第11話 死せる体
火陀ケンゴに引きずられるように、五寸釘レオも屋敷に向かうことになった。
「すごい効果ですね。あれも下級魔法ですか?」
「俺たちは精神干渉とか呼ぶがな。魔法使いにとっては、もっとも初歩の技には違いない。ほとんどの魔法使いはこっちの力を磨くけど、俺は違った」
ケンゴは手のひらに炎を生みだした。ただの掌である。それだけでも、レオには仕組みがわからない。
魔法なのだとしたら、そもそも仕組みなどないのだろう。
「どうしてですか?」
「魔法使いも、体は人間と変わらないからな。人体以外の現象を操作するっていうのは、できるけど簡単じゃない。長い時間かけて苦労するなんて、好きな奴じゃないとできないってことさ。人間の世界で生きるのに、精神と肉体の操作以上の力は必要ない。同族の魔法使いたちから見下されないように、覚えたのは最低限だけだよ」
火陀ケンゴの手に生まれた炎は、まるで自ら意思を持っているかのようにケンゴの回りを飛び回り、消えた。
「……魔法使いも、人間ですか」
レオには信じられないことだった。以前はそうでもなかった。火陀ケンゴに会ってから、認識が変った。魔法使いの力は、人間とは思えなくなっていた。その本人からいわれても、説得力がないのだ。
「もちろん。怪我をすれば血が出るし、無理をすれば壊れる。ただ、同時に修復し続けるだけの力があるというだけだ。心臓をえぐられても血流を回せば死ないが、脳が壊れたら死ぬ。もちろん限界はある。マグマの中に落ちて生還したとかいう奴にあったことはないな」
火陀ケンゴは当然のことのように話していたが、レオであれば心臓をえぐられた段階で死ぬ。心臓もなしに、血液をめぐらせる方法などあるのだろうか。
知りたくもあり、聴くのが怖くもあった。
これ以上、魔法使いについての無知を晒して、ケンゴの気分を害させるのも怖かったし、絶望的な力の差を教えられるのも嫌だった。
二人が向かう屋敷の玄関がけたたましく開き、着物を着た小柄な女性が走り寄ってきた。
レオの母、五寸釘クルミである。
屋敷から出てくるなり、五寸釘クルミは二人の足元にひざをついた。
「お待ちしておりました」
「ああ。火陀ケンゴだ」
「赤炎の魔女……」
クルミが呟く。ケンゴは一顧もいなかった。
「俺じゃ不満か?」
「い、いえ。とんでもありません」
五寸釘レオを片腕であしらう中級魔法使いであるクルミが、恐れたように顔を上げることもできずにいる。レオは悔しくなった。
「母さん、顔を上げてくれよ。そんなへりくだった態度しなくても……」
「この国に常駐している魔法使いは3人だけだ。その中じゃ、俺は一番大人しい方だよ」
「解っております」
クルミは相変わらず顔を上げなかった。ケンゴは続けた。
「あんたに言ったんじゃない。こっちの坊やに言ったんだ。俺を怒らせたいのか?」
「……いえ」
逆らってはいけない。レオは自分の声が震えているのを感じた。
ケンゴが指でレオを招く。
唇を奪われた。
ケンゴの舌がレオの口腔に入る。
何のための行為か、全くわからなかった。
ケンゴはレオを見下しているはずだ。
舌を絡め、唾液をすすり、痛いほど、舌を引っ張られた。
レオの膝が落ちる。
精神が犯されたのがわかった。
頭の中に、ケンゴに対する絶対の服従心が植え付けられた。
火陀ケンゴが、くわえていた舌を放し、レオを解放した。
「俺は欲しいと思ったものは手に入れる。あんたの息子はもう、俺のもんだ」
クルミに投げかけた言葉だとわかった。
レオは地面に手をつき、動けなかった。
五寸釘レオとクルミは、全く抵抗できないまま、地面に這いつくばることしかできなかった。
火陀ケンゴが開け放たれた玄関に至る。
「早く来な」
呼ばれたレオは、まるで飼い犬のように走りだしていた。
悠然と屋敷の中を闊歩する火陀ケンゴを追い、追い越して五寸釘レオは氏家レイカが眠る寝室へと案内した。
「こちらです」
「ああ。ご苦労」
ケンゴに胸元をぽんと叩かれ、幸せな気持ちになるのは、服従させられた魔法の影響に違いない。そうレオは思いこんだ。
部屋に入ったケンゴが、空調で冷やされた室内に入る。
レオが続くと、使用人である蛇目スズがレオに近づいてきた。
「誰なの?」
「火陀ケンゴさん、魔法使いだよ」
スズも息を飲むのがわかった。スズは、レイカが生き返るなどとは信じていないはずだ。
蛇目スズが、慌てた様子もなく分厚い室内のビニールシートをめくり上げた。一段と強い冷気が染み出してくる。
「躾がいいな」
ケンゴがスズの頭に軽く手を当てた。スズは恐れたように目に向ける。目を向けられたのはレオである。
