第5話 貴族の娘(5)

 エミリアが最後にあの店を訪れてから3日後。

(あれから何の音沙汰もないわね)

 今日は何も予定がなかったので、エミリアは自室で魔法に関する本を読んでいた。

 父がゲーナウ家と話し合うと言ってから、何も連絡はない。もうこれで解放されるのだろうか。エミリアは浅い溜息をついた。

「それにしても……。どんな本を読んでも載ってない」

 店主の魔法を間近で見てからというもの、いったいどういう魔法なのか探し続けた。書物に書かれていないか図書館を訪れたり、周りの者たちに聞いてみたり。しかし今読んでいる本にも載っていないし、誰も彼の魔法を知っている者はいなかった。

「少し疲れたわ……。そうだ、ちょっと散歩をしよう」

 あくびをしながら伸びをすると、出かける準備を始めた。本当なら貴族の者が出かけるときには護衛が隣を歩かなければならないのだが、エミリアは昔からそれを嫌った。父も何度も厳重に注意をしたのだがとうとう諦めたのか、離れたところに護衛をつけるという約束で折れてしまった。あの店を訪れる時にいたっては、ひっそりと抜け出していたためその護衛さえもつけていなかったのだが。

「ヴァレンティン、少し出かけるわ」

「はっ」

 護衛にそう告げると、エミリアは街へと歩き出した。


 今日の空は少し曇りがかっているが気温は出かけるのに丁度いい。市場に行くとおいしそうなドーナツが売っていたので、後で食べようと何個か買った。

 歩いていると向こうからバイオリンの音色がする。早足で向かうと、まだ曲は始まっていなかったようで、男たちはせっせと準備をしていた。バイオリンが2つ、ビオラ、チェロ。演奏が始まると、心地よい音色がからだ全体に響く。ほかの観客たちもうっとりとその音色に耳を傾けていた。

 エミリアも暫く味わいながら聴いていた。バイオリンは習っていたことがあったけれど、機会があれば別の楽器も演奏してみたい。エミリアが習ったことがあるのは、バイオリンとピアノだ。そんな風に思いながらふと周りを見てみると、

「……!」

 背の高い少年と小柄な少女。少女は少年の腕に自分の腕を絡ませ、一緒に演奏を聞いていた。

「フェリ、クス……? ベル……」

 その後のことは何も覚えていない。群衆の中をかき分け城へと走っていく。それから自室に鍵をかけて、ベッドに伏して泣いた。ただ、ひたすら泣いた。

 それほどの時間が経っただろう。鏡を見ると自分の顔があまりにも情けなかった。

「ひどい顔……。これは、わたしへの罰だわ」

 人の感情を勝手に弄り、自分のいいようにした。これでは父と何も変わらないではないか。こんなことをしておいて、何も罰が下らないはずがない。自分のことをかわいそうだなんて思ってはいけないのだ。


 その日の夜。食事の時間になりいつもの場所へと向かうと、先に父が座っていた。

「お父様」

「来たか、エミリア。……その顔はどうした」

 慌てて顔を隠そうと手を当てる。

「いえ、なんでもありません」

「……まあ、座りなさい」

 父と向かい合うように座ると、エミリアの元にも料理が運ばれてきた。フォークを手に持ち口へと運ぶ。父はまだ一言も発さず、静寂な雰囲気が流れていた。エミリアの方も何も話さなかった。

「エミリア。サイモン殿が、一度息子のエウゲンと話してほしいと言っていた。どうやら、婚約を破棄したいと言ったのも食事会の当日で急だったらしく、それまでは破棄したいどころかお前との結婚を喜んでいたそうでな。あまりにも不自然だから、会って話し合いをしてほしいそうだ」

「喜んでいた、私との……」

「そうだ。私もぜひそうしたいと、二つ返事で引き受けた。お前はどうだ」

「!」

 結婚のことになるといつもわたしの気持ちを置き去りにするお父様が、わたしに返事を求めている。俄かに信じがたいことだった。

「エミリア、その……。すまなかった」

「お父様」

「エウゲンを見て、私もお前に随分と我慢をさせていたのでないかと、少し反省をしなくてはと思った。これからは、できるだけエミリアの気持ちも尊重する。まあ、この一族の力を取り戻したいという思いに変わりはないが」

「……」

 ローライト家は現在、エミリアとエミリアの父の2人しかいない。父には弟がいたのだが3年前に亡くなり、母はエミリアが6歳の頃に亡くなった。エミリアを産んでからというもの病気がちだった母。懸命な治療をしたものの効果は出ず、そのまま帰らぬ人となってしまった。

 父の周りは、何度も父に新しい妻を迎えるようにと迫った。ローライト家の跡継ぎがいないからである。しかし父はそれを断固として受け入れようとしなかった。父は、母のことを心から愛していたのだ。

 ゲーナウ家の結婚を望んでいるのは権力を取り戻すことだけが目的ではなく、この一族を守るためだというのは薄々だが気づいてはいた。しかし、エミリアは自分のために自分の人生を生きようと心に決めていた。それが母のためでもあると思っていた。

「お父様、わたし……」

 エウゲンは、わたしのように他に想う人がいない。むしろわたしとの結婚を喜んでいた……。

 わたしはそんなエウゲンの気持ちを踏みにじってこんな真似を。

「わたし、ごめ、ごめんなさい。お父様ごめんなさい!」

「どうした、エミリア」

 顔を覆い泣き崩れるエミリアを、父は背中をさすって慰めた。

「お前にもう強要はしない。嫌だったら、そう言いなさい」

「違う、違うんです。わたしが全て悪いの。ごめんなさい、ごめんなさい……」

 そうだ。悪いのはわたし。ほかに悪者なんて存在しないのだ。全部勝手に解釈して、一人で動いて、一人で傷ついた。こんなわたしがまだフェリクスのことが好きだと言っていいはずがない。

 少し時間が経って落ち着いたエミリアは、

「わたしもエウゲン様と会いたいです。もし気づかぬうちに失礼なことをしてしまったのなら、謝ります。そして、婚約を破棄することがないように……、ちゃんと話し合います」

「本当か、エミリア」

「はい。サイモン様にそうお伝えください」

 これでいい。これで全てが解決する。

 エミリアはぎゅっと胸に光るネックレスを握った。

(フェリクス。どうか、幸せに……)

 エウゲンとの約束は2日後らしい。それまでに、もう一度あの店へ訪れてエウゲン様のわたしへの「嫌い」の感情をどうにか出来ないか聞いてみよう。

 今度はお代を忘れないように。

 エミリアは深く深呼吸をして、明日になったらすぐ準備をしようと決めた。



     *



「ワンワン!」

「おや、どうしたんだいコウ。彼女が来たのか?」

 無人の入り口を見て吠えるコウ。少しすると、金髪をおろした少女が扉を開けた。

「ごきげんよう店主さん」

 帽子を取り、頼りない笑顔を浮かべるエミリア。

「またお会いするとは思いませんでした」

「ふふ、店主さんのことだからお見通しだったんじゃないかしら」

 エミリアは店内を歩いて棚を見て回ると、あるところで立ち止まった。後ろを振り返り店主に尋ねる。

「店主さん、無理なことを言ってしまうかもしれないけど……」

 店主は目を逸らさずにエミリアを見る。

「この前買った「嫌悪」の感情、売ることってできるかしら」



 

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