第21話 懐古(1)
桔梗が謎の人物を追いに行ってから1週間が経った。
その間も何人かの客がこの店を出入りし、ノアは少しずつ術の手伝いをさせてもらえるようになった。
「では、ここに縦書きであなたのお名前を書いてください」
店主がいつもやっているように指示をする。ぎこちなさも少しはましになっているだろうか。最初は店の掃除から始まり、次は術で使用する道具の作成と整理、そしてついに接客まで任されることになった。隣にいる店主がまあまあだとでもいうように頷く。勿論、術をかけるのは店主の仕事だ。
今日も店の閉店作業をしようとしたところ、店主はぱっと視線を外に動かした。
「どうかしたの?」
「……ただいま戻りました」
「桔梗さん!」
芯のある声が店内に響く。何もない空間から桔梗は突如として現れた。
「思ったより時間がかかってしまいました。申し訳ありません」
「気にするな。……それで、あいつの正体は?」
桔梗は冷静沈着に答えた。
「はい。あの女は、御巫の仲間、もしくは部下だと思われます。あれから女を追っていたところ、御巫に辿り着けました」
「えっ、カンナ……、こんなにあっさり?」
ノアは学校終わりに苦労して探していたものの、何も手がかりを見つけることができなかった。それなのにこんなにも早く御巫を見つけてしまう桔梗の手際の良さに脱帽する。さすが店主の式神だ、とノアは感心した。と同時に、これで人探しが終わるというのに、なぜか悔しさも込み上げる。
店主は顎に手を当て呟いた。
「これは、誘っているね」
「やはり主様もそう思われますか」
「え? どういうこと?」
レベルが高すぎる会話に入っていけず、ノアは店主と桔梗の顔を交互に見ていた。
「明日は休みにします。ノアさんとマシューさんは気にせず学校へ行ってください」
「いや、目の前でこんな意味不明な会話をされたら気にするよ!」
2人の間に入って叫ぶ。簡単にでいいので教えてください、とノアは聞いた。「仕方ないですね」と店主は説明する。
「まず、以前隠れてこちらを伺っていた者がいたのです。どこか怪しいと思い桔梗に捜索を頼みました」
「相手は姿を消すのが上手で手間取ってしまいました。いいように錯乱されてしまいまして……。心外です」
「桔梗でもか。それはご苦労だった」
店主と桔梗の会話を聞いていて、ノアはこの2人はどのくらいの付き合いなんだろう、とふと気になった。店主は年下の自分たちにさえ敬語で話すのに、この少女には随分とくだけた言い方をしている。桔梗が店主のことを主様、と呼んでいるから、主従関係があるのだろうとは予想できる。しかしこの店主ならそれでも丁寧な話し方をしそうだ。
「いえ、そのようなことは……。それで、先程ようやく居場所を突き止めました」
桔梗は少し照れくさそうに謙遜したが、すぐに真剣な表情に変わって報告した。
「その女は、いまこの町にいます」
店主は動揺したかのように見えたが、ほんの一瞬だった。
「女が入っていた建物……。そこにはこいつが」
ノアが貰ったものと同じ写真を桔梗は差し出す。
「じゃあ、今も御巫はそこにいるってこと?」
「そうなりますね。女も相当な使い手だと思われますので、もしかすると建物ごと隠していたのかもしれません。女は御巫に対し随分と物腰が低い様子でした」
「成程……。もし別の土地へ移動されたら困る。今日は様子を見て、明日すぐに出発しよう。桔梗、場所はもう分かるな?」
「勿論です」
桔梗は頭を下げて返事をすると途端に消えてしまった。
「ノアさん、あなたも最初この店を、というよりこの森を訪れた時、結界については何も感じなかったのですよね?」
「あ、うん」
突然会話を振られてノアは驚く。
「桔梗が追っていた女も、僕の結界をすり抜けてやってきたのです。……いや、ノアさんとは違い、何も感じなかったのではなく、気配を消して入ってきた。にも関わらず、わざと姿を見せています。これはやはり誘っているとしか思えません」
「そうなんだ……。でもなんで急に」
「そこが謎なんです。ですが今は会いに行く以外の選択肢がありません」
いつもとは打って変わって猪突猛進な店主に多少の怖さを覚える。
「店主さん、あの……」
「はい」
表情だけは決して変わらない店主を前に、ノアは言った。
「気をつけて帰ってきてくださいね。店主さんに何かあったら、俺とマシューはお先真っ暗なんですから!」
「お二人ならなんとかやっていけそうな気がしますが」
「そういう返しを期待してたんじゃなくて……あーもう、ほんと真面目すぎるなこの人は!」
「真面目?」
ノアはいつものノリで言ったつもりだったが、店主はそれを真に受けている様子だった。
「もしかして怒りました? 冗談のつもりだったんですけど~……」
ノアの心に焦りが生じる。なんとなくだが、この店主は怒らせたら一番怖そうなタイプだ。そうヒヤヒヤしていると、
「……前に誰かにも言われたような気がして。すみません、何でもないです」
と店主は片付けに入ってしまった。
「び、びっくりした……」
心臓がまだいつもより早く鳴っていたが、ノアは先に晩御飯を作りに2階に上がる。部屋に行くとマシューは机の上に教科書を広げたままベッドで眠っていた。点字、というもので書かれている。それにはペンで色々とマークがしてあった。
弟の寝顔を見ると自然と笑顔が浮かぶ。呑気だな、と呆れる時もあるが、癒されることも多いのだ。
「あの人なら大丈夫だよな」
ノアは自分に言い聞かせてキッチンへ向かった。
森はすでに闇に包まれ梟が鳴いている。満月が綺麗な夜だった。
*
「……ここに御巫が」
「はい」
