第7話 貴族の娘(7)
エミリアと初めて会ったのは、まだ小学院に上がって間もない頃だった。その時のエミリアはまだ母を亡くしたばかりで、寡黙で、滅多に言葉を発さない子だった。僕は父からそのことを聞かされていたので、仕方がないと思っていた。両親も兄弟もいる僕なんかには、エミリアの心境は、苦しみは、想像できない。
そんなエミリアの事情を知らない周りの子たちは、エミリアのことを執拗に揶揄った。何で喋らないのー? とか、耳が聞こえないんだろ、とか。色んな言葉でエミリアのことを罵倒した。しかし変なところには頭が回る奴らだったので、先生が見ているところでは何もしなかった。それどころか、仲がいい素振りを見せていたと思う。僕はそんな連中が嫌いだった。
始まりは僕はあいつらとは違うんだという、くだらないエゴからだったかもしれない。僕はできるだけエミリアに話しかけるようにした。昨日の宿題は少し大変だったねとか、エミリアはどんな食べ物が好きなの? とか。今思うと馬鹿らしい、どうでもいい質問ばかりだ。でもエミリアは、最初はきょとんとしていたけれど少しずつ話してくれるようになった。大変だったけど数学は好きだからまだ大丈夫だった。パスタが好きだけど、きのこが入っているのは嫌い。そのうち僕から話しかけなくても喋ってくれるようになった。
「あの、これ」
高学年に上がったある日、人気のないところに呼び出された僕は、エミリアに赤いリボンでラッピングされている可愛らしい袋をもらった。
「僕にくれるの?」
そう聞くと、こくりと小さく頷いた。
「誕生日プレゼントよ。お家で食べて。お手伝いの人と作ったの。それじゃあ、わたしはもう迎えが来てるから!」
待って、と言う前にエミリアは走って行ってしまった。お礼も言えなかったのが残念だ。気のせいか、エミリアの耳が赤くなっていた気がする。
言われた通り、家に帰ってから開けて中を見てみると、美味しそうなドーナツが入っていた。
「わあ……」
思わず声に出してしまう。すると、近くにいた侍女が寄ってきて、
「坊ちゃま、それはどうしたのですか?」
と尋ねてきた。友達にもらったんだ、と素直に答える。すると侍女は、
「それは良かったですね」
と何やら意味ありげに口元を押さえながら笑った。
「?」
何も分からなかった僕は、その様子を不思議に思いながらドーナツを頬張った。優しい甘さが口いっぱいに広がる。ありがとう、と感謝の気持ちをエミリアに伝えながら食べた。あっという間になくなってしまった。
次の日教室に行くと、いつも通りエミリアの姿があった。
「昨日のドーナツ、美味しかったよ。ありがとう。エミリアは料理が上手だね」
「そ、そんなこと、ないよ。言ったでしょ? あれは一人で作ったんじゃないもの……」
「でも嬉しいよ」
エミリアはそれ以上は喋らなくなり、そっぽを向いてしまった。何か変なことを言ってしまっただろうか、と心配したけれど、授業が終わるといつも通りだったため杞憂に終わった。
それから僕たちは中学院に上がったが、それぞれ別の学院になってしまったせいで一気に交流が減った。小学院は貴族出身の子どもたちが通うところだったのに比べ、中学院は出身は関係なしにその地区の子どもたちが集まる。そこでも友達はできたけれど、自分のことよりもエミリアはうまくやっているだろうか、とそればかりが頭の中を支配した。
入学して一年が経った夏の頃、偶然街中でエミリアの姿を見つけた。エミリアと、男女それぞれ一人ずつ。
良かった。うまくやっているみたいだ。そう思ったが、男の顔とエミリアの顔が少し近くなった時、何かモヤモヤしたものを感じた。
(なんだ、これは)
家に帰ってからもずっと黒いもやは消えなかった。いつもああして楽しそうに話しているのだろうか。エミリアは他にも男友達がいるのだろうか。考えているうちに、僕が代わりにあそこに居たかった、という思考に至った。
「そっか、僕は」
エミリアのことが好きなんだ。
すとんと胸に落ちてきたその感情は、自分を納得させるのに十分なものだった。
次の日、ある人物に相談することにした。
「ベル、ちょっと聞きたいことがあるんだ」
「なんでしょうか」
相談の相手は、一つ年下のベル・ロヴェールだ。父はロヴェール家と仲が良いことから、ベルとも昔からよく遊んでいた。ベルとは出身地が離れているが、彼女の父親の都合でしばらくこっちの別荘に住んでいるらしい。だから通っている学院も同じだ。
「あの、さ」
「もしかして好きな人がいるのですか?」
「何で分かったんだい⁉」
「それはエミリア様ですね」
「しかも名前まで!」
あまりの察しの良さに思わず倒れそうになる。大丈夫ですか、と心配される始末だ。
「だって、いつもエミリア様のことを話す時はいつもと顔が違うんですもの」
「そ、それは、どんな風に」
「う~ん……。どんな風に、ですか。こう、ほよんっとして、きゅるきゅるーって感じです」
「君は昔からそうだけど擬音が独特だな……」
それから、恋愛については初心者だった僕は、これからどうしたらよいかなどをベルに相談した。
「確認なのですが、小学院を卒業してからは一度も会ってないのですよね?」
