第10話 人類の敵

 携帯電話の着信で、五寸釘レオは叩き起こされた。トイレの中で血まみれで倒れていたのを救急隊に救われ、救急車で運ばれている最中のことだった。

 口には呼吸器をつけられていた。マスクをした男の顔が目の前にあった。


「気が付いた」


 目の前の男が大きな声を出した。


「君、大丈夫か?」


 隣にいた、別の男が声をかけた。

 レオは自分の体をまさぐり、上半身の衣服が切り開かれていることを知った。携帯電話が鳴っている。出なければいけないような気がしていた。自分の体をガーゼが覆っているのがわかった。


 止血も治療もする余裕がなく、意識を失ったのを思いだした。意識のないまま損傷した肉体の回復を図れるほど、レオは熟達していない。魔法使いによって応急手当はされていたとはいえ、あのままだったら、死んでいたかもしれない。

 それでも、役目は果たしたのだという安堵感があった。氏家レイカは助けると、その魔法使いが請け負ったのだ。

 ハサミにより分断された服の中から、レオは携帯電話を取り出した。


「君、安静にしていた方がいい」


 男がレオの手を抑えた。レオは携帯電話を見るために首を持ち上げた。男があきらめる。無理をさせないためには、押さえつけない方がいいと判断したのだろう。

 知らない番号だった。

 いや、知っていた。

 脳内の記憶を探る。


 知っていた。

 交換したばかりの相手だった。

 レオは携帯電話を耳に当てた。


『お前いま、どこにいるんだ? 情報がだだ漏れだ! 魔法使いに喧嘩を売る気か!』

「ち、違います。何かあったんですか?」

『俺が乗っていたタクシーにトレーラーが突っ込んできた。せっかく新調したスーツが台無しじゃないか。お前、どう責任を取るつもりだ』

「べ、弁償しますから……」


『そんなこと、当たり前だ。もしこれ以上おかしな連中に出くわすことになったら、そのお嬢様を助ける前にお前の仲間を皆殺しにしてやるから、そのつもりでいろよ』

「まっ、待ってください。オレはいま、救急車の中で、すぐには動けないので……」

『はあっ? 救急車? 俺が直してやったのに? 何やっているんだ。お前、本当に中級魔法使いの端くれなのか? そんなことだから、半人間って呼ばれるんだ! いいな。俺より早く、そのお屋敷とやらに行け。もしお前がいなければ、そのお嬢様、どうやっても蘇生できないように、ばらばらにしてやるからな!』


 一方的に電話は切れた。確かに、火陀ケンゴはレオの体を癒した。自力で直せないとは言い訳はできない。レオは体を起こした。救急隊員が押さえつけようとした。


「ごめんなさい」


 五寸釘レオは、心から謝り、救急隊員に言った。


「これから行くのは、病院じゃありませんよね?」

「いや、救急病院……じゃなかったか……」

「そうだな……どこだった?」

「決まっているじゃないですか。これから行くのは、氏家さんのお屋敷ですよ」

「ああ……そうだった」


 二人の救急隊員に対して、レオは精神を操作する魔法を使用した。レオのことを警戒していない相手に対して、ただ目的地を変えるだけの操作である。

 上手く作用した。レオが診察台から立ち上がっても、二人とも止めなかった。レオは運転席の隊員に向かい、同じことをした。

魔法は発動した。






 五寸釘レオは住所を告げた。救急車にはナビゲーションシステムがついており、本来の目的地を無視して、郊外の屋敷に向かうことになった。

 通信機から深刻な声が漏れ出てきたが、上手く誘導して電源を切らせることに成功した。

 さらに、サイレンを鳴らさせる。


 これで、火陀ケンゴがどんな移動手段を使おうとも、そう遅れることはない。レオは、火陀ケンゴが本気で氏家レイカをばらばらにするだろうことを疑っていなかった。

 本物の魔法使いに会うのは初めてだった。レオのような半人間が自分たちのことを中級魔法使いと呼ぶのに応じて、本物の魔法使いは上級魔法使いと呼んでいる。

その上級魔法使いにとって、レイカの父であるサダオが用意できた金額は、あまりにも少なかったのに違いない。


 いったいどんな金銭感覚をしているのか、レオには想像すらできなかった。

 救急車がサイレンを鳴らして長距離移動すること自体がありえないことである。幸いなのは、怪我人が五寸釘レオだけだったため、そのために犠牲になる人間が出ないだろうということだ。もう一人、火陀ケンゴを銃撃した人間は、救急車より霊柩車の方が必要だと、誰しもが思うだろう。

 幹線道路を降り、狭い地方道に入る。

 屋根の上を伝うように走っていた火陀ケンゴに、救急車が並走した。


「ケンゴさん!」


 レオは運転席に身を乗り出し、窓から顔を出した。火陀ケンゴが横目でレオを見た。五寸釘レオだと認識した。火陀ケンゴは屋根伝いに走る速度を上げ、救急車の前に回り込んだ。


