第3話 貴族の娘(3)

 次の日。今日は夜近くまで公務が入っているため、食事を済ませると父の部屋へ向かう。

 コンコン、と扉をノックし、「エミリアです」と言うと、「入りなさい」というくぐもった声がした。

「失礼いたします」

 中に入り静かに扉を閉める。

「お早うございます、お父様。本日は公務が3件入っておりますので、この後出発しようと思います」

 ドレスを持ち上げお辞儀をして、今日の挨拶と予定を報告した。

「ああ、気を付けて行きなさい。……どうだ、エミリア。公務には慣れてきたかね」

 白い顎鬚を指で遊ばせながら、エミリアの父は尋ねた。

「ええ。まだ完全に、とはいきませんが、以前と比べたらかなり慣れてきたと思います。学ぶことが多くございます」

「そうか、それはよかった。……ところでエミリア、お前の結婚のことについてなのだが」

 結婚、という言葉にエミリアはぐっと拳を握った。お父様はわたしがあの方と結婚することを心から望んでいる……。


 ローライト家はこの国の法律を一からつくった、まさに貴族の中でも位が高い家系だ。しかし近年は貴族と政治の分離が起き、今までのような権力は失いつつあった。政治は政治家が運営し、貴族や王は国の象徴となりつつあるのだ。その家ごとに所有する土地は残っているが、それも名前だけで治める権利も何も持っていない。エミリアは、それについては特に問題はないと思っていた。わたしたちは政治について専門の勉強はしてないし(もちろんそれなりの教養はあるが)、国民のために日々の公務をこなせばいい。だが彼女の父は違う。ローライト家の権力をこれ以上落としてはならない。血を絶やしてはいけない。それが父の口癖だった。

 エミリアの婚約相手は、ある大物政治家の長男だという。政界からは彼の将来に期待の声が上がっているらしい。そんな一族と関係が持つことができれば、この国の政治にも関与できるだろうというのが父の狙いだった。

 この結婚に巻き込まれているのはわたしだけじゃない。相手の方にも、そういう人がいるかもしれないじゃない。それなのに、わたしたちの気持ちはすべて無視して、自分の傲慢を通そうとする。……お父様をこんな風に思う日が来るだなんて、想像もつかなかったわ。エミリアはこれが自分の父なのかと思うと心底悔しく、残念でたまらなかった。

「……それでだな、明日の夜、ゲーナウ家と食事会を開こうと思っているのだ」

「えっ……、明日、ですか」

 考え事をしていて父の言葉が耳に入っていなかったため、突然のことにエミリアは驚いた。ゲーナウ家というのが、エミリアの結婚相手の一族の名だ。

「あ、でも、そんな急に言われては、明日の公務に差支えが……」

「明日は午前中には終わるだろう。15時前には帰ってこれるだろうから大丈夫だ。あちらも夜は特に予定がないらしい」

 すべて把握済みなエミリアの父は、長くなるといけないから一旦これで話は終わろうと、強制終了させた。

 エミリアの結婚の話になると、いつもこうだった。エミリアの意見はほとんど聞かず、気が付くと話はもう終了している。

「……失礼いたします」

 エミリアの目に光は届かぬまま、今日の公務へ向かうしかなかった。



     *



 魔法で造られた馬車に乗り込み、全ての公務を終えたエミリアは城への道を進む。日は既に傾き始め、人々の話し声や笑い声がどこからともなく飛び交う。また少し進むと、今度はバイオリンの音色が聞こえてきた。その周りには人々が集まり、楽しそうに演奏を聴いている。子どもやお年寄り、仲の良さそうな夫婦など様々だ。時には手拍子もしている。

 この国――ルーナシアは今日も平和である。それを示す光景を見て、エミリアは馬車の中で微笑んだ。

(わたしも……、わたしも、いつかあんな風に素直に笑えるのかしら)

 いま自分が置かれている環境、自分を取り巻く人々……。わたしは、ただわたしに生まれただけなのに。エミリアは視線を再び自分の膝へと落とすと、学院に通っていた時に言われた友人の言葉を思い出した。

『エミリアってローライト家の人なんだ! すげー! いいなあ、毎日おいしいもの食べて、なんでも欲しい物を買ってもらえるんだろ? おれたち庶民とはもう全然暮らしが違うんだろうな~。羨ましいよ』

 そうエミリアに羨望の眼差しを送る彼のことを、先生は『いけません!』と窘めていたのを覚えている。

(わたしもあなたが羨ましかったわ……)

 そっと目を閉じ、遠のく音楽に耳を澄ませた。


 エミリアが城に到着すると、そこにはがいた。

「フェ……、フェリクス⁉」

「やあエミリア、久しぶり!」

 こげ茶の髪と青い目をもつ朗らかな少年、彼がエミリアの想っているフェリクス・フォン・スミッケンである。

「どうしたのフェリクス、わたし、今日あなたが来るなんて知らなかったから、何も用意していないわ」

「いや、いいんだよ。こちらこそ急に来てしまってごめん。僕は今日この街に公務で来ていてね。エミリアがいるかと思っていたんだけど、どうやら君も出かけていたみたいだね」

 フェリクスが柔らかく微笑むと、先程の鬱々とした気持ちは嘘だったかのように、心の奥からほぐれていった。このまま外にいてもと思い、応接間へ案内した。

 ところで、エミリアは先程から気になることがある。

「フェリクス、その方は?」

 フェリクスの後ろに隠れるようにして立っている人物。緩いカールをした茶色の髪に、たれ目がちなグレーの瞳をした少女だった。

「はっ、はじめまして。ご挨拶が遅れて申し訳ありません。わたくし、ベル・ロヴェールといいます。よろしくお願いいたします」

 ロヴェール……、聞いたことがある。たしかルーナシアの南西の一部の領土をもつロヴェール家。貴族の中では位の低い方だと、以前お父様が言っていた気がする。わたしは位はあまり気にしないけれど。でもなぜその一族の方とフェリクスが……?

 エミリアはそう考えていると、

「ベル、少しの間席を外してくれるかな」

「はい。ではあちらでお待ちしております」

 フェリクスがベルにそう告げ、二人きりになった。

「色々と驚かせてしまってごめん。僕の父とベルの父は繋がりがあってね。それで結構仲がいいんだ」

「そう、なのね」

 仲がいい、と聞いた瞬間、ほぐれていた心が一瞬で氷のようにきしんだ音がした。

「僕が今日ここに来たのは……、これを君に渡したかったからなんだ」

 そう言ってフェリクスは箱を取り出した。

「開けてみて」

「あ、うん」

 そっと箱の包装をほどいていくエミリア。開けてみると、中には、

「わあ……。綺麗」

「エミリアに似合うのはどれかなと思って、一生懸命選んでみたんだ。誕生日おめでとう、エミリア。遅くなって本当にごめん」

 さっそくそのネックレスをつけると、「似合うよ」とフェリックスが褒めるので顔が熱くなって手でおさえる。エミリアは今すぐ鏡で自分の顔を確認したい衝動に駆られた。

「ありがとう。すごく、嬉しい……。というか、フェリクス、今日はわたしに謝ってばかりね」

「えっ、そうかなあ」

 少しでもこの気持ちを隠そうと威勢をよくするとフェリクスも笑って答えるので、ずっとこんな時間が続けばいいのにと、そう思った。しかし、

「ああベル、待たせたね」

 ベルが応接室に顔を出した。

「いえっ、そんなことありません。邪魔をしてしまったのならごめんなさい」

「いやいいんだよ、今日はもう遅いしね。……じゃあエミリア、また会おうね」

「う、うん。……じゃない、ええ、気を付けて」

 手を振って見送ると、フェリクスも手を振り替えし、ベルはお辞儀をして歩いて行った。エミリアはその後姿をしばらく見つめる。顔を見合わせて何やら楽しそうに談笑し、一度も振り返らぬまま去って行った。どうやら仲がいいというのは本当のようだ。

 わたしにプレゼントを私に来てくれたのなら、どうしてあの子も一緒に来たの? いえ、それ以前に、フェリクスも公務でこの街に来たのならどうして一緒にいるのだろう。ますます分からない。2人で話している時も、あんなに楽しそうで……。

 もしかしてフェリクスは、ベルのことが。

 一度そう考えるともうエミリアの頭の中から離れなくて、その日は食事もあまり喉を通らなかった。父には体調が悪いのかと心配されたが、笑顔で大丈夫ですとだけ答えた。


(もうだめ……。なにも、なにも分からない)

 わたしは一体どうしたらいいの。エミリアの頭の中は真っ白だった。

「また会おうだなんて」

 広い自室にエミリアの声だけが響く。枕に顔を押し付けて何も考えないようにしていた。するとその時。

「エミリア様」

「!」

 扉にも、窓にも鍵がかかっているはずなのに、たしかに彼女の真横から声がした。

「あなたは……」

 ベッドの横には、見慣れない服を着た女の子。

『この者をあなたの元へ向かわせます』

 あの森の中の店主の声を思い出した。

「あなたが、店主さんの言ってた……」

「はい。桔梗と申します。あるじ様の術が完了いたしましたのでお伝えに参りました」

 少女は見た目とは裏腹に、落ち着きのあるつややかな声の持ち主だった。

「そう、ありがとう……」

「どうかしましたか」

「え?」

 エミリアの様子に少女が問いかける。

「昨日の威張った態度が見受けられませんので」

「い、威張った態度って、あなたね!」

 あの店主と失礼なところがどことなく似ている少女に、こちらのペースがもっていかれそうだと感じたエミリアは、

「ほんとうになんでもないわよ」

とそっぽを向いて答えた。昨日と今日の様々な出来事で精神がそろそろ限界を迎えそうなエミリアには、誰かに話をするという、そんな方法さえ頭からすっぽり抜けていた。何よりこの少女はいったい何者なのか。店主の魔法で姿を現したということは、人間ではない。しかし魔法でこんなに会話ができる生き物を生み出すということは聞いたことがなかった。

「お代も明後日までには渡しに行くわ。明日は、申し訳ないけど、行けなさそうだから」

 困ったように笑うエミリアを見て、

「かしこまりました」

と桔梗が呟く。

「それでは失礼いたします」

「ええ、ありがとう」

 お礼を言うと少女の姿は一瞬で消えてしまった。

 エミリアはすぐにベッドに入り目を閉じる。もう本を読むことはしなかった。


一方、森の中では。

「おかえり、桔梗。どうだった」

「はい。完了したとお伝えしたら、何やら元気がない様子でした。お代のほうは明後日までには渡しに行くと」

「なるほど……。やっぱり、思った通りの人だな」

 店主が呟くと、スイがどうしたの? とでも言っているかのように鳴いた。

「一筋縄ではいかなさそうな感じはしたんだ。これからエミリアさんはどうするのかな」

 街中とは違い、月や星が良く見える。カーテンを閉める前にそれらをじっくり堪能した後、

「今日はもう寝ようか。おやすみみんな」

 桔梗の姿は消え、コウはベッドの横に座りスイは上に上がる。

「なんだか僕も疲れたな」

 店主はその言葉を最後に眠りについた。

 そしてまたいつもの時間に起きると朝のルーティーンが始まる。

「おはよう。コウ、スイ。開店の時間だ」

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