第9話 貴族の娘(9)

 あれから僕はエミリアに会っていない。父から聞いた話では、エミリアはエウゲン・ゲーナウとの婚約が決まったらしい。近々結婚式を挙げるそうだ。貴族の中でも位が高いローライト家と、大物政治家の息子の結婚。さぞかし盛大な式になるだろう。

「フェリクス。私たちへも式への招待状が届いた。当日はきちんと準備をするのだよ」

「えっ……、僕も、行くのですか?」

「当たり前だろう。お前はうちの長男だ。兄弟を代表して参加してほしい」

「え~、いいなあ、兄様」

 3つ下の弟が羨ましそうに僕を見る。対する僕は、絶望感で溢れていた。そんなに行きたいならば、本当に変わってほしい。

「お父様、式では美味しいお料理が沢山出るのでしょう? いいなあ、お兄様」

 まだ小学院に通う妹も羨望の目で僕たちを見る。

「大勢の人が来るからな、兄弟全員では行けないのだよ。ごめんな」

 父はそう言って2人の頭を撫でた。

「フェリクス」

 俯いて何も喋らなくなった僕の頭にも手を置いた。

「仕方ないんだ。お前の気持ちは……。痛いほど、分かる。でも仕方ないのだよ」

「フェリクス」

 母も僕の傍に寄ってそっと手をとった。両親の優しさに涙が込み上げる。

「えっ、兄様泣いてるの⁉」

「こらよしなさい!」

 弟は母に注意され不服そうだったが、それ以上何も言うことはなかった。

 そうだよな。僕は大人なのに、自分の涙も制御できないなんて。本当にみっともない。見苦しい兄でごめん。父上も母上も、こんなに弱い僕でごめんなさい。家族の前でこんなに泣くのは初めてだったから、妹も「お兄様大丈夫?」と心配してくれた。早くこの涙がすべて流れて、枯れてほしいと思った。もう二度と泣けないように。

 せめて役目は果たそうと、結婚式に行く決意を固めた。



     *



 晴れの日。空には太陽が輝いている。2人は幸せそうだった。多くの人たちが祝福した。エミリアは綺麗だ。顔を見合わせて、お互い笑い合っている。拍手をしているとまた涙が溢れてきそうだったので、ぐっとこらえて我慢した。僕の感情をこんなに動かすのは、君しかいないのに。この先僕にはあの時みたいな笑顔は見せてはくれないのだろう。悲しくて悲しくて、それでも君への想いは消したくなかった。心の奥底にしまっておこう。君がこれからずっと、幸せでありますように。僕の幸福は君だった。



     *



 城へ戻ると、今日の出来事はすべて夢のようだった。いや、夢であればいいのにと思う。

「初めまして、フェリクス様」

 いつの間にか隣に少女が立っている。これもきっと夢だ。

 夢?

「え……?」

「初めまして、フェリクス様」

「だ、誰だ君は!」

 この部屋に入るにはドアは一つしかない。窓も完全に締め切っているし、ドアが開くのなら音が聞こえるはずだ。

「驚かせてすみません。わたくし、桔梗と申します。主様とエミリア様の命でやって参りました」

「あ、主様? エミリア? いったい君は……」

 あまりに突然すぎて混乱していた。ここまでどうやって入ったのか分からないし、けれどもエミリアという聞きなれた、言いなれた名前が出てきて、多少は落ち着くことができた。

「これを」

 どこからともなく少女はすっと一輪の花を差し出した。紫色の綺麗な花だった。

「エミリア様からです。ヒヤシンス、という花だそうです。」

 それと伝言が、と少女が続ける。

「『どうかお幸せに』」

「……!」

 その花を受け取るやいなや、涙がまた泉のように湧き出てきた。あれがエミリアの決断だというのならそれを尊重したい。けれど、僕は君に殺されてしまったも同然だ。

 それでも。

「フェリクス様、わたくしの主様のお店に来てはいかがでしょう」

「え……」

「エミリア様への感情を売ってしまうのです。『好き』という気持ちを。そうすれば楽になるのではないですか?」

 捨てる。エミリアへのこの気持ちを。

 確かに、失ってしまえば辛いことも、悲しいことも忘れてしまえるかもしれない。しかし、そんなことをしたらきっと、あの楽しかった思い出もすべてがらくた同然になるだろう。せめて思い出だけは輝くままにとっておきたい。

「遠慮しておくよ、ありがとう」

「そうですか。残念です……。あなたは、お強い人ですね」

 それでは、と言うと少女はまたすっと消えてしまった。

「あ、待って……」

 エミリアとどんな関係なのか、そのお店は何という店なのか、あの子の正体はなんだったのか。謎に包まれたまま、僕には一輪の花だけが残された。

「エミリア」

 名前を呼びながら花を見つめる。小学院の時は大人しかった彼女。中学院では悲しみから足を踏み出して明るくなっていた。会う機会は年々減っていたけれど、君はずっと君のままだったね。僕がどこかで違った行動を起こしていたら、違う言葉をかけていたら。こんなに人の気持ちに鈍感じゃなかったのなら今とは別の未来があったのかな。

 花瓶を用意して、丁寧にそれを飾った。紫白い壁にがよく映えた。



     *



「おかえり、桔梗」

「ただいま戻りました。……それにしても、今回はサービスがいいですね」

 店へと帰ってきた桔梗は、そう尋ねた。

「そうかな。彼女は2回も利用してくれたからね。そのお礼、でもある。あんな必死に頼まれたら断りにくい」

 店主はスイを撫でると、ゴロゴロと気持ちよさそうに目をつぶった。

「それにしても、『無関心』と交換するとは……」


『店主さん、わたし、このままフェリクスに気持ちを抱いていても辛いことしかないって分かったの。だから、代わりに……。彼への「無関心」をちょうだい』


 そう決意した目で話すエミリアの顔が思い浮かぶ。

「このお店のルールですものね。一度買った感情は再び売ることはできない。その代わり、交換することはできる、と」

「ああ。こちら側からしたら、せっかく売れたのにすぐいらないと言われるのは残念だからね。どうしてもというのなら、交換で契約することにしているんだ。……にもやり方は書いていないし」

 店主は立ち上がり、店の掃除を始めた。

「やっぱり、感情なんてただ厄介なだけなんだ」

 店主の脳裏にはある人物の顔が思い浮かぶ。自分の名前も覚えていないのに、なぜかその少女の顔だけは鮮明だ。時々夢の中にも出てくる少女。彼女は決まって自分に笑いかけ何かを話しているが、声は聞こえない。そして気づくと目が覚めているのだ。

 正体不明の夢についていつまでも考えるのは無駄だと店主は思い、掃除を続ける。看板を閉店の文字に裏返し、明かりに手をかざすと、店は森の闇の中に溶け込んでいった。




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