「うん……。自分の気持ちを自覚してからは、今まで通り振舞えなくて……」
ベルは顎に手を当て考える。すると、ピンときたのか、はっと顔を勢いよく上げた。
「でしたら、まずお手紙を出してみるのは如何でしょう」
「! 天才だな、ベル!」
「天才のハードルが少々低いのでは……」
ベルが何か言っているみたいだったが、今の僕は手紙の内容で頭がいっぱいだった。
「エミリア、元気にしてた? 久しぶりに会いたい……ああだめだ、これは直球すぎる」
手紙を書き終えるまでかなりの時間を有してしまったけれど、無事に最後まで書くことができた。部屋の中には没になったくしゃくしゃの手紙がそこら中に捨てられている。
変に思われないだろうか、文章はおかしくないだろうかなど、不安な点は沢山あった。けれどこのままだと埒が明かないから、思い切って出すことにする。
「アイリス、頼むよ」
家で飼っている白鳩のアイリスに手紙を持たせ窓から飛ばした。どうか返事が来ますようにと祈りながら、机に向かって勉強を始めた。
数日後。
「ベル!」
「わっ、急に大声を出さないでください!」
「返事が来たんだ、見てよ!」
「そんなに近づけられたら逆に見えません!」
それもそうか、と思いベルの顔から手紙をどけた。呆れてジト目で僕を見るベルに謝る。こんなに気持ちが浮き立つの何時ぶりだろう。鏡を見なくても自分の顔が予想できる。
「それで、何と書いてあったのですか?」
「まず、手紙をありがとう、だって。そして最後には、予定があれば久しぶりに会って話したいって書いてある!」
「あの、分かりましたから、そうやって手紙を押し付けるのはやめてください!」
「あ、すまない」
どうやらさっきまでのことは忘れてまた同じことをしていたようだ。ベルは「こんなお人だったとは……」と何故か残念そうにしている。
それにしても、まさかエミリアの方から誘ってくれるとは。エミリアも僕と同じ思いだったことがとてつもなく嬉しい。
「では、またお手紙は続けられそうですね」
「ああ。本当にありがとう、ベル」
ベルは小さく口角をあげて、
「いえいえ。お力になれて嬉しかったです」
と言った。
「でもこの内容だと、おそらくですが……。今までの話と合わせるとエミリア様も……」
「ん? どうしたの?」
「い、いえ。ご自分で気づく方が、大事ですものね」
*
手紙のやり取りはしばらく続いたが、その代わり僕たちはなかなか会えなかった。2か月ぐらいが経ち、ようやく予定が合ったので2人でランチを食べに行った。お互いに離れたところに護衛はついているけれど。
「エミリア、久しぶり! 会えて嬉しいよ」
「フェリクス! お手紙ありがとう。わたしも嬉しいわ」
街中は多くの人の声で溢れていた。それでもエミリアの声だけが僕の耳に響いてきて不思議だった。心地よかった。声が聞けたというだけで明るい気持ちになる。
お店に入り、僕たちはパスタを頼んだ。僕はナポリタンで、エミリアはアラビアータだ。2人分の料理が運ばれてくるまで待って、それから一緒に食べ始める。
「エミリア、そっちの学院はどんな感じ?」
「毎日楽しいわよ。友達も沢山できたし。もうフェリクスの心配は必要じゃないわ。そういうフェリクスはどうなの?」
話していて、あれ、と思う。小学院の時のエミリアがまるで嘘だったみたいに、活発に、堂々とした性格になっている。少し寂しかったが、これが本当のエミリアなのだと感じた。あの時の彼女は母親を失ったショックで立ち直れなくて、ずっと一人で苦しんでいた。だからこれは良いことなんだ。本来ならすぐに喜ぶべきなのだろうが、どこか彼女が遠くに行ってしまったようだ。
「……フェリクス?」
「あっ、ごめん。それで、何だっけ?」
「フェリクスは、学院ではどんな感じって質問。……ねえ、もしかして今日会うの迷惑だった?」
「えっ」
予想外の質問に驚愕してしまう。
「どうして? そんなことないよ」
「そう? フェリクスって昔から勉強熱心だったじゃない? あなたのお父様は随分教育に力を入れてて。それで、疲れているんじゃないかと思って……」
そう言うエミリアを見て、僕は思わず笑ってしまった。
「ちょ、ちょっと、なんで笑うの?」
「ごめんごめん、体調は大丈夫だよ。ただ、嬉しくて……」
「嬉しい?」
控えめに怒る彼女。自分はエミリアの表面しか見ていなかったのだと気づいた。彼女の内側は何も変わっていなかったのに。
「うん。ありがとう、エミリア」
「急にやめてよ、そういうの……」
顔を背けてしまうエミリアが純粋に可愛かった。
お店を出た後は街の中を回って、色々な話をした。学院のこと。最近使えるようになった魔法。友達のこと。
夕暮れが近付いて、別れの時間になる。
「じゃあね、フェリクス。今日は楽しかった」
「僕も楽しかったよ。エミリアが良ければ、また会わない?」
「うん……。そうね、また会いましょう」
少しの間が気になったが、お互い手を振って帰路につく。
この日から3年生に進級するまで僕たちは会うことがなかった。
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