 火陀ケンゴは道の脇に立っていた。救急車が横を通り過ぎる。レオのいた後部座席には窓がない。レオにはどうにもできなかった。救急車の塗装が剥げる音がきこえた。後方の扉が強引に開けられる。火陀ケンゴが乗り込んできた。

 レオの精神操作は完璧とは程遠い。騒がれないために、同乗していた救急隊員は昏倒させてある。意識があるのは運転席の一人だけである。


「……あれ? 俺はどこに向かっているんだ?」


 レオの意識がケンゴに向いたため、隊員の魔法が解けた。レオは慌てて運転席に向き直ろうとしたが、火陀ケンゴが止めた。救急隊員の襟首の後ろを掴み、背後から囁いた。


「そこのナビに出ている住所だろ」

「……ああ、そうか」


 火陀ケンゴがいれば、レオが意識を操作し続ける必要はないだろう。レオは肩の荷が降りたような気がした。火陀ケンゴにも追いつけた。やるべきことはやった。


「お前、精神への干渉も使えるようだな。そうでなければ、救急車を東京からこんな田舎まで走らせられるはずがない。お前ら中級魔法使いは、精神への干渉は下級魔法と呼んでいるようだがな」

「はい。でも中途半端です。かなり条件が限定されますし、集中し続けないと今みたいに直に正気に戻ってしまいます」


 精神への介入は、魔法使いにとってもっとも初歩の技だと考えられ、一般に下級魔法と呼ばれる。それが下級だと考えられているのは、肉体と生命を操作できる半人間は、例外なくある程度精神への操作を行うことができ、その逆は存在しないからだ。


 下級魔法も人により得手不得手があり、下級魔法しか扱えない者の方が、下級魔法については上手く使いこなす例も多い。それだけ、精神というのは扱いが難しいともいえる。下級魔法しか使えない者は、下級魔法使いと呼ばれる。


 もっとも、精神の操作だけが可能で限定的な能力しか持たない場合、ふつうの人間とほとんど区別がつかないため、生涯自分が魔法使いであると知らない場合も多いという。


 精神への干渉と肉体への干渉を、もっとも基本的な魔法として、際限なく使えるのが上級魔法使いと呼ばれる火陀ケンゴのような人間たちである。

 上級魔法使いというのは、レオのような半人間が、敬意を込めて呼ぶ通称である。上級魔法使いたちからすれば、魔法使いは自分たちだけで、肉体操作しかできない者はただの人間と変わらないという侮蔑の意味をこめ、半人間と呼ぶ。


「精神まで手を伸ばすから、そんなに弱いんじゃないか? お前ら中級魔法使いが使える力なんか知れているんだ。使う能力は選んだほうがいい」

「上級魔法使いは、そんなに力を使い続けられるんですか?」


「俺たち自身は、上級とは思っていない。魔法使いは魔法使いだ。中級以下の魔法使いは、ただの人間とそう変わらない。お前らが下級魔法と呼んでいるものは、まばたきをするのと同じくらい自然に使えるね。肉体の操作も同じさ。それでも、魔法使いには強いのとそうでもないのがいる。俺なんか、可愛いものだ」


 救急車がサイレンを鳴らしたまま、氏家の屋敷に入った。レイカが死んだことを秘密にしているのだ。レオの母である五寸釘クルミが慌てているだろうと想像した。

 サイレンが止まる。運転していた救急隊員を、火陀ケンゴは手を触れることもなく気絶させた。

 車から降りると、黒ずくめの男達に囲まれていた。


「何の冗談ですか」


 救急車の後部から降りた五寸釘レオに、男達を仕切っていた祢津ジンベエが渋い顔を見せた。氏家の使用人を取り仕切っている立場の男だ。

 レオは素早く居並ぶ顔を確認し、クルミがいないことに安堵した。


「魔法使いを連れてきたんです。母に連絡をしてください」

「……本当に?」

「俺じゃ不満だっていうのか?」


 レオの背後に、火陀ケンゴが降り立った。レオの肩を杖だと勘違いしているように寄りかかる。

 レオは動かなかった。火陀ケンゴに何をされようが、抵抗できる気がしなかった。


「早く、連絡を」

「解りました」


 懐から無線機を取り出し、背を向けた祢津ジンベエの背後に、火陀ケンゴが立った。無表情で居並ぶ黒ずくめの男達に、視線を向ける。


「頭が高いんじゃないか?」


 強力な精神干渉だった。男達が一斉に地面にひれ伏した。


「……わかりました。すぐにお連れします」


 答えた祢津ジンベエの手から、火陀ケンゴが無線機をひったくる。


「あんた何様だ。この家を丸ごと灰にされたくなければ、あんたが迎えに来な」


 一方的に電源を落とすと、火陀ケンゴはジンベエに投げつけた。


「……お前たち、何をしている?」


 ジンベエが不思議そうに尋ねたが、黒服の男達は動かなかった。火陀ケンゴは屋敷に向かう。誰も妨げはしない。

 火陀ケンゴは、ひれ伏す男達に視線すら向けず、ただ絶対の服従心を植え付けた。

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