店主と桔梗が訪れていたのはひっそりと佇む廃ビルだった。人気も少ない。
「行こうか」
店主は率先して中へ入っていく。昼間なのに薄暗い廃ビルの中は、異質な雰囲気を醸し出していた。静寂な空間に足音だけが響いている。気配は感じるのだが、御巫も、あの女も見当たらない。
すると突然、カラン、という何かが落ちる音がした。桔梗はすぐさま音のした方へと飛んでいく。
一人になった店主を刃物が襲った。
「ほう、一瞬で簡易結界を張れるとは。さすがあの男の後継!」
暗闇の中から足音を立てて、男が乾いた拍手をしながら歩いてくる。店主の足元に落ちているのは手術で使うメスだった。
年齢は30代後半から40代前半ぐらいだろうか。白髪交じりの髪を片耳にかけ眼鏡をし、ニヤニヤと不吉な笑みを浮かべている。
店主は結界を解きながら男を睨みつけた。
「御巫、とはあなたですか」
「さすがだ。よくここを見つけたね、
「……レイ?」
「なんだ、まだ記憶が戻っていなかったのか。可哀想に。まあ、その名前もあいつがつけたもので本当の名前ではないそうだが」
わざとらしく眉を下げて店主を憐れんだ。あいつ、とは誰のことだ? 疑問に思いながらも警戒の姿勢は崩さなかった。
御巫はメスを拾い上げると懐へと仕舞いこむ。
「どうしてあの店を偵察させたんだ。ご丁寧に気配を消してまで。何が目的なんだ」
「君がちゃんと働いているか心配だったんだよ。でも杞憂に終わったようだ。しっかり役目を果たしているね」
「……話が全然見えてきませんが」
「そう焦るなよ。……そうだな、まずは凪沙の話から始めようかね」
その名前を聞くと、店主は小さく反応を見せた。
「私と凪沙はこことは別の世界、日本で同じ大学に通っていた。私の夢は外科医になることで、あいつの夢は精神科医になることだった。1年の頃から意気投合で初めて会う者同士とは思えなかったよ。医者への道のりは本当に大変だったが、お互い変わり者でね。忙しい毎日は嫌いじゃなかった」
「精神科医」
「なんだ、それも覚えていないのか。本当に哀れだ」
御巫は面白そうに店主――零を見る。
「私たちは無事に国家試験に合格し、それぞれ医者として働いていた。定期的に飲みにも行っていたのだ。その日も居酒屋で飲んでいて、2人で帰るところだった。信号を渡っている時、トラックのライトに照らされたかと思うと、この世界へと飛ばされていたのだ」
「……轢かれたのですか?」
「どうなんだろうな。まあ、最初はあの世かと思ったよ。だが見てみろ、この世界を! 皆当たり前のように魔法を使うし、それを良しとする。医学も存在しない世界だ」
店主はこれまでの御巫の話を整理した。御巫の元いた世界は日本で、そしておそらくトラックに轢かれた後、凪沙と一緒にこの世界へやってきたという。それはつまり、自分も一度死んでからここにやってきたのではないか。一つの仮説が生まれた。しかしそれなら、なぜ凪沙と御巫にはここに来る以前の記憶があって、店主は何も覚えていないのか。
「おまけに魔法医とかいう意味の分からん連中がこの世界では医者をしている。……私は絶望したよ。あれだけ必死に努力してようやく医者になったというのに、ここでは何も通用しない。手術をすることも認められない」
御巫は深い溜息をついた。
「術しか使えん君には、この苦しみは分からないだろうな」
*
『……
『ああ。ここにはおれの居場所なんてないからな。凪沙はまだいい。けれど外科医のおれは、人を助けたいだけなのに、下手をすると捕まってしまう。どこか自分の技術が活かせる違うところへ行くよ』
ルーナシアへ来てから約1年。私はあの時凪沙に引き止められた。私たちはせっかく医者になったのだ、ここでも違うやり方で人を助けよう、と。だがわたしはそれを無視し、外国へと飛び立った。他の国だったら、魔法ではなく、元の世界のような国もあるだろう。そこで日本に帰る方法を探しながら、またやり直せばいいだけだ。
結果、私の予想は大外れだった。どこもかしこも不可思議な魔法ばかり使う。私が何も使えないと知るとあざける奴らもいた。火を使う、風を起こす、雷を落とす。あれだけ努力を重ねたのに、私の居場所はやはりどこにもなかった。
ただ一人、私を憐れんで家に置いてくれる者がいた。その男の職業は魔法医だった。
『ミツル、君ももう気づいているだろうけど、アンソリスという国が今度はレグラスに攻めてくる。僕は軍医として軍に参加することにした。ここも危ないだろうから、ミツルは安全なところへ避難するといい』
『軍医……?』
私はこれをチャンスだと思った。軍に入って医者として活動すれば、自分を認めさせられる。名声が手に入る! 医療に関する知識は忘れていることはなかったし、手術に使う道具の代替品も、これまでの時間で研究して着々と揃えられつつある。私は男に何度も頼んだ。すると男は渋々ではあったが、手伝いとして連れて行くと言ってくれた。
戦場は散々だった。
苛々とした気持ちを覚えながらも、ここで評判を落としてはいけないと、最後に包帯を優しく巻いて治療を終えた。
『ミツル、お前のそれが元の世界の医療なのか』
『そうですが、何か?』
『……兵たちがみな怯えている。その道具も、使うのはやめたほうがいい。体を切り開くなどもってのほかだ。ただえさえ緊張状態なのに』
『命を助けていることに変わりはないじゃないですか。さっきの子どもだって、少し遅れていたら死んでいた』
私たちは戦禍にある都市を転々とした。
次に向かった病院には、両足を失った女がいた。
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