第26話 再生
「このままでは息子に何をするか分かりません。どうか、どうかわたしと夫に息子を『愛しい』と思う感情をください……!」
「息子さんへの愛しいという感情ですね。かしこまりました」
零は席を立って今回の見積もりを出した。感情は客とその夫の二人分ということだったので通常より高い費用となったのだが、女性は余程切羽詰まっているのか、大丈夫ですと了承した。
さっそく術の準備をする。今の時間帯はノアとマシューはどちらも学校に行っているので、以前のように一人で対応する。
まずは女性の感情の付与から始めた。まず、人形に本名をフルネームで、かつ縦書きで書いてもらう。その後は零が「愛」という感情の名前、そしてその対象である「息子」を人形へ書き加え、息を吹きかけた。
「では、今から特殊な水をあなたにおかけします。水といっても濡れることはないので安心してください」
そう言うと、女性は目をぎゅっと強く瞑って待った。零はそれを確認して頭から水をかける。水がかかった感触はあるのだが確かに体は濡れていなくて、「すごい」と女性が自分の両手を見る。
「先程書いていただいた人形を額に当てます。僕が呪文を唱えたら完了です」
零がその通りに目を瞑りながら唱え、全て唱え終わると人形を外した。
「終了です。お疲れ様でした。効果が出るのは1日~2日後です」
「本当に、これで……これで、息子への愛情が戻るの?」
女性は未だ信じられない様子だ。その間に零は次の術の用意をしている。
「皆さん初めは信じられないとおっしゃいますが、僕の術が失敗する確率はゼロに等しいです。さあ、続けましょう」
再び人形を取り出し、今度は女性の夫の名前を買いてもらった。再び感情と対象を書き入れる。
術を終えると、またしても女性は「これで終わりなの?」と尋ねた。
「はい。同じく1~2日後には効果が出るでしょう」
もしよろしければ、知らせにいきましょうか、と零が提案する。
「知らせ?」
「ええ。使いの者を向かわせます」
「使いの者って、使い魔のこと? そこの猫ちゃんかしら」
女性は丸くなって寝ているスイに視線を向けた。
「いえ、そちらはうちの看板猫ですね。使いの者は……」
零が桔梗を出現させると、今度こそ女性は目を丸くしていた。
説明も全て終わったので、女性は店を後にした。入れ替わるようにマシューが、続けてノアが帰ってくる。
「ただいま~」
「ただいまー。お~、よしよしコウ!」
ノアは全速力で出迎えるコウの頭を撫でた。
「今日は早かったんだね」
「はい。今の人、お客さん?」
「うん。息子への愛情を買っていった」
「愛情って……」
不思議に思うノアに、零はさっきの客の事情を話した。今日店を訪れた女性には、ようやく誕生した一人の息子がいる。なかなか子どもを授かれない夫婦だったそうだ。しかしようやく生まれた子どもは障害をもっていて、まともに話すこともできないという。
夫婦は自分たちが望んで産んだ子なのだからと愛そうとした。あんなに欲しかった子どもだ。可愛くないわけがない。
それでも、他の子どもを見かけるたびに思ってしまうそうだ。「ああ、自分たちの子どもも、普通の子どもならよかった」と。女性とその夫は、そんな風に思ってしまう自分たちを憎んだ。普通に愛そうとした。だがそれができない。
いつしか悪い感情が膨らんでいき取り返しのつかないことになるのではと、そう考えてここを訪れたという。
「なんだよそれ、ひどすぎる……!」
ノアは顔を真っ赤にして怒りをあらわにした。
「無責任すぎるだろ、その子は何も悪くないのに!」
「僕は……」
話を黙って聞いていたマシューも口を開いた。
「僕は、幸せ者だったんだね。母さんに愛されて。普通ってすごく難しいことなんだ」
マシューは静かに笑う。
「その子のお母さんたちの愛情が本物じゃなくても、愛されて幸せになってほしいけど……。なんか寂しいな」
