰り返される。
『そっか、コロッケ好きなんだ』
昨日の放課後に一瞬でも考えた可能性が、確信に変わる。
こういうのをなんと言うんだったか。
「あれっ?もしかして脈無し?」
言葉にすると、思いのほか心に突き刺さった。
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