逆らってはいけない。その意味で、レオは小さく首を横に振った。
意味が伝わったのか、スズが小さく首肯する。
ケンゴがビニールの内側に入っていく。レオが続いた。
スズが小声で話しかける。
「本当に、生き返らせられるの?」
「あの人が無理なら、もう諦めるしかない。とにかく、これで終わるよ」
「……そう」
スズは自分の胸に拳をあてた。死体のそばにお仕えし続けることが、いかに重荷になっていたのかがうかがえる。レオは小さく頷き、ケンゴに続いた。
ビニールシートで覆われた内側にいたのは、寝台に横たえられた無残な死体と、年老いた中級魔法使いだけだった。
火陀ケンゴは氏家レイカの体を見降ろす。
「死んでどれぐらい経つ?」
レオにではなく、レイカの死体の鮮度を保つためだけに意識を向けている中級魔法使いに尋ねていた。
「40時間ほどでしょうか」
「なるほど……完全な蘇りはもう不可能だな」
「そうですか」
レオは黙っていようと思っていた。ケンゴが集中しているのなら、邪魔してはいけないと思っていた。だが、自然に口をついていた。
「『不可能』ですか……」
繰り返したのは、ずっと続けていた集中を途切れさせた老人だった。
「『完全な蘇りは』と言っただろう。方法は一つじゃない。あんたらがどこまで求めているのかは知らないが、できるところまではやってやるよ」
魔法使いに場所を譲ると、年老いた中級魔法使いはふらふらと五寸釘レオのそばまで移動した。
「良く見つけてこられたな」
「ええ。お疲れさまです」
「ああ……魔法使いの力、見せてもらいたかったが、わしは限界だ」
レオの寄りかかるように、老人は力が抜けた。
ただ眠っただけのようだ。レオは静かに、老人を床に寝かせた。
部屋の扉が騒々しく開き、別の老人が入ってくる。氏家サダオである。火陀ケンゴを雇った本人だ。
ケンゴ自身は、周囲の動きに囚われず、自分の行動に没頭していた。
最初にやったことは、死んでいる氏家レイカの体に、自分の手を差し入れることだった。
レイカは首の骨が折れ、頭蓋骨が砕けて脳が損傷している。肉体を構成する位置は正しく戻されていたが、縫合されたわけではない。
火陀ケンゴはレイカの頭蓋骨に触れると、砕けた部位に指先を差し入れた。
氏家サダオがビニールシートの内側に入り、レイカの死体を挟んでケンゴと向かい合った。
「あなたが魔法使いですか?」
「ああ。あんたは?」
「氏家サダオです」
「この娘の父親かい?」
「そうです」
つまり、金を出す本人である。ケンゴはそのことは尋ねなかった。
火陀ケンゴの指はさらにレイカの脳の内側に潜り込んでいた。指の付け根までが、赤い肉の内側に吸い込まれている。空いた手で、レイカの体をまさぐる。
生き返らせるなら、当然生命活動を停止して40時間が経過している肉体の蘇生も不可欠だろう。
「……どうですか?」
ケンゴが黙ったまま何も言わないので、サダオが尋ねた。レオはケンゴの所作をすべて記憶しようと見つめていた。サダオの声が邪魔だった。ケンゴは怒らなかった。
「『どう』ってのは、何を聞きたいんだい?」
「……レイカを呼び戻せますか?」
「死んだ生き物は戻らない。それが常識だ」
「……では……」
無理なのだろうか。レオはそうは思えなかった。できないことをやろうとしているほど、火陀ケンゴが物好きだとは思えない。勝算があるのではないのか。
「例外はあるさ。小さな生き物なら可能だ。ちいさな、とても小さな生き物さ。顕微鏡でなければ見ることができないような生き物の中には、氷漬けになってもお湯で溶かせば復活する奴もいる。それと同じだ。大きな生き物は、すべてそういう小さな生き物の集合だ。床で寝ている爺さんと、いま私がやっていることは、実際には同じことだ。ただし、俺はごく小さな生き物なら、何万匹でも同時に生き返らせることができる」
火陀ケンゴが『小さな生き物』と呼ぶのは、人間を構成している細胞のことだとレオは想像した。
「では、生き返るのですね?」
「そう焦りなさんなよ。食べたり話したりはできるようになるだろう。学校にも行けるだろう。でも、あんたはこの娘に何をさせたい? それ次第だな」
「生き返ってくれるのなら……それ以外は望みません」
「本当にそうなのか?」
ケンゴが初めて、氏家サダオの年老いた顔を見つめた。まさか、魔法使いは他人の心まで読むことができるのだろうか。
レオは、精神を操作しても、読むことはできないとクルミから言われていた。それは、全く違うものなのだと。
