第22話 懐古(2)
病室の中にはすでに男がいた。怪我人の女と何やら話をしている。
『殺してください』
『……なぜ? あなたは助かります』
『殺してください。親御さんたちに合わせる顔がない』
女はそう言うと泣いていた。そこへ看護師が入って行って説明を始めたため、私はそこを離れて別の負傷者のところへ行った。
ああ、この戦場でいったい私は何人の人を助けただろう! 快感と満足感で胸がいっぱいになった。なんだか日本にいた時よりも生きている心地がした。
それから戦争は終わりを迎え、私はレグラスを離れることにした。
『世話になりました。ありがとう』
『……ああ』
男は何か言いたそうだが黙りきってしまった。私は背を向けて歩き出す。
『お前の医療は、術は素晴らしかった! しかし……もっと患者と向き合ってはどうだ。言葉が悪いようだが、ミツルは少しばかり自分勝手な医者に見える』
男の言葉にうんざりしながらも、
『そうですね。気をつけます。さようなら』
と私はレグラスを去った。
向かった先は紛争が多い国だ。私はここでも負傷兵たちの治療にあたった。またしても多くの命を助けたのだ。
しかし、さすがにそろそろ平穏な時間を過ごしたいとも思うようになった。戦場は嫌いじゃないが、自分の病院ももちたい。ルーナシアを出てからもう長い間が経っている。私は一度戻ることに決めた。
そして、戻った先で望まない再会を果たした。
『満か……?』
『お前は』
人が多い街中だったのに、私はうっかり凪沙と出くわしてしまった。
『よかった! また会えるなんて……よかった』
意外と強い力で抱きしめられ、いい大人が何をしているんだと思ったが抵抗するのも面倒くさく、そのまま近くのカフェで話をすることになった。
聞けば、凪沙は森の中に小さな病院を開いたのだという。
『病院って言っても、見た目はお店みたいな感じなんだけどね」
そして仲の良くなった魔導師から手取り足取り教えてもらい、ついには自分の術まで開発したらしい。
『でもこれは一歩間違うと危険な術なんだ。だからどうしてもという時にだけ、極力使わないようにしてる』
私は一度凪沙の「病院」に訪れた。中に入ると、外見どころか室内も普通の店のようだ。棚にはいくつかボトルが並べられている。どうやら中身は感情らしい。最初は耳を疑った。凪沙の術は人の精神に作用するようだ。精神科医らしい、凪沙らしい術だ。
『先生、この間はありがとうございました。これ、少しですがよかったら食べてください』
『先生、わたし、もう生きるのに向いていないんです。先生だけが頼りです……』
先生、先生。ここに来る人達は親しげに凪沙をそう呼ぶ。大勢の人に頼りにされている。凪沙はその声一つ一つに丁寧に答え、頭を下げられていた。
『先生、これはこっちの棚でいいんですか?』
『うん、ありがとう。助かるよ』
『……あの子は?』
まるで助手のような働きをする少年が気になった。
『僕が森を歩いているとき、一人で倒れていたんだ。ここに来る前の記憶はないそうで、僕らと同じ日本人の子だ。名前は零と僕がつけた。行くところもないし、ここで保護しているんだよ。そしたら彼、申し訳ないと思っているのか、自分も精神科医になりたいと聞かなくてね。見た目と反して頑固だから、僕の方が折れてしまったよ』
そう凪沙が話していると、あの少年の耳にも入ったのか、
『先生、そこまで言わなくていいですよ』
とふてくされていた。その顔を見て凪沙は笑う。なんとも穏やかな雰囲気が流れていた。
『満、僕はこの子を後継者にしようと思っていてね。沢山の人を助けるには、もっと多くの人手が必要だ。すぐにできることではないけれど、僕の知識を、術を、この子に受け継いでほしいんだ』
なんだこの差は。
私は一秒でも早くその場から離れたくて病院を出ていった。背中に自分を呼ぶ声があっても無視した。自分をこんなに惨めに思ったのは、下手をすると、生まれて初めてかもしれない。その事実にも腹が立つ。
一人でも多くの人を助けたい、それは私も凪沙も同じはずだ。だからこの世界へ来てもどうにかして人を助けようと努力した。必死の思いだった。それなのに、私は患者に怯えられ感謝の言葉も言われず、あいつは笑顔を向けられ、頼りにされている。生まれてからずっと優秀で周りからの羨望の目に慣れていた私は、これが嫉妬という感情なのだと知った。どうにかして凪沙を引きずり下ろしたい。そのためにどうするべきかを考えた。
或る日の午後。
私は自分の家へ凪沙を呼び出した。雨の日だった。
『満、いるかい?』
『ああ、今開ける』
家の中に凪沙を招き紅茶を用意する。
『ありがとう。気を遣わなくていいのに』
凪沙はなかなか紅茶を飲もうとしなかった。
『こっちの世界に来てから驚いたんだけどさ。ここには、僕たちの世界とは違って精神医学がないんだよ! だから元の世界に戻りたいのはもちろんなんだけど、もう少しここにいようかと思って』
『そうか』
精神医学がないというのは、レグラスにいた時にあの魔法医から教えてもらっていたので、そんなに驚きはしなかった。それよりもう少しここにいたいという言葉に吐き気がした。私とこいつは合わない。心底合わないのだ。どうして今まで気づかなかったのだろう。ようやくすっきりした。
『満はルーナシアを出た後はどうだったんだい? 随分そっちにいたようだったけど』
『……戦場で、軍医をしていた』
『軍医⁉ それはすごいな、怪我とか、大丈夫だったのか?』
戦場に行った者たちは帰ってきた後のほうが酷いのだ、と凪沙が話す。私は催促するように自分の紅茶をくいと飲んだ。
凪沙はそれを見てカップに手をかける。その時、脳裏にある考えが浮かんだ。自分でもおぞましいことをしようとしていると理解はしていた。
……私はそれを取り上げた。
『えっ? 何するんだよ満』
『凪沙はたしか紅茶が苦手だったよな。気づかなくてすまない。コーヒーを持ってくる』
私はできるだけ綺麗な笑顔をつくろうと試みた。
『そんなことを言った記憶はないけど。……満? いったい何を』
部屋の外に置いていたロープを取り出して、凪沙の首に巻きつける。彼は足をばたばたとさせて私の手を引きはがそうと、強く抵抗した。しかし力は私の方が強かったため、それは無駄に終わる。
『ゔ、ぐっ……みつ、る……』
『お前がいると私の邪魔なんだ。死ね、死んでくれ!!』
私の腕を掴む凪沙の握力が段々と弱くなっている。今目の前の友人は、着実に死に向かっているのだとそれが教えてくれた。異様な興奮が私を襲う。
こんな時だが、もとの世界に残してきた家族が気になった。私は貧しい家に生まれたが、両親は医者の道へと進む私を懸命に応援してくれた。大学に受かった時は、私よりも泣いて喜んでくれていたのを鮮明に覚えている。大学合格を見届けたかのように、父は亡くなった。父の患っていた大腸がんは手遅れの状態だったらしい。私は父の病気を知ってから一層勉強に励んだのに。
亡くなった父に自分の立派な姿を見せるためにも、私は誰よりも優秀な医者になることを決めた。そうだ、誰よりも。
より一層手に力を込める。
『かわいそうだ、満……』
その言葉を言い残して凪沙は死んだ。自分を現在進行形で殺している相手をかわいそうだと?
私は彼の遺体を地下室へ運び、解剖を始めた。あの魔法医から精神医学がないと聞いてから、少しずつ勉強していたことがある。
凪沙の体は冷たい。さっきまで生きていたのが嘘みたいだ。
思えば、自分の心情を一番吐露していたのは凪沙だった気がする。私はいつも厳しく自分を律していることを誇りに思っていた。立派な人間に、立派な医者に。別に友達は必要ないと思っていたから、一人でいることが多かった。そんな私に凪沙の方から馴れ馴れしく声をかけてきたのだ。本当に馬鹿がつくほど優しくてお人好しな人間だった。
解剖が終わった後は山に遺体を捨てに行った。
深く、深く穴を掘る。誰にも見つからぬよう最大限に注意を払った。
ようやく穴を掘り終えたので、凪沙をそこへ放り込む。最後は埋めるだけだというのに、何の迷いか、私は花を飾ろうと思った。辺りを見渡すと丁度赤やらピンクやら紫やら、鮮やかな花が咲いている。私はそれを何本かとって、一緒に埋めた。凪沙の顔が土で見えなくなっていく。この親友といる時だけは、心が安らいでいたな、と思った。この世界に来るまでは。
全ての事が済むと、私は医者としての活動を始めた。世間では闇医者と言われていたようで、それは少々不服だが、ほかの魔法医とは違う私の治療は、恐れられながらも徐々に裏で評判を集めて言った。
そして、私を魔法医だと知らない少年がやってきて――。
「感情撤去手術を受けたわけだ。なあ、零?」
*
零は頭が真っ白だった。うまく思考が働かない。
殺した。あの人を、目の前の男が? 人を殺してなぜこんなに平気でいられるのだろう。
「ああ、誤解はしないでほしい。私が施した手術はあくまでも感情を奪う手術だ。君の記憶喪失は多分副作用によるものだろう。私に会いに来たときの君は本当に酷かった……今にも死んでしまいそうだったよ。体にはいくつもの切り傷があったな。きっと自分で傷つけたのだろうね」
零は少しずつ御巫に近づいて行った。自分の中に湧き上がる不思議なものに気づけないまま、ただその衝動に身を任せて歩く。
「なんだ、怒っているのかね。君が自分から感情をなくしたいと言ったのに理不尽にも程がある。……ああでも、完全には切除できなかったようだ。それは謝るよ」
御巫はにやりと口角を上げた。
「なにせ凪沙を解剖してから一人目の患者だったんだ」
怒り。零は今自分の中に渦巻いているのが怒りだと、そこでようやく理解した。
懐から一枚の
「梅!」
零が叫ぶと、頭に角が生えている、桔梗より背の高い式神が現れた。桔梗と同じく和服を身にまとい、黒髪を腰のあたりまで伸ばし、帯に一本の刀を差している。
梅は風を切るように早いスピードで御巫に向かっていった。御巫からはその姿は確認できない。しかし、危機を察したのか、
「セリーヌ!」
と叫んだ。
すると向こうから女が走ってやってきて、御巫に刃が襲い掛かる前に透明な盾が現れた。梅がセリーヌの相手をしている間、御巫は零をビルの窓際へと追い詰める。
「そうだ、最後に私と凪沙の違いを一つ教えようか。私は、患者の願いだったら何でも叶えてやる。それが社会的に、倫理的に正しくないとしてもな。本人がそう望むならそうしてあげるのが私のポリシーだ」
零は歯を食いしばって抵抗した。両手が塞がれていては術が使えない。
「だがあいつは違った。もし患者が願ったとしても、それは患者自身のためにならないと判断したら別の方針を考える男だった。私はそれにもうんざりしたね。願っているのは患者自身なのに、なぜすぐに叶えてやらないのかと」
窓は丁度開いていた。零は術が使用できないまま窓際まで押され、のけ反る体勢になる。
「その点君は優秀だ! しっかり患者のために役目を果たしている……。願いを聞き入れ、何も言わず叶えてやる。いい店主だ。偵察で確かめることができたよ」
零の片足が浮いた。
「しかし、君には色々と喋りすぎた……。さよならだ」
ふわり、と体が浮いたかと思うと、背中から真下に落ちて行った。
「主様!」
桔梗が一緒に飛び込んでくる。零は時間がゆっくりに感じた。見上げた先では御巫とセリーヌが笑っていた。冷笑、と呼ぶのが相応しい。セリーヌの右手には破けた札があった。零がしまわずに落としてしまったのだ。梅が消えている。
なんて無様なのだろう。落下する太陽に照らされて、夕日色に染められていた。鋭い風が全身を包んでいく。役目を果たしているとは、あの闇医者から見ての感想で、先代店主から見たら、正しいとは正反対のことをしていたのだろう。あれだけお世話になっておいて、恩を仇で返すようなことをしてしまっている。申し訳ない。
(お世話に……。そうだ、僕は)
桔梗が落ちていく零に手を伸ばすがそれは届かず、全身に強い衝撃が走った。
瞼の裏に、優しくこちらを見つめる男性と、少女が映る。
自分の記憶も正体も何もかも、夕日に溶けてなくなってしまう心地がした。
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