第6話 貴族の娘(6)
エミリアは至って真剣だった。
「まだあなたが感情を購入してから一週間も経っていませんが、いいのですか?」
「ええ……。わたしは、わたしの思ってるよりずっと馬鹿だったってことよ。店主さんにも色々と迷惑をかけてしまったわ。ごめんなさい」
「ちょっと不気味です」
「ぶっ……、人がこんなに真摯に謝ってるのに!」
ああ、すみません、と何の感情もこもっていない声で形だけの謝罪をすると、
「まあでも、こうして変わらないあなたがいてくれてよかった」
暗い影を落としながらエミリアは微笑んだ。いつも店の奥に身を潜めているスイが彼女の足元にすり寄る。エミリアはそんなスイの頭を撫でながら、
「さっき言ったこと、できるかしら」
と聞く。
「申し訳ありませんが、この店には決まりがありまして……。エミリアさんの言うことはできません。しかし、一つ方法があります」
「方法? それはどんな?」
エミリアは食いつくように尋ねた。店主が簡潔に説明すると、エミリアは腕を組んで「それでいいわ」と頷く。
話は着々と進み、店主は準備を始めた。その後ろ姿をエミリアは静かに見ている。
「では始めます」
目を閉じるとフェリクスの顔が浮かぶ。
「ええ、お願い」
*
面会当日。ローライト家の城にサイモンとエウゲンがやって来た。
「エミリア=サン=ローライトでございます。本日はよろしくお願いいたします、お義父さま」
「ははは、お義父さまなんてまだ早いですよ、エミリアさん」
機嫌が良さそうに目元の皴を浮かべて笑うサイモン。一方、隣に座るエウゲンはずっと下を見て居心地が悪そうだった。しかし決心したように顔を上げると、
「エミリアさん、本当に申し訳ありませんでした」
と、テーブルに顔をぶつけてしまうくらい頭を下げた。
「エッ、エウゲンさん! そんな大げさな」
「エミリアさん、いいんですよ。どうか止めないでください」
「でも……」
エミリアの声を制止するようにサイモンが言い放つ。目の前の二人を見ていると、胸がきしりと痛んだ。悪いのはすべて自分なのに。本当に謝らなければいけないのはこのわたしだ。
それから結婚の話は着々と進み、式を挙げる時期までほぼ確定した。エミリアとエウゲンは席を外し、庭の花を眺めながらゆっくり歩いていく。赤、青、紫、ピンク……、色とりどりに彩られている庭は、太陽の光を浴び風に揺られ、穏やかな雰囲気を形作っている。
「エウゲンさん、あなたが謝る必要なんて、本当に、ないんですからね。気になさらないでください」
一言一言をかみしめる様に、どうか誠意が伝わりますようにと願いながら伝える。エウゲンが何か言おうと口を開きかけたが、
「わたし、最初はこの結婚に乗り気じゃなかったのです」
と言うと、一瞬目を開いて言うのをやめた。しかし、
「ああ、知っていましたよ」
とエウゲンはやわらかい笑顔を見せた。今度はエミリアが驚く番だった。
「だって、エミリアさん、俺と会う時はいつも浮かない顔をしていたから。心ここにあらずって感じでした」
「そんなに顔に出ていましたか……」
「あははっ、そこは否定しないんですね」
何がそんなに面白いのかエミリアには分からなかったが、エウゲンも、今までのかしこまった様子は消え、等身大の彼が姿を現した。きっと彼も、分厚い鎧をつけていたのだろう。
それから、彼は食事会の時の経緯について話した。
前日の夜までは、エミリアに会うのを楽しみにしていたという。しかし次の日目が覚めると、不思議と食事会に行くのが嫌になっていたそうだ。それどころかエミリアに対する気持ちも、好意から不満、そして嫌悪へと変わっていったらしい。
「自分でも、よく分からないんです……。でも今はもうそんな感情は綺麗に消えました」
「エウゲンさん……」
「ねえエミリアさん、二人でいる時は、エウゲンって呼んでください。俺たちはもう結婚するんですから」
「わ、分かりました、エウゲン、」
さん、と、エミリアは語尾に小さく付け加える。「やっぱり無理です」と言うと、エウゲンは「慣れるまで待ちます」と、嬉しそうに言った。
「でしたら、エウゲン、も、呼び捨てで呼んでください。あと敬語はなしで。貴族とはいえ、わたしのほうが年下なのに」
エミリアは口をとがらせ小さく怒りながら提言する。
