第8話 貴族の娘(8)
あれから手紙は何度も続いた。時々返事がゆっくりなこともあったが、エミリアも忙しいからと、そんなに気にすることもなかった。
3年生に進級し、卒業まで1年を切った。中学院は6年制なのだけれど、僕たち貴族は16歳で成人と決められている(普通は18歳)から、3年生で卒業になる。卒業したら、今度は公務に参加するようになるのだ。各地の視察や行事への出席など様々だ。
夏。エミリアとの予定があり、また久しぶりに会った時のこと。
「フェリクス、言いにくいんだけど……」
「うん。どうしたの?」
エミリアの次の言葉を待っていると、ゆっくりと言葉を紡ぎだした。
「お父様に、もう会うなって言われてしまって。だから、ごめんなさい」
これで最後にしよう、と彼女が言ったとき、やけにそれが頭に響いた。
「どうして」
「家の、都合。ごめんなさい、それしか言えないわ」
「そっか……」
まただ。小学院の時と同じ。僕はエミリアに手を伸ばしてもずっと届かない。やっと届いたと思ったらすり抜けてしまう。それが悔しくて悔しくて、仕方がないのだ。でもこれ以上言うのはやめようと決めた。彼女にいらぬ負担をかけてしまうだろう。
「じゃあ、今日はいっぱい楽しもう。エミリアの行きたいところに行こう」
「……うん」
僕は、彼女の笑顔も声も、すべてが大好きだ。
*
「フェリクス様、今日はありがとうございました」
「いいんだよ。それにしても、よく緊張しなかったね」
「していましたよ! 上手に隠せていたのなら何よりです」
僕はこの日公務でローライト家の城の近くに来ていた。父上からベルに公務の様子を見せてやってほしいと言われていたので、ベルと一緒に参加することになった。ベルは特に緊張もなく平気に見えたが、そんなことはなかったらしい。
「それで、これから行きたいところがあるんだけど……」
「エミリア様のところですね」
「うん」
中学院に入って初めてエミリアと久々の再会をしたときは、胸が躍るようだった。でも今は、直接ローライト家の城に行くこともあって緊張の方が勝ってしまっている。成人するまではお互い与えられた家で過ごしていたが今はもう城での生活になっているため、こうして訪れるのは初めてだ。
あれからエミリアと会うことはなくなったが、手紙のやり取りは続いていた。その中に今度お城に遊びに来てほしいと書いてあったので、彼女を驚かせてみたくなりこうして内緒でやって来たのだ。もう会えないと思っていたので、その手紙をもらった時は本当に嬉しかった。
「付き合わせてしまってごめんね」
「いえいえ。気になさらないでください」
ベルには中学院の時から世話になりすぎている。今度何かお礼をしなければ。
城に到着すると、そこにはエミリアの姿がなかった。護衛の者に聞けば、エミリアは今日公務で城を出ているらしい。
「別の日にしたほうがよさそうかな」
「そうですね、……あっ、フェリクス様!」
ベルの視線の先を見ると、そこには帰ってきたばかりのエミリアの姿があった。変わらない金髪と緑色の目をした彼女は、驚いた顔を見せる。
「やあエミリア、久しぶり!」
それからエミリアは僕たちを部屋の中へと紹介してくれた。ベルのことを紹介し、彼女には悪いが少しの間席を外してもらう。2人きりになり、僕はある物を取り出してエミリアに渡した。選ぶのに時間がかかってしまい、こちらに足を運ぶ機会もなかなかつくれなかったので大分遅れてしまった。開けてみて、とエミリアに促す。
「わあ……。綺麗」
ハートをモチーフにしたシルバーのネックレスが、彼女の手の中で輝いている。エミリアはさっそくそれをつけてくれた。ありがとうとお礼を言われるが、むしろこっちがお礼を言いたい。僕の感情をこんなに豊かにしてくれたのは君なのだから。幼い頃から勉強漬けだった僕は、あまり何かに心を動かされることがなかった。鈍感だ、と言われることが多い僕はその通りで、人の感情の動きに疎かった。
