第12話 赤い屋根の兄弟(3)

 ノアはそれからというもの、新しい働き先を探すのをやめなかった。中心街以外に隣町へも行ってみたが、収穫は相変わらずである。

「今日もだめか……」

 まだ子どもなんだから、という言葉は耳にタコができる程聞いた。君も大変だね、と同情の声も。しかし、一度だけ許せなかったことがある。

『こんな子どもに職を探させるなんて、親の顔が見てみたいね』

 それを聞いた時は、相手の顔を一発殴ってやろうかというぐらい、怒りが込み上げてきた。あの父親はともかく母さんまで侮辱されるのは耐えきれない。ノアはその店を直ぐに出ていった。

 疲れた。地獄とはきっとこの世界のことを指すのだろう。何も美しくない、優しくない世界。

 疲労が溜まり夜も近づくころ、赤い屋根の家へと帰路を急ぐ。

「兄ちゃんおかえり~」

「ただいま……」

 笑う頻度も減ったな、と自分でも感じる。こういう時は、弟の目が見えなくてよかったと思う。声だけ明るく取り繕えばいいのだから。ノアは箒を置いて夕食を作り始めた。

「兄ちゃん、そういえば、空はあの本でいうとどんな色?」

「空?」

「うん! 空って時間帯によって色が変わるんでしょ? 今はどんな色をしてるの?」

 頭の中はこれからのお金をどう工面しようかでいっぱいだ。今日の夕飯だって昨日と同じメニューだ。2人分のぼろぼろになった服を最近買い換えたから、しばらくは節約生活である。

 なぜただ生きていくためにここまでしなければならないのか。何も特別なことは望まない。普通に暮らしたいだけなのに。

「そうだな……。近い色は、冥色めいしょくかな」

 空の色なんてどうだっていい。空に包まれることが多いノアはそう思ったが、弟の質問に仕方なく答えた。

「冥色かあ。それって確か夕暮れの時の薄暗い色だよね! きっと綺麗なんだろうなあ~。ねえねえ、それじゃあもっと夜になったらどんな……」

「うるさい!!」

 ドン、と鈍い音が部屋に響く。包丁の柄を思い切りまな板にぶつけた音だ。マシューはびくりと体を強張らせる。

「兄ちゃん、」

「こっちは必死に働いて、毎日毎日必死に仕事を探してるんだ! お前のために、お前の分まで頑張ってるんだよ。色なんてどうでもいいだろ! 迷惑だ!」

 こんなに声を荒げたのは何時ぶりだろう。ノアは肩で息をしながらマシューを睨みつけた。きっかけをつくったのは自分だ。それは分かっている。けれど、少しはこっちの身にもなってくれないだろうか。弟はまだ幼い。それも十分承知の上だ。それでも、それでも。溜まりに溜まったストレスと悲しみと怒りに、ノアはこれ以上耐えられなかった。

「ごめん、兄ちゃん……。もう聞かないから。ごめんなさい」

「……俺も、悪かった」

 その日の食事は静寂だった。寝る前もマシューは本を読んでとせがむことはしなかった。


 次の日になっても、兄に対する態度はどこかよそよそしい。マシューをあれだけ怒鳴りつけたのは初めてだったから、ノアはもう一度謝った。

「マシュー、ごめん。昨日は言い過ぎた。ほら、一緒に本を読もう」

「ううん……。僕も、ごめんなさい。いつも兄ちゃんばっかり苦労してるのに。僕がいるから」

「そんなことない。ほら、こっちにおいで」

 弟の手を引っ張って隣に座らせる。今日は緑系の色だ、と読み始めた。

 青緑あおみどり浅緑あさみどり松葉色まつばいろ柳色やなぎいろ山鳩色やまばといろ緑青色ろくしょういろ

 初めは申し訳なさそうに聞いていた弟だったが、家の周りに生えている草にも色んな色がいる。森に行くと、沢山の緑があって楽しいんだぞ、と言うと、再び色への好奇心が少しずつ戻ってきたようだった。

「それに、緑はとっても落ち着く色なんだ。ほら、ここにも気持ちを落ち着かせる心理効果があると書いてある」

「へー、そうなんだ! 緑って優しいんだね」

 いつもの調子を取り戻したマシューにノアはほっとした。疲れが溜まっていたとはいえ、あまりにも酷いことを言ってしまったと、心の底から反省する。自分でこうなると決めて目が見えなくなったわけではないのに、弟を追い詰めた。ごめんな、とノアはもう一度謝った。

 マシューはふと思い出したかのように兄に尋ねる。

「兄ちゃん、この前言ってたよね」

「何がだ?」

「『感情の雫』に行ったって。僕も、行ってみたいなって思って……」

「それは……、いいんだけど。でもどうやってあそこまで行ったのか俺も分からないんだ。森の中を迷ってて、気づいたらそこにいたんだし」

 なんとかしてあそこまでの道のりを思い出そうとするが、どうしても分からない。まるで自ら顔を出したように、そこに店が立っていたのだ。

「それに、もし行けなかったとしても兄ちゃんと一緒におでかけしたい」

「!」

 ノアはその一言にはっとした。確かにマシューはノアと違って出かけることは最近していない。毎日留守番で、きちんと気にかけられていなかったと反省した。

「そっか……。じゃあ、明日にでも行こうか。兄ちゃん明日は何も予定が入ってないし」

「ほんと!? やったー!」

 弟はノアの一言に大喜びし、明日が待ち遠しいと胸を踊らせる。その日の夜は眠れなかった。


 翌日、2人は箒に跨り家を出発した。マシューが落ちてしまわないようにしっかり太い紐で固定し、ノアの体に腕を回らせる。

「兄ちゃん、風が気持ちいいね!」

「そうだな」

あの森へはそう遠くはない。20分程ゆっくり空を飛ぶと、深い緑が視界に入った。

「マシュー、もうすぐ着くぞ。そろそろ降りるからな」

「うん」

 広い通りに降り、弟の手を引きながら森の中へと歩いていく。木漏れ日が降り注ぎ虫や鳥の鳴き声が聞こえる。目が見えない分人より耳と鼻がいいマシューは嬉しそうに笑っていた。

