第8話 魔法使いとの邂逅

 魔法使いがこのビルに入ったのは、偶然ではない。男を狙撃した相手がこのビルから撃ったのだと、確信しているからだ。レオに選択の余地はなかった。

 レオに自信などなかった。相手は雑踏の中で標的を打ち抜く、狙撃のプロだ。殺しのプロでもある。魔法使いの男は、狙撃したのはただの人間だと保証したが、人間ほど力が読めない相手はいない。


 渋谷周辺も再開発が進んでいるものの、まだ古いビルは多い。

 しかし、エレベーターも設置していないほど古いビルはさすがになかった。レオはエレベーターの前に移動した。現在は最上階にエレベーターの箱があると表示されている。


 狙撃した人間がエレベーターに乗って移動するのであれば、待っていれば会えるかもしれない。エレベーターの動き方を確認しようとした途端、赤い服の魔法使いから指摘を受けた。


「俺がここで見張っているから、お前は階段で行け」

「相手の特徴はわかりますか?」

「俺が見る前に隠れた。臭いを追うぐらいできるだろう」

「わかりました」


 鼻に意識を集中すれば、犬よりもかぎ分ける自信はある。だが、嗅いだことのない臭いがわかるだろうか。

 反論は得策ではないと思えた。力がないとは、判断されたくなかった。協力も得られなくなってしまうかもしれない。


 あまり時間をかけて、逃げられるわけにもいかない。レオはコンクリートの床を蹴った。

 銃を撃てば、火薬の臭いがしばらくはまとわりつく。服を着替えたとしても、すべては消せない。魔法使いは、その臭いを追えというのだろうと、途中で気づいた。

レオは足に力を集中させ、階段をほぼ十段ずつ上がった。


 ビルの高さからして、10階以上はある。レオがそろそろ最上階かと思った時、上からの足音が聞こえた。急ぐような小刻みな足音だ。

 レオはエレベーターに視線を送る。七階を下方向に通過しようとしていた。階段を上りながら確認したかぎりでは、途中で止まってはいない。


 一階から最上階まで、レオは30秒足らずで移動してきた。途中の階で降りたなら、遭遇しているはずだ。降りていくエレベーターに、はじめから誰も乗っていないことは多いにあり得る。

 赤い服の男が狙撃されて、2分とは経過していない。


 上から迫る足音の主が、狙撃した相手だという可能性が高い。レオは足に集中していた意識を五感に移し、自分の足音を殺しながら、階段を一段ずつ登り始めた。

 らせん状に直角に曲がった階段の踊り場から次の階段に向かったところで、黒ずくめの服を着た痩身の男が降りてきた。中東のテロリストを想像させる服装だったが、顔つきは日本人だった。


 手には細長いケースを持っていた。ちょうどライフルが収まるのではないだろうか。レオは緊張しながら、男とすれ違った。

 男は何事もなく階段を降りていく。レオはそのまま階段を上った。

 火薬の臭いが鼻をついた。


「ちょっと……」


 振り向き、声をかけようとした。レオは声を出した。余分な行動だった。男の黒い服の隙間から、丸い金属がのぞいていた。

 男がレオのことをどう思ったのか、もはやわからない。だが、レオが声をかけようと声を出した。その瞬間に、男はレオを殺すことに決めたのだ。


 レオは後方に跳んだ。足に意識を移す余裕もなかった。その余裕があっても、火薬で打ち出される弾丸より速くは動けない。

 自分の胸の筋肉が裂け、肺に穴が開く感覚は初めてだった。男は容赦がなかった。続けて腹筋に穴が穿たれ、胃液が体内に飛び散る。肝臓が貫かれる。

 階段が赤く染まった。


 レオは、自分が膝をついていることにも、手をついていることにも、気が付かなかった。男は動かなかった。ただ、指を動かしていた。

 銃口がレオの頭に向けられた。

 脳を破壊されれば、もはや修復は間に合わない。

 男の指が動いた。


 音は聞こえなかった。

 レオの耳は、もはや機能すら失っていた。

 横に避けようとした。

 背後に倒れた。






 まだ、死んでいなかった。

 体が冷たかった。

 全身が冷えていた。

 雨だろうか。

 天井でスプリンクラーが動いていた。


 レオは階段の上で、仰向けに倒れていた。

 どうして生きているのかすら、わからなかった。

 目の前に、炎の柱が立っていた。燃え上がる人間だった。

 すぐにわかった。炎の柱となっているのは、レオを殺そうとした人間だ。


「……なにが?」

「役立たず」


 男の声は、降り注ぐ水よりも、なお冷たかった。

 レオが顔を動かそうとして、自分の体が死のうとしていることを察した。

 男の姿が視界に入る。相変わらず赤い服を着ていた。赤い靴に赤い鞄を持っていた。


「あの……ありがとうございました」

「自分で直せるな」


 質問ではない。レオを半人間だと知り、できなければ見殺しにするつもりだと感じさせる物言いだった。


「……はい」


 魔法使いは燃え上がる男を掴み、降り注ぐスプリンクラーの水に晒した。男の腕を掴み、引きちぎった。体を階段に捨て、足を踏み砕いた。

 男はうめき声を上げた。まだ生きているのだ。

魔法使いは男に尋ねた。何者か、誰の命令かを尋ねたが、男はまともに口を利ける状態ではなかった。赤い魔法使いは舌打ちをして、男の頭を踏みつぶした。


 役に立たないとなれば、殺される。レオは必死に自分の体内に意識を集中させた。体の損傷が激しい。まず内臓の機能を戻し、傷をふさがなければならない。血を流し過ぎている。

 レオが瀕死の状態で倒れていることを知りながら、男は携帯電話を耳に当てていた。


「俺のところに、人間の殺し屋と、神社本庁経由の8億の依頼人が来ている。殺し屋は始末したが、情報は得られなかった。8億の方は、死んだ人間を蘇生させてほしいっていう依頼だな。依頼人は人間のはずだが、俺のところには半人間が来ている。死にかけているが……了解」


 魔法使いは携帯電話をポケットに戻し、レオの前に立った。


「俺たち魔法使いは、常に人間に命を狙われている。この程度で死ぬようなら、とても頼みなど聞けないな。俺を目的地まで護衛すること。それが最低限の条件だ」


 レオは体を起こした。無理だ。そう感じた。容赦なく殺しに来る相手に対抗できるほど、レオは訓練を積んでいない。

 体中の筋肉が痙攣した。レオは痙攣を無視して立ち上がった。


「オレも命がけで、あなたを護衛します」

「命がけか……安い命だな」


 魔法使いは言い、レオに背を向けた。一切レオに手を貸そうとはしなかった。

 火陀ケンゴ、魔法使いはそう名乗った。

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