その人をもっと知りたという欲求も少なかったのだ。
それから、また会おうねと言い、僕たちは城を出た。
「エミリア、ネックレスを渡したらすぐにつけてくれたんだ! とても似合っていたよ……」
「それはよかったですね! ……それにしても、フェリクス様は本当に変わりませんね」
「? 何が?」
「ふふ。……いえ、今のは聞かなかったことにしてください」
ベルはそれ以上何も言わないままただ笑っていた。帰り道、僕は彼女に自分の気持ちを伝えた。
「次エミリアに会う時、け、結婚を前提に交際を申し込もうと思っているんだ」
ベルは驚いて一瞬動きが止まったが、すぐに目を輝かせて「応援しています!」と言ってくれた。
「それで、君には色々とお世話になったから、一度お礼がしたいと思っていて。何か欲しいものがあれば言ってくれ」
「あら、交際がスタートしてからでもいいのですよ? でも、そうですね……。ものではないのですが、もう一度ローライト家のあの街へ行きたいです」
「それだけでいいのかい?」
「はい。あそこへは今日初めて行きましたが、すごく綺麗で豊かなところでした。……そこのお店でお気に入りのものがあったら、その時はお願いします」
ふふ、と今度は少しいたずらっ子のような笑顔を見せた。僕はそれを承諾し、再びローライト家の街へ行くことを決めた。
何日か経って、僕はベルが言っていた通り、ローライト家の街へと訪れていた。次の日はちょうど同じ貴族の方と会う約束があったため、この街にホテルをとっている。
「わあ! フェリクス様、あそこ!」
ベルがはしゃいで向かった先は、演奏者たちの所だった。
「とっても素敵ですね。……そうだフェリクス様」
えいっ、と言ってベルは突然僕の腕に彼女の腕を絡ませてきた。
「なっ、ベル、何してるんだ!」
他の観客たちもいるため小声で注意をする。
「だってフェリクス様、ずっとエミリア様のことが好きだったから異性と関係がなかったでしょう? だからエミリア様の前で格好がつきますように、……あっ」
変なことを言いだしたかと思うと、ベルはすぐに腕を離した。はしゃいでいた彼女だったが一瞬で顔を曇らせる。
「どうしよう、フェリクス様、ごめんなさい」
「今度は急に謝りだしてどうしたんだい」
「今、エミリア様の姿が……。私たちを見た後すぐに走って行ってしまったの。もしかしたら、変な誤解をされてしまったかも……」
「まったく、もう……。それじゃあ明日エミリアのところへ行って説明してくる」
「では私もご一緒させてください。きちんと謝りたいです」
ベルは懇願したが、彼女はまだ学生だ。明日は学院があるだろうと、僕一人で行くことにした。
もしエミリアが僕たちの関係を誤解していたのなら、それは絶対に解かなければならない。僕が想っているのはエミリアだけで、ベルも僕のことをそういう目で見ていたことは一切ないのだから。もし解けなかったらその時は、ベルを呼んで一緒に謝ろうと決めた。そして無事に解けたら僕はエミリアに……。そこまで考えてしまったが、それはまず明日エミリアに会ってからだろうと首を横に振って自分を落ち着かせた。
次の日、約束していた貴族の方と面会した。
「ではフェリクス殿、こちらがその代金でございます」
目の前の男性――アイザック殿――は分厚い封筒を渡した。
「ありがとうございます、確かに受け取りました」
「しかし、やはりスミッケン家の宝石は実に美しいですな。私は今回初めて拝見させてもらいましたが、貴族御用達と言われる通りの美しさです」
「いえ、そのようなことは……。昔と比べれば店舗の規模も小さいですし」
