第9話 赤炎の魔法使い 火陀ケンゴ

 五寸釘レオは、火陀ケンゴに荷物のように担ぎあげられた。

 火陀ケンゴは魔法使いである。死んだ人間の肉塊と血で無残に汚れた階段に向かい、手の平を向けた。

 突然生まれた炎が通路を舐めた。階段の下から足音が昇ってくる。火事の連絡が入り、人間たちが動きだしたのだろう。魔法使いはレオを担いだまま上階に向かった。

 屋上に出ると、レオは捨てられた。


「下の消火で手一杯だろうから、しばらくは人が来ない」


 自分の体を直せということだろう。レオは首の動きだけで理解したことを示し、自分の肉体に意識を向けた。


「……遅いな」


 何に向けた言葉だったのか、レオは強引に理解させられた。

 火陀ケンゴはレオの服を剥いだ。レオの服のボタンが弾け飛ぶ、強引なものだった。火陀ケンゴの服同様、レオの赤い肉体が空気に触れる。

 火陀ケンゴが口にしたのは、レオの回復速度だったのだ。魔法使いの能力のほとんどを、レオは知らない。穴だらけのレオの肉体に、火陀ケンゴが手の平をあてがった。


「オレも、燃やすつもりですか?」

「下らないことを言っていないで、修復に専念しろ。たった八億では割に合わないな。お前の修復分は、別に請求するぞ」


 初めて、火陀ケンゴが人間らしい感情を示した。レオは答えた。


「オレが怪我をしたのは、あなたの命令です」

「つまり、俺の命令を実行するだけの能力がなかったということだろう」


 火陀ケンゴの言う通りだった。レオに返す言葉はなかった。その一方、火陀ケンゴの手があてがわれた下で、レオの肉体は確実に回復しつつあった。

 胃に空いた穴がふさがり、レオの肉体をむしばんでいた鉛の塊が体外に排出される。レオ一人では、衰弱して死ぬと推測していた傷だ。


「オレの雇い主には、もう金はないようです。オレにも支払い能力がない」

「なら、体で払うか?」

「役に立てますか?」


 肺の穴もふさがり、傷もなくなりつつあった。皮膚の下に新しい皮ができていた。

確かに、これほどの能力なら死んだレイカの肉体も修復できるかもしれない。


「ハサミと一緒だな。使い方次第だ」


 火陀ケンゴが立ち上がる。もう治療は終わったということだろう。階段がある向こうから、騒々しい足音が聞こえていた。レオは服を治そうとしたが、ちぎれたボタンを直す方法はなかった。


「どうやって、ここから降ります?」


 レオも立ち上がったが、大量の血が流れている。足元がふらついた。人間たちが大勢いる中を突っ切りたいとは思わなかった。

 火陀ケンゴは屋上の端まで歩いた。慌てている足取りではない。レオも従った。


「ああ、いい店がある。あそこにしよう」

「えっ?」


 火陀ケンゴが何を言っているのかわからなかった。地上の一画を見ているのは間違いない。


「行かないのか?」

「い……行きます」


 息が切れていた。動機が激しい。抑えることもできるだろう。そうすべきかどうかもわからなかった。


「前言を撤回する。体で払うにも、お前では使い道もない」

「……申し訳ありません」

「俺の護衛もいい。別行動にしよう。依頼は受けてやる。俺の気が変わらないことを祈るんだな。どこに行けばいい?」


 レオは住所を告げた。


「了解。先に行く」


 言いながら、火陀ケンゴは屋上から飛び降りた。真っ赤な服を着ているという自覚がないのか、人目につくことも恐れずにビルの屋上から飛んだ。まっすぐに落ちていく。

 レオは下を覗き込んだ。なんの仕掛けもない。魔法使い火陀ケンゴは、ただ飛び降り、地面に降り、歩きだしていた。


 あれが魔法使いかと、認識を記憶に刻む。階段を上る足が聞こえた。

通常よりよく響く足音は、重い装備を持った人間が昇ってきていることを示していた。消防士たちだろう。

 雑居ビルの中で火を放てば、当然の反応だ。すぐには屋上には来ない。途中でスプリンクラーが作動し、全身が焼け焦げた男が、焼かれるより酷い死にざまで転がっているのだ。時間はある。


 レオは深呼吸し、屋上から身を踊らせた。人目につかないよう影を選び、屋上の縁を掴んで壁に張りつき、もっとも近い足元の窓、つまりビル最上階の一室の窓ガラスを割り、室内に侵入した。

