第1話 貴族の娘(1)

「信じられない! 噂と全然違うじゃない。こんなドレスで来なければよかったわ……」

 森の中を一人の少女が歩いていく。上に高くまとめた金髪は、この森の中ではさらに美しく見えた。ここを歩くには不釣り合いな、豊かなフリルのドレスをまくり上げて、額に細かな汗を滲ませながら文句を吐いている。どうやらこんなに深い森だとは思っていなかったようだ。

「はあ、はあ……。水……。ちょっと、もうないじゃない!」

 人影途絶える森の中、一人怒鳴り声をあげながら道を進んでいくと、看板が見えてきた。

『←この先 あなたが望むなら』

「……! どうやらこっちは本当だったようね」

 少女は不敵な笑みを浮かべ、親友から教えてもらったことを思い出した。

『エミリア、もしそのお店に行きたいのなら、胸に手を当てながら心の中であなたの願いを唱えて。口に出してはだめよ。強く念じることでそれは現れるそうよ』

 エミリアはその通りに実行した。真剣に念じることで、本人も気づかないうちに眉間にしわが入る。強く。とにかく熱心に唱えることで、姿を現す店。この噂がもし嘘だったら、かなり馬鹿げた行動をしていることになる。しかしエミリアは、藁にも縋る思いでやってきたのだ。それほどまでに彼女は渇望していた。

 もう3回は唱えただろうか。いつまで経っても、聞こえるのはこちらの気も知らない、小鳥のさえずりだけで、何も変化はないようだった。

「なによ。やっぱり嘘ってこと……」

 呆れて目を開けると、そこには淡い茶色をした木組みの家が佇んでいた。驚いて声も出なかったエミリアは、ゆっくりとその入口へ近づいていく。ドアノブにかけられている小さな看板には『営業中』とだけ書いてある。ドアの隣にある大きい方の看板には、店の名前が。

「『感情の雫』……。ほんとに、あったんだ」

 中を覗いてみると、店員と思わしき人物が一人。

 覚悟を決めてドアを開けた。


「いらっしゃいま――」

「ワン! ワンワン!」

「うわっ、なによこの犬!」

 店員の声は途中でかき消されてしまった。それにしても、お店の中に犬がいるとは。魔法を使う時は使い魔として一緒に猫がいることが多いけれど、犬は聞いたことがない。

「よく吠える犬ね、まったく! ……あら、珍しいわ。柴犬なんて」

「おや、ご存じなんですか?」

「当たり前よ。わたしは物知りだもの」

「ほら、コウ。もう吠えないで」

 暫くして大人しくなった犬――コウは、もう一度エミリアのことを見るとぷいっと顔を背けてしまった。

「可愛げのない犬ね。……あら! ちゃんと使い魔がいるじゃない!」

「使い魔?」

「あの猫よ。あなたの使い魔でしょう?」

「違います。それと猫ではなくスイです」

「えっ、違うの⁉ じゃあいったい」

「看板猫、兼ペットです。あちらのコウも看板犬です」

 明らかに信じられないという表情でコウとスイを交互に見る。どう見ても看板犬には不向きそうな犬と、こちらにちっとも興味を示さない猫。エミリアはこの店への不信感を着々と募らせていった。

「えーと、では店員さん」

「違います。店主です」

「あら失礼。まあ、考えてみればこんなへんぴなお店、店員なんていないわよね」

 先程の出迎えがよほど不愉快だったのか、エミリアは嘲るように顎をクイと上げながら言い放った。しかし、この店主は怒る気配もないどころか、苛立ちを感じさせずすました顔を崩さずにいる。なんだか奇妙だった。


「……改めまして、『感情の雫』へようこそ。本日はどういったご用件でしょうか」

 紳士のような振る舞いでお辞儀をし、エミリアの発言をまるでなかったように尋ねる店主。これは何を言っても無反応だろうと察した彼女は、


「では、まずは水を一杯」

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