僕の先祖は貴族ではなく、元宝石商だったらしい。以前父が教えてくれた。その保有する宝石の美しさと経済の手腕からかつての王に認められ、貴族入りを果たしたらしい。もう何百年も前の話だが、スミッケン家は今も宝石専門店を運営している。その顧客のほとんどが同じ貴族だが、稀に市民も利用している。
アイザック殿は実に明るい方で、年は離れていたけれどあまり構えずに色々と話をすることができた。式典に参加した時のこと、友人との話、子どもたちの話……。結婚していて子どももいるということが分かったので、この方になら少し聞いてみてもいいかもしれない、と思った。
「あの、少しお聞きしたいことがあるのですが」
「なんでしょう。私に答えられるものであればなんでもおっしゃってください」
「その……。アイザック殿は、プロポーズの際にどのような言葉を贈ったのでしょうか」
「なんと! フェリクス殿ももしや……!」
「い、いえ、まだ先になるとは思いますが!」
僕がプロポーズという言葉を口に出した途端、目の前の御方は途端に身を乗り出してきた。
「いやあ、若いとはいいことですなあ……」
「い、いやあ、そんな……」
なんだか背景もキラキラして見える。
「私の時は、本当にシンプルな言葉を贈りましたよ。これから先もずっと一緒にいてほしい、というような。勿論緊張はしましたが、自分の思ったことを素直に伝えればよいかと」
「思ったこと、素直に……」
「はい。応援しておりますよ」
アイザック殿は裏表のないにこやかな表情でおっしゃった。自分の気持ちを素直に伝えるのは一見簡単だと思えるが、難しそうだ。「こんな質問に答えてくださりありがとうございます」と彼にお礼を言うと、
「気にしなくてよいですよ。ははあ、やはり若さとは美しい……」
とまた同じことを繰り返していた。
アイザック殿と分かれ、エミリアのいる城へと向かう。また来たと変に思われないだろうかと心配になったが、アイザック殿の言葉を思い出した。プロポーズに限らず、素直に気持ちを伝えることはどんな時でも大事だ。うまく誤解が解けますように。そう祈って城へと到着した。
「フェリクス様。いらっしゃったのですか」
「ヴァレンティンか。今日もご苦労だ」
「覚えてくれていたのですか。光栄です」
ヴァレンティンは僕が小学院に通っていた頃からずっとエミリアの護衛をしていたので、顔と名前はすっかり覚えていた。真面目で護衛としても成績のいい彼は、部下からも同僚からも好かれているらしい。
「エミリアに直接伝えたいことがあって会いにきたんだ。彼女は城の中かい?」
「ええ、いらっしゃいますが……」
「? どうかしたのか」
言葉に詰まっている様子に少し違和感を感じる。
「いえ、失礼しました。エミリア様なら今頃自室にいらっしゃると思います」
「そうか。ありがとう。案内してもらえるかな」
はい、とヴァレンティンは僕をエミリアの元に連れて行ってくれた。
「あちらに見えるのがエミリア様です。まだ部屋へは戻っておられなかったようですが」
「ありがとう、ヴァレンティン」
それでは、と一礼した後、彼はすぐに戻って行った。
「エミリア!」
後姿に声をかける。
「フェリクス……」
「近くに用があって、また来てしまったよ」
この間のことを謝りたいと、もし誤解しているのなら説明したいとの旨を話した。しかし、
「それがどうしたの?」
「え、」
目の前の彼女がまるでエミリアではないように感じた。聞いたことのない低い声。あまりの驚きにうまく体が動かせない。今までのエミリアは、見た目や話し方が変わったとしても中身は優しい彼女のままだった。優しくて、傷つきやすくて。だから傍にいて守ってあげたいと、僕のそばにいてほしいと思った。でも、今の彼女はどうだ。これではまるで、まるで。
「あ、お父様と話したいのならたぶん自室にいると思うわよ。じゃあね」
まるで別人だ。
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