第10話 赤い屋根の兄弟(1)

 森の奥にひっそりと佇む店。『感情の雫』。そこには男と犬と猫が住んでいるという。心の中で強く願いを唱えると、それは現れる。

 はず、なのだが。


「すみませ~ん……うわっ!」

「ワンワン! ワン!」

「犬! 店の中に犬!」

 突如訪れてきた少年は、コウの鳴き声に驚いた。

「びっくりした~。わっ、でもお前、かわいいな」

 よしよし、と少年は頭を撫でると、コウは尻尾を振り始めた。

「おや……。不思議ですね、何も気配がしなかったのに」

 店主はコウの鳴き声と少年の声を聞きつけ、店の奥から姿を出した。

「あっ、こんにちは。あなたがこの店の店員?」

「店主です」

「へー、そうなんですか。俺、ノアっていいます。……あっ、猫もいる! かわいいなあ」

 店主と一緒に奥から出てきたスイを見てノアはしゃがみこみ、おいでと手招きした。しかし気まぐれなスイはそれに反応せず別方向へと行ってしまう。なんだよー、と不服そうに立ち上がる。

「僕は、店主で結構です」

「ふーん……。なんか、店主さんって他とは違いますね」

「違う?」

「うん、なんというか……。不思議な感じ。なんていったらいいんだろ。って、そうじゃなくて!」

 ノアははっと思い出したように声を張る。真ん中で分けた長くて黒い前髪が揺れた。

「ここから出る方法を教えてほしいんです! 俺、キノコを採りにこの山に入ったんだけど、気づいたら道に迷ってて。早くうちに帰らないと弟が心配する」

「弟がいるのですか。ご両親は?」

 店主がそう聞くと、ノアは言葉を詰まらせた。

「親は……、いません。弟と2人暮らし。マシューはまだ9歳なんだ。だから俺が面倒を見てやらないと」

 ノアは今までの経緯を話し出した。


 2年前までは、母さんと弟のマシューと3人で暮らしてたんだ。うちは離婚してるから父さんはいなくてさ。生活は……まあ、けっこうぎりぎりだったんだ。それで母さんは毎日朝から夜まで働いてて、自分の病気に気づかなかったんだ。医者に診てもらったんだけど手遅れって言われて死んじゃった。そこから母さんの親戚の家で一緒に住むことになったんだけど、なんか、僕たちのことはないもの扱いでさ。挙句の果てに、そこの子どもがマシューにひどい悪戯をするようになったんだ。

 だから俺たちは母さんが残してくれたお金をもってそこを出て、ここの近くまで来た。この辺りって意外と空き家が多いだろ? ちょうどいい家を見つけたから、そこに2人で住むことにしたんだ。マシューはまだ下手くそだけど俺は魔法が使えるからな。母さんがいなくたってちゃんと生きていけるんだ。


 ノアは両目から大粒の涙を流して目を擦る。

「マシューは目が見えないんだ……。だから、俺が面倒、みないと。は、早く、帰らないと」

 店主はどうすればいいか分からずただ立っていた。

「そうなのですか。目が見えないのは困りますね。では、ノアさん」

 溢れ出る涙をハンカチで拭ってやると、

「お店を出て、あそこの看板まで行きましょう。そうすればこの森を出れますから」

と店主は言った。

「ほっ、本当に?」

「はい。そこのキノコも忘れずに」

 机に置いていたキノコの入っている籠を指さすと、恥ずかしそうに慌てて手に取る。

 一緒に外へ出ると、ノアはもう大丈夫だと袖で顔を拭いながら、手を振って向こうに歩いて行った。「ありがとうございます!」と元気な声でお礼を言う。

「あの少年は何だったんだろうね」

「ニャー」

 スイに話しかけると、答えるように小さな声で鳴いた。


 この森全体には店主の結界がかけてある。そのため、もし足を踏み入れたのなら気配が分かるはずなのだ。さらに店を訪れようとするのなら願いを唱えなければ店自体が見えないため、二重の結界のようになっている。それをノアはいとも簡単にすり抜けてきた。普通の少年ではないことは確かだ。

「少し警戒したほうがいいのか……?」

 そうは思ったが、あの身なりだと少年は学院へは通っていないだろう。だとすると魔法の技術も知識もレベルは下だ。何かあっても対処できると、店主は判断した。


 一方、ノアは弟の待つ家へと到着した。

「ただいま! マシュー、遅くなってごめんな」

「兄ちゃん、おかえり」

 壁をつたって弟が部屋から顔を出す。茶色くてふわふわした髪をもつ少年。ノアはそんなマシューを、動物みたいだとよく撫でていた。

 ノアは今日あった出来事を話す。キノコを採りに行ったはいいものの、森で迷ってしまったこと。そして、『感情の雫』というお店を見つけたこと。そこには店主とだけ名乗る若い男がいたこと。その人物に助けてもらったこと。

「あの人、すごいんだ! そこを行けば森を出れるっていうからその通り進んだら、本当に入口に戻ってこられたんだ! 最初は変なやつだと思ったけど、意外といい人だったよ、たぶん」

 興奮気味に話しながら、火の魔法を使って料理を始めるノア。手のひらを上に向けそのまま力を込めると、いとも簡単に炎が舞い上がった。フライパンに野菜や今日収穫したキノコを入れて炒める。