「あはは、そうです……、だね。ごめん、つい癖で。じゃあ言う通りにします。エミリア、これからよろしくね」
エウゲンは真っ正面に向き合ってそう言った。自然とあたたかいものが体に広がっていくのを感じる。この人から逃げる必要なんてなかった。拒む必要なんてなかった。エミリアもエウゲンの目を見て、
「よろしくお願いします、エウゲン」
とほほ笑んだ。温かい風がエミリアの髪を静かに揺らす。
しかし、「エミリアも敬語はやめよう、夫婦なんだから」とまた一歩先に進むエウゲンに対しては、「それはもう少ししたらでいいでしょうか……」と遠慮するしかなかった。
「二人で話してみて、どうだった」
父はゲーナウ家を外まで見送った後、エミリアに単刀直入に尋ねた。
「はい。とても、いい方でした。あの人とならきっと大丈夫だと思います」
「そうか」
父の反応は短かった。馬車の遠のく音だけが二人の間に落ちる。エミリアは父の顔を見上げながら話をしようと試みるが、父は娘の顔をいっさい見ようとしなかった。
「エミリア」
「はい」
また前を見つめながら父は名前を呼ぶ。
「お前が幸せになれるように、精いっぱい、努力する」
相変わらずこちらを見ようとしない父の顔をもう一度見つめて、
「はい」
と目に涙を浮かべながら、力強く頷いた。
「わたしも、精いっぱい、努力します」
天国の母は何と言っているだろうか。雫が零れ落ちないように、母を見つめるように、夕焼けの空を見上げた。
*
「エミリア!」
一度自室に戻ろうと歩いていると、誰かの声がする。声の主はフェリクスだった。
「フェリクス……」
「近くに用があって、また来てしまったよ」
エミリアは小走りで駆けよってくるフェリクスをただ見つめている。
「この間のこと……、ベルが、謝りたいと」
「ベルが?」
「エミリア、この前僕たちが二人でいるのを見たんだろう? それで見た瞬間エミリアが走っていくのをベルが見たって。それで、もしかしたら勘違いをしているんじゃないかと……。違うとしたらそれでいいんだけれど、僕も誤解を解きたくて」
「それでわざわざ来たの?」
ぴしゃりとエミリアが言い放つと、フェリクスは、え、と驚くように体をこわばらせる。今まで聞いたことのない、低い声だった。
「確かに、二人でいるところは見たわ。それからわたしはその場を離れた。でもフェリクスたちがどんな関係になろうとも、わたしには関係ないじゃない。話はこれで終わりでいい?」
早く部屋に戻りたいと無言の圧を出しながら手短に話す。フェリクスは、目の前の人物が本当にエミリアなのか疑ってしまいそうになった。顔は明らかに同じなのに、中身がそのまま入れ替わったのではないか。それほどまでに異様な変わり様だった。
「あ、お父様と話したいのならたぶん自室にいると思うわよ。じゃあね」
フェリクスの言葉も聞かず、エミリアはそのまま歩き出してしまった。フェリクスは一人その場に取り残される。この数日間で一体何が起こったのか、フェリクスは何も分からなかった。
部屋に戻ったエミリアは、鏡台の前に座り、ふうっと自分を落ち着かせる。
(フェリクス、いきなり来たと思ったら急にあんなことを言いだして。一体何だったのかしら)
鏡の前の自分は少し疲れた顔をしている。夕食までまだ時間があったので、少し横になろうと立ち上がる。その小さな衝動で、首にかけてあるネックレスが揺れた。フェリクスから貰ったネックレスだ。あの時から肌身離さずつけていた。だが今になっては、どうしてずっと付けているのか分からない。
もうエウゲンと結婚するのだし、他の男の人から貰ったものはあまり身につけない方がいいと思ったエミリアは、それをそっと外して箱の中にしまった。
布団もかけずベッドに沈むと、なぜだか胸に小さな穴が空いたような感覚。けれど今の彼女はその正体には気づけない。それどころか、気づかないようにしようと、必死に目を閉じていた。その瞼の裏には、さっき別れたばかりのフェリクスの姿が浮かぶ。悲しそうな顔をしてエミリアの名前を呼ぶフェリクス。小さな寝息が聞こえる頃、彼女自身は知らないまま、頬に涙が流れていた。
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