 もう、体が動かなかった。

 意識がかすむ。


 レオは罪に問われるだろうか。

 人間たちに見つかる。

 自分の体を強化する。それが五寸釘レオの能力であり、人間の体である以上、限界はある。

 レオは眠りに落ちた。頭の中で、氏家レイカが泣いていた。泣きながら、レイカの頭部が落ちた。落ちた頭部が泣き続けていた。頭部を拾い上げた男は、真っ赤な服を着ていた。



  ※



 火陀ケンゴは魔法使いである。炎を扱うことを得意とし、『赤炎の魔法使い』の二つ名で知られている。

 本来、魔法使いの能力に限界はなく、訓練次第で水も空気も扱えるが、産れ持った相性があり、もっとも自分にあった現象の扱いを極めることに専念した方が効率的だと考えられている。


 火陀ケンゴは特に炎と相性が良く、炎はケンゴの命令を忠実に聞いてくれた。

 ケンゴは炎の扱いのみを極め、得意としていた。水や風を操ってみたいと思ったこともない。何より、生き物を炎で焼いた時の臭いが好きだった。

 雑居ビルの屋上から火陀ケンゴが見つけた店は、ブティックだった。


 火陀ケンゴは、穴が空き血のついた服を変えるために、ブティックに立ち寄ったのだ。赤いスーツを選び、下着も買い替えた。試着室で試着後、そのまま服を買い取り、支払いを現金ですませた。


 ケンゴは魔法使いである。人の精神に干渉し、支払っていない代金を支払ったと勘違いさせることは簡単だった。しかし、最近では防犯カメラがあり、レジの記録から帳簿と会わない金額の商品がいつ消えたのかわかり、防犯カメラにケンゴが写っていれば、無暗に敵を増やすことになる。クレジットカードも所持しており、使い道がわからないほどの大金が口座に入っていたが、クレジットカードを使えば記録が残る。

魔法使いは敵が多い。一般の人間に存在を知られていない代わりに、裏の社会では重宝され、一部の人間には敵視されるのが魔法使いだ。


 その存在を公に認めている政府は存在せず、政府関係者の中にも敵が多い。いつ、秘密裏に殺そうとするのかわからない。自分がどこに居て何をしているのか、情報を残さない方が面倒は少ない。ある程度のまとまった現金を手元に置いておくのが、人間社会で生きる魔法使いの習慣となっている。


 タクシーを拾い、住所を告げる。運転手は戸惑った。通常タクシーで移動するには、遠すぎる距離だった。ケンゴは札の束を取りだして見せた。タクシーはスムーズに動きだした。

 タクシーが東京都心部を出たとき、正面からトレーラーが迫ってきた。対向車線を走っていたはずの車が、突然進行方向を変えた。


 まるで巨大な猛獣が牙を剝くように、トレーラーがタクシーに襲い掛かってきた。

 後部座席の火陀ケンゴは逃げることもできず、タクシーは横転してトレーラーに潰された。エアバックは作動したが、あまりにも遅かった。運転手の首から上は失われ、ケンゴはタクシーと一緒に潰されるところだった。


 全身に力をこめ、タクシーの天井を背中で破り、ケンゴは道路に飛び出した。タクシーを襲ったトレーラーも横転し、中から人が出てくる様子はなかった。

 だが、ケンゴの背後には複数の人影が迫っていた。

 武器を持っていた。


 ケンゴは逃げた。自分が負傷していることは解っていた。武器をもった複数の人間相手では、いかに魔法使いでも部が悪い。

 ケンゴは魔法使いとして、精神と肉体の操作以外には、若干の炎を操ることしかできなかった。中級魔法使いが得意とする肉体の操作を完璧に行えるだけで十分超人だが、魔法使いの中ではもっとも能力の低い部類に入る。ケンゴは逃げようとして、油の臭いに気が付いた。


 トレーラーが破損し、燃料が漏れ出している。ケンゴは臭いが強い場所に向かって、炎を投げつけた。

 トレーラーに炎が移り、爆音がした。熱い風が心地よかった。

 ケンゴは走った。魔法使いが全力で走るということは、地面を低空飛行しているというのと同じである。当然足の筋肉は耐えきれずに肉離れを起こすが、同時に修復できるだけの能力を持つのが魔法使いである。

 火陀ケンゴは追手をまき、再び衣服を買い求めた。

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