「……そうだな」
ノアもマシューの言葉に同意した。
帰宅して早々暗い雰囲気になってしまったが、「ニャーン」と鳴き声が聞こえてスイを見ると、ノアは思わず吹き出した。
「ふっ、レイさん、スイがまだ今日のおやつをもらってないって」
「あ、忘れてた」
零は急いでスイとコウのおやつを取りに行った。
御巫の事件があってから約1年、零はすっかり口調が変わって、ノアとマシューとの距離は一気に縮まった。店も学校も休みの日は3人で少し遠くに旅行に行くこともある。他にもノアは零の飛行練習に付き合った時があったのだが、零が高いところが苦手だと判明してからは、無理に誘わなくなった。その傍らマシューは猛練習を重ね、ノアの補助があれば少しの距離は飛べるようになっている。
零の感情や記憶も、本当に、少しずつではあったが戻ってきていた。ノアは零の知らない表情を見るたび、面白おかしくて笑ってしまう。そんなノアを見て、零はさらに「なにがおかしいの」と不機嫌そうに顔をしかめた。
式神である桔梗も、「まるで以前の主様のようです」と零を見て微笑んだ。
数か月に1回ほど結界を新しく張る時があるのだが、それには梅の力を借りている。
「梅」
零が新しくつくった札を取り出すと彼が出現した。
「お呼びでしょうか」
「結界を張る。今日もお前に手伝ってほしい」
「かしこまりました」
梅は腰に差していた刀を渡すと、零はそれを受け取り地面に思いきり突き刺した。そして手で印を組み、呪文を唱え始める。梅は後ろでその様子を見つめていた。
零一人でも張れるのだが、梅の力もあったほうがより強力な結界ができることから、こうした方法をとっている。
「終わった。ありがとう」
零は刀を引き抜き梅に渡した。
「いえ……」
刀をしまいながら、梅は何か言いたそうにしている。
「どうした?」
「主様は、やはり凪沙様に似ていると……。申し訳ありません、余計な一言を」
そう言うとすぐに頭を下げて謝罪した。
梅はとても頼りになる式神だ。札を破ることさえされなければ、どんな魔法でも効かない。だからあの時は自分のミスだ、と零は思う。探しても欠点が見つからないようなできた式神ではあるが、唯一あるとすればそれは謙虚すぎるところだ。これは桔梗にも言える。どちらも主が凪沙である時から仕えてきた式神で、突然主が零に変わってもずっと従順だった。
「似ているとは、どのあたりが?」
零は尋ねた。
「魂です」
ふむ、と零は考える。相手が人間ではないことをすっかり忘れていた。
「ずっと聞きたいことがあった。梅と桔梗は……、お前たちは、あの人と一緒にいかなくてよかったのか。こんな僕のそばにいなくてもいいのに」
梅はしばらく黙っていたが、口を開いた。
「主様は凪沙様の大事な方です。無理にお仕えしているのではありません。私たちは主様を心から信頼しています。それに、凪沙様からは伝言を頂いております」
ずっと守ってやってほしい。
零にはその声が、忘れていたはずの凪沙の声として再生された。
突然頭に激痛が走る。
「主様!」
梅は慌てて駆け寄るが、零がそれを制した。
「大丈夫、だ……。お前は休んでいていい」
それを聞くと梅は一瞬躊躇したが、主の命令には逆らえない。頭を下げて姿を消した。
『自分を大事にしなさい』
『ありがとう。零がいてくれてよかった』
『君は真面目すぎるんだ。そうやって生きるのはよくない』
次々と、凪沙の言葉であろう言葉が脳内を巡っていく。
*
その晩零は夢を見た。
長い長い夢だ。
不安で眠れなかった毎日。優しかった毎日。嬉しかった毎日。
自分と葛藤した毎日。
死にたいと思った毎日。
今の自分を形作っている毎日だ。
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