 ノアはまた道に迷うのではと少し不安になったが、今日は前と違ってこの箒がある。もし本当にここから出られなくなったら直ぐに空へ上がってしまったらいい。気を取り直して奥へと進んでいった。

 道中、キノコや山菜が生えていたので収穫しながらあの店を探す。しかし、暫く歩いても一向に見つからない。

「兄ちゃん、まだー?」

「うーん、おかしいな……。結構歩いているのに」

 マシューもこんなに歩いたのは久しぶりなせいで、息も切れてきた。そろそろここを出たほうがいいかと思い、縛る用の紐を用意しようとすると、

「あ」

「?」

『←この先 あなたが望むなら』

 無機質に、無感情で描かれたような看板が立っていた。看板の指す方を進んでいくと、あのお店が目の前に現れた。

「マシュー、あったぞ!」

「えっ本当!」

 前に来た時はさっきの看板は見当たらなかったのでノアは不思議に思ったが、中へと入ることにした。この店の洗礼というべきか、コウに一度吠えられてから店主に挨拶する。

「店主さん、こんにちは」

「こ、こんにちは」

コウに驚いたのか、マシューは縮こまって一緒に挨拶した。一方の店主は一瞬黙ってしまったが、すぐに「なるほど」と納得したかのように呟き、

「ようこそ感情の雫へ」

と丁寧にお辞儀をした。

 そこへスイも軽い足取りでやってくる。

「おっ、スイ。今日は自分から来てくれたのか」

 かわいいな~、と優しく撫でられたスイは気持ちよさそうに喉を鳴らす。

「おや、あなたにこの子の名前は教えていないはずですが」

「え、でも、スイが教えてくれたよ?」

 ノアの言葉を聞いて、店主の目がわずかに大きくなる。

「動物の言葉が分かるのですか」

「うーん、そんなはっきりとは分からないけど……。でも、言ってることは大体分かります」

 店主はそれを聞くとコウを抱き寄せた。

「では、コウは今なんと言っているか分かりますか?」

 ノアはコウと目を合わせて意識を集中させる。マシューは足元に寄ってきたスイに驚いていた。

「えーっと、ご飯を変えてほしい、まずいって言ってます」

「そうか……。最近なかなか食べてくれないのはその所為だったのか」

「ワン!」

 返事をするかのようにコウは鳴いた。店主は、今度新しいご飯を買いに行く、と看板犬の頭をポンポンさせた。

「ところで、ノアさんは今日もキノコ狩りに来たのですか? そちらにいるのは、弟さん?」

「いや、キノコはついでというか……。ああ、俺の弟のマシューだ!」

 弟の腕を引っ張って隣に立たせると、挨拶しろ、と促した。

「マシューです。初めまして……」

「はい、初めまして」

 店主はマシューの顔をじっと見ると、そうだ、とわざとらしく右手の拳で左手の掌を叩いた。

「ついでと言っていましたが、もう少しこの辺りを探索してみてはいかがでしょう。確かこの周辺には、木の実がなっている木がありましたよ」

「木の実⁉」

 食い気味でノアが聞き返した。しかし、はっとして、やっぱりいいと断る。

「でも、このままマシューを置いていくわけにはいかないし」

「それなら大丈夫ですよ。マシューさんなら僕が面倒をみていますから」

 まだ完全には店主のことを信用していなかったが、目の前のこの男は悪い人だとは思えない。この前も泣いている自分を慰めて(?)くれた。勘、ではないが、ノアは任せてもいいかもしれないと、そう思った。

「じゃあ……、すぐ戻ってきますから。お願いします。マシュー、大人しくしてるんだぞ」

「分かった!」

 ノアは籠を持つと、よろしくお願いします、ともう一度頼んで店を出ていった。

「しっかりしたお兄ちゃんですね」

「うん! 兄ちゃんはすごいんだよ! かっこよくて、頼りになるし」

 店主が言うと、マシューは屈託のない笑顔で答えた。

「ここで待ってるのもあれですから、あそこに座りましょう」

 幼い子どもの手を掴んで、店主は席へと案内する。それから奥からジュースを持ってきてマシューの目の前に置いた。自分の分のコーヒーも用意する。とはいえ、あまり苦いのは苦手なので必ずミルクと砂糖をしっかり入れなければいけないのだが。カフェオレは今切らしているので、早く買いに行きたい。

「オレンジジュースは飲めますか」

「うん! ……は、はい!」

「ノアさんの時も思ったのですが、無理に敬語を使わなくてもいいですよ」

 コップにストローを刺して「どうぞ」と言った。

「ありがとう、ございます。……ねえ、店主さんはどうしてずっと敬語なの?」

「僕のことは気にしないでください。それより」

 ミルクと砂糖をたっぷり入れたコーヒーをすする。

「本日の用件をお聞かせください」


 


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