「『感情の雫』……」

 マシューはその名前に反応して繰り返した。

「なんだマシュー、知ってるのか?」

 ノアは続いてスープを作り始めた。

「あ、うん。兄ちゃんが外に出てる間、家の周りを掃除してたんだ。そしたら女の人たちがそのお店の噂をしてて……」

「そうなのか」

 納得したかと思いきや、ノアはもう一度後ろを振り返って、

「お前一人で外に出たのか⁉」

と声を張り上げた。

「もうここに来て2年だよ。僕だって家の構造くらい覚えたから、できるかなって」

 マシューは少し俯いて呟いた。兄さんばっかり、大変だと思ったから。役に立ちたかったんだ、と言うマシューは、色素の薄い目を瞬きしてそう言った。マシューは優しい弟だ。ノアは十分それを理解している。でも、目が見えない分、様々な危険がつきまとう。もし何かあったらでは遅いのだ。

「ありがとう、マシュー。でも気持ちだけで嬉しいよ。何かあったら兄ちゃん心配になるからさ」

 ノアはマシューの頭をくしゃくしゃしながら、諭すように話した。弟は、でも、とまだ話したりなさそうだったが、「もう少しでご飯できるぞ!」と無理やり話を終わらせた。


 夕飯を食べ終わり、ノアは2人分の寝床を整える。明日は朝早くから配達の仕事があるので、いつもより早めに寝なければいけない。

「兄ちゃん、じゃあ、家の中の掃除だったらいい?」

 2人一緒に薄い毛布をかけると、マシューはノアの方を見て聞いた。

「まあ、そうだな。台所には近づくなよ。包丁で手を切ると危ないから」

「うん、分かった」

 兄の許しを得たのが嬉しかったのか、マシューは目を細める。頭を撫でてやると、また嬉しそうに笑った。

「お前の頭はほんとに、犬みたいだな」

「犬?」

「そうだ。前話しただろ? 俺たちとは違って四足歩行で歩くんだ。犬っていっても、いろんな種類がいるんだ。そうだな、マシューは……、トイプードルみたいだな」

「それってかっこいい?」

 犬については昔教えたことがあるのだが、犬種については話したことがなかったので、マシューは不思議そうに兄に尋ねた。

「かっこいいというより、かわいいかな」

「僕かっこいいのがいい!」

 自分がかわいい犬みたいだと言われたのが気に入らず、不服そうに頬を膨らませた。そういうところだ、とノアは思う。口に出したらまた何か言われそうだと考え、喉までで止めておいたが。

「大人になったらかっこよくなるかもな」

「本当に? 兄ちゃんみたくなれるかな」

 俺みたく? とノアはそのままオウム返しにする。

「うん。兄ちゃんみたいに、かっこよく、頼りがいのある人になりたい……」

 そこまで言うと、マシューは眠気が限界まできたのか、語尾がどんどん小さくなってしまった。今日はきっと家の外に出て神経をつかったのだろう。外に出るときは一緒に出たことしかなかったため、疲れているはずだ。

「おやすみ、マシュー」

 自分も早く寝ようと目を閉じる。今日起こった不思議な出来事――例のお店のことが気になったが、そのまま眠りについた。



     *



「マシュー、マシュー」

 早朝。本来ならばメモを残してそのまま配達に行きたかったが、他に連絡を残す手段がない。申し訳ないと思いながらも、ノアは弟を軽く揺すって起こした。

「ん~……。おはよう、兄ちゃん」

「パン、テーブルの上に置いておいたから、後で食べろよ。お前はもう少し寝てていいぞ」

「うん、食べる……。僕も、行くよ」

「寝ぼけてるのか? じゃあ行ってくるからな」

 ノアは簡単に準備を済ませると、まだ日が昇り切っていない外へと出た。昨日、帰ってきたら修理に出していた箒が届いていたので、それに乗って空へ飛びあがる。

 まだ日の昇っていない街中、灯りがついている小さな建物が見えてきた。そこに降り立って中へ入ると、背の高い男と、お腹の出た体格のいい男が仕分けをしていた。

「おお、お早うノア。今日もありがとうな」

「お早うございます。こちらこそ本日もよろしくお願いします」

 ノアはこっちの区画を頼む、と言われたので、返事をしてさっそく箒に跨った。流星新聞は住民の大切な情報源だ。丁寧に配達しなければならない。

 辺りがすっかり明るくなったころ、全てを配り終わり配達屋に戻った。

「無事に終わりました!」

「おう、お疲れ。これ、今日の分だ」

 普通は月の給料はまとめて渡されるのだが、ノアはこうして特別に日払いで貰っている。事情を話したところ、OKが出たのだ。「今時かわいそうにな」と憐れんだ目で見られた時は、自分が惨めに思えて悲しくなったが。

 渡された封筒を持って家に帰る。

 俺は惨めじゃない。俺たちは惨めじゃない。むしろあの父親や家族の方が異常だろう。

 風を受けて豊かな髪が揺れる。

 母と自分と弟を捨てて出ていった父。マシューを虐めたあの家の少年。それを見なかったことにして、挙句の果てに空気のように扱った親戚たち。あいつらは母さんが亡くなった時も、たいした反応を示さなかった。許さない。俺たちはあいつらなんかとは違って、まともに生きてやるんだ。

 ノアは歯を食いしばった。俺が頑張らないと、と自分を鼓舞する。マシューは好きでああいう風に生まれてきたのではないのだから。

 家に着くともう弟は起きていて、笑顔で出迎えてくれた。

「兄ちゃん、おかえり」

 

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