第4話 貴族の娘(4)

 準備を終え、公務へと出発するエミリア。

「今日が来てしまったわ……」

「エミリア様、どうなさいました」

「いっ、いえっ、なんでもないわ」

 護衛の男が声をかける。どうやら声に出てしまっていたらしい。この公務が終わったらゲーナウ家との食事会が始まる。しかし、昨晩は店主の使者の桔梗という大人びた女の子が結果を教えてくれた。今日の食事会に何か影響があればいいけれど。だから今は自分のすべきことに集中しようと、エミリアは言い聞かせた。


 その後、公務を終え再び2時間ほどかけて城に到着した。予定では、食事会が始まるのはあと5時間近くある。とりあえず、何か効果があるまで待とうと決めた。

 16時を過ぎたころ、エミリアの父がノックもせずに部屋に入ってきた。

「エミリア! お前いったい何をした!」

「ど、どうしたのですかお父様」

 今まで見たこともないくらい血相を変えて詰め寄ってくる。額の血管が千切れてしまうくらいだ。

「どうしたもこうしたもない! ついさっきサイモン殿から連絡があったのだ。息子が今日の食事会には参加したくないとな。なにやらお前との婚約も破棄しようとしているらしい」

 本当に願いが叶った! これほど勢いよく叱られていても、エミリアには何も意味がなかった。これで結婚しないで済む。安堵で胸がいっぱいだった。

「お父様、わたしは何も失礼なことはしておりません。本当です。信じてください」

「……」

 少し高い位置にある、怒りで満ちている目をまっすぐ見て訴えると、父は黙り込んで考えている様子だった。

「……本当に、何もしていないのだな」

「もちろんです! わたしがお父様に嘘をつくはずがありません!」

 罪悪感は残っていた。しかし、わたしをここまでさせたのは他の誰でもない、目の前の父である。一族のためとはいえ、娘を道具のように扱う父親。聞けば、お母様もお父様の他に好きな男性がいたという。それでも結婚を迫られ、断ることができなかった。その時のわたしはただかわいそうとしか思わなかったけれど、今なら分かる。どれだけ悲しかっただろう、どれだけ辛かっただろう。それでもお母様は最後までわたしを愛してくれた。世界一尊敬するお母様だ。

 エミリアは、そんな母のかわりとでもいうように、自分は自分のために生きようと必死だった。

「……分かった。とりあえず今日の食事会は中止だ。もう少しサイモン殿と話し合ってみる」

 そうして、父は部屋から出ていった。

 こうしてはいられない。

 エミリアはすぐに代金を用意し、こっそりと城を抜け出してあの森へと駆け出していった。


 街の喧騒を駆け抜けてはずれに出る。途中、空の交通の『虹の便』に乗ってまたしばらく歩くと、濃い緑の森が見えてくる。

「着いたわ……」

 森の中へと足を踏み入れた瞬間。

「きゃっ」

 ふわりと浮遊感を味わったかと思うと目の前の光景が一瞬で変わり、気がつくとあの店の前に立っていた。

「ふふ、……はあ。さすがね、あの店主は」

 一度目とは違い何の戸惑いもなく店の扉を開ける。

「ワン! ワンワン! ヴー-ッ……」

「わっ、なによ! わたしよ、覚えてないの!」

「すみません、知っている人とか関係なく吠えてしまうのです。いらっしゃいませ」

 店の奥から店主が顔を出す。相変わらずこの男は表情を崩さない。

「あ、でもほら」

 店主が足元を見てください、と視線で促すと、コウは尻尾を振ってエミリアを見つめていた。ゆっくりと頭に手をのばすと抵抗なく受け入れる。

「あら、かわいいじゃないの」

「コウは吠えますが絶対噛まないので大丈夫ですよ」

 少しの間じゃれ合った後、エミリアはバッグから財布を取り出した。

「……これ。約束のお代よ」

「ありがとうございます」

 店主はレジへそれを持っていき、丁寧に数え始めた。

「50、51、52……。うん、ちょうどですね。この度はご利用いただきありがとうございました」

 すっと背筋を伸ばしお辞儀をする。

「……桔梗から聞きましたよ。何やら浮かない顔をしていると」

「! べ、別に、そんなことないわ」

 あの子、話したのね、と小声で呟く。

「いいのよ。これでいいの。……だってもう後戻りはできないんだから」

 エミリアは決意をにじませる。ローライト家とゲーナウ家の縁はもしかするとこれで消えるだろう。そうすると、父がまた新しい相手を紹介してくるか、エミリアが勇気をだしてフェリクスに思いを伝えない限り、一生一人になるかもしれない。

 エミリアの脳裏には、あの少女が思い浮かんだ。

 フェリクスと随分距離が近いベル。遠くから見ていてもお似合いだと思ってしまった自分がいた。きっとベルはフェリクスに好意を抱いているのだろう。そして彼も……。そうでなければ、住むところの遠い2人がわざわざこうして一緒に来ることなんてありえない。

「お世話になったわね。ありがとう、店主さん」

「もう戻るのですか」

「ええ。行くわ。ご機嫌よう」

 エミリアはもう一度コウの頭を撫でた後、離れていたスイにも「じゃあね」と手を振った。

「またのご利用をお待ちしております」

 再び丁寧なお辞儀をしながら店主は言った。

「……あなたって本当に面白い人ね。ありがとう、さようなら」

 悲しさの色を滲ませながら彼女は微笑んだ。店主が外へ出る頃には、もう彼女の姿はなかった。

 爽やかな風が店主の頬を伝い、森を駆け抜けていった。

 


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