人間の思考はあまりにも複雑な仕組みで成り立っているので、自分の思考を押し付けることはできても、他人の思考を読み取ることは魔法使いでもできないのだと教えられていた。
火陀ケンゴなら、それができるのだろうか。
「氏家さん、本当のことを言ったほうがいい。ケンゴさんに嘘は通じない」
慌ててレオが首を突っ込んだが、ケンゴはレオを見て笑った。
「そんなことはないさ。俺にも嘘は見破れない。だけど、私に嘘をつかない方がいいっていうのは本当だ。本当のことを言いな。金を払って生き返らせて、この娘に何を期待している?」
サダオは苦しそうな顔をした。言いたくないのだと、レオにも察しがついた。息をのみ、サダオが話しだした。レオは出ていこうかとしたが、ケンゴが行くなと命じた。
ケンゴの手の下で、氏家レイカの、折れたままだった首の骨がきれいに修復されていた。跡形もない。ケンゴの手が、ゴムのような色をした肌の上を移動する。脳に突き刺した指は、そのままだった。
「氏家の家系は……代々子宝に恵まれません。その娘の代まで続いているのが奇蹟かと思われるほどです。その娘が後継ぎを産まずに死ねば、氏家の血統は途絶えます」
「つまり、子供が埋める体にしてほしいのか?」
「……はい」
ためらいながらも、サダオははっきりと口にした。
「その程度なら問題はない。ただし、長くは生きられないだろう。死んでから時間が経ちすぎている。魂は戻せない」
「ずっと、寝たきりということですか?」
レオが口を挟む。魂が無い人間のイメージは、ずっと寝たきりの植物状態なのではないかと勝手に思ったのだ。
ケンゴはレオをただ睨んだ。普通に視線を向けられただけかもしれないが、目つきが鋭いので睨まれたように感じる。
怒っているわけではないのか、ケンゴは言った。
「脳も修復するから、生活は今まで通りだ。ただし、魂が無いっていうことは、この娘には、どの生き物も普通にまとっているオーラが無いっていうことだ。オーラは、色々なものから肉体を守っている。病気になりやすい人間は、オーラが弱い。オーラが無い人間の寿命は、この先10年もないだろう。しかも、生きている時間のほとんどは、病院のベッドの上だと思ったほうがいい」
「……どうにかできませんか?」
サダオが尋ねた。レオには聞けなかった。ケンゴの力を、身を持って知ったばかりである。ケンゴはサダオの問いに答えず、レオにレイカの足を抑えるように指示をした。
「どうして抑えるんですか?」
「これから暴れるからだよ。もっとしっかり持て。脳の制御が外れた人間の力ってのは、俺らとそう変わるもんじゃない」
レオはレイカの足首を掴み、驚いた。死体の体温ではない。しっかりと、体は生きている。生々しく、滑らかな肌をしている。
やはり、火陀ケンゴの力は本物なのだ。レオは命じられる通り、レイカの足をしっかりと抑えた。
「行くぞ」
ケンゴの手が、レイカの胸に沈んだように見える。
同時に、レイカが寝台の上でのけぞった。
体がばたばたと暴れる。レオがあらかじめ抑えていなければ、寝台から転げ落ちたかもしれない。
「腕も抑えろ。気が散る」
脳の制御が利かないというレイカの動きは、体つきからも普段の生活からも、想像できないほど激しかった。レオはそれでも必死で抑えていたが、ケンゴの命令を無視するわけにはいかない。
いままで、それほど真剣に集中しているとも見えなかったのに、これだけあっさりとレイカの体を修復して見せたのだ。そのケンゴが、『気が散る』と言った。
おそらく、もっとも複雑な部分の修復に取りかかっているのだろう。レオはベッドの上に乗りかかり、今まで抑えていたレイカの足を自分の太ももで抑え、レイカの腕を寝台に縫い付けるように抑え込んだ。
「……あっ……ぐっ……」
言葉にならない声が、レイカの喉から漏れる。サダオが身をのりだしたが、ケンゴの一睨のみで、腰が抜けたように座りこんだ。下級魔法を使ったのだと、レオは判断できた。
これほどの修復をしながら、他人の精神へ干渉を行えるという魔法使いの力は、本当に無尽蔵なのだろうかと改めて恐れた。
ケンゴの、ずっとレイカの脳をえぐっていた指が抜かれる。
血をまとい、脳症をまとった指が抜けると同時に、レイカの頭部に穿たれた穴が埋まっていく。
最後にびくりと震え、レイカの動きは止まった。
「終わりだ。さて、さっきの質問に答えようか?」
レオはレイカの体から降り、腰を抜かしたままのサダオを立たせた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます