第6話 不合理な労働

 五寸釘レオとクルミの前に現れたのは、あまり品が良いとは言えない老人だった。顔のしわは深く刻まれ、まだらに残った真っ白な頭髪が汚く見えた。

 ジャージに白衣という出で立ちは、医者というより客の少ない整骨院の整体師を想像させた。


「早かったわね」


 クルミに対し、老人は小さく手を上げた。


「お前さんは変わらんな。わしと同じ年齢とは思えんわい」

「年の話は聞きたくないわ。そっちのお嬢様よ」

「わかっておる」


 老人は杖をついていた。レオの目には、百歳を超えているのではないかと思えた。クルミも同じ年齢だとしたら、普通の人間であれば、レオを産めるはずがない。

 老人は杖をつきながら、レイカの死体が置かれたベッドに近づいた。杖を置き、手を伸ばす。折れた首、割れた頭蓋骨を持ち上げる。そのまま、レイカの死体をまさぐり続ける。

 レオには、何をしているのかわからなかった。


「……母さん」


 聞きたいことはたくさんあった。だが、クルミは質問を許さなかった。


「私の年齢について、他言したら命はないと思いなさい」


 聞きたいことではなかった。だが、質問が許されないのは同じことだ。

 老人は死体の向こう側に行き、屈みこんでいた。何をしているのかは分からない。

 レオが口を開く前に、クルミの指示が飛んだ。


「御館様を呼んで来て。たぶん、必要が出てくるわ」


 クルミが『御館様』と呼ぶ相手は一人しかいない。その呼び方そのものが、五寸釘が一族として、氏家に仕えていることを表している。『御館様』とは、氏家の現当主であるレイカの父親のことだ。


「その必要はない」


 言ったのはレオではない。レオの背後から、天幕をめくる男がいた。真っ白い髪とひげを下げた体格の良い老人だ。レイカの父ではあるが、年齢は孫ほども離れている。そのためか、老人がレイカを溺愛していることは間違いない。


「申し訳ありません。お足音で、サダオ様と気づきませんでした」


 レオの攻撃では膝すら地面についたことのないクルミが、床に両膝をついた。


「構わない。それだけ、レイカを助けることに集中していたということだろう」

「恐れ入ります」

「御館様、レイカはもう……」


 話しかけたレオは、膝を折られて尻餅をついた。クルミが動いたことすら気づかなかった。尻餅だけでは済まなかった。気が付くと、頭を掴まれ、床に押し付けられていた。やったのは、当然クルミだ。


「構わない。この子が以前、誘拐されたレイカを助けるためにずいぶん働いてくれたことは知っている。表ざたにはしていないし、真実はクルミから聞かされた私しか知らないことだ。レイカも兄のように慕っているということじゃないか。言いたいことがあれば、聞かせてもらおう」

「いえ、この子はまだ幼く、サダオ様の耳に入れられるようなことは、何も言えませんから」


 クルミは、まるでレオを3歳児でもあるかのように言った。レオに反論はできなかった。押さえつけられた頭が、割れるほど強く絞められていたのだ。

 クルミの携帯電話が鳴った。サダオの許可を得てから携帯電話に耳を当てる。レオは解放されたが、鋭い視線で睨みつけられたままだった。


「わかりました。ちょうどこの場にいらっしゃいますから、聞いてみます」


 携帯電話をいったん耳から外し、クルミがサダオに尋ねた。


「お嬢様の蘇生には、それを専門とする魔法使いの力が必要です。すでに手配済みではありますが、魔法使いを動かすには、お金がかかります」

「いくら必要だ?」


「最低十億は必要です」

「わかった」

「ありがとうございます」


 クルミが頭を下げ、携帯電話に戻った。サダオは険しい顔をして天幕から出ていった。金策に行くのだろうか。いくら資産家でも、簡単に用意できる金額ではないはずだ。


「レオ、あなたにやってもらうことができたわ」


 携帯電話を戻しながら、クルミがレオに告げた。いい予感はしなかった。






 ベッドの向うで、治癒の力を持つ老人が立ち上がった。

 五寸釘レオの見ている前で、治癒の力を持つ老人は、再び氏家レイカの死体に触れた。顔に手を這わせ、首筋に指を這わせていた。体内の骨を正常な位置に戻そうとしているかのように見える。


 レイカは死んでいた。血が廻らない顔はどす黒く、瞳孔が開いたままだった。

 それでも、老人が手を触れた時から、わずかに血色がよくなっているように見えた。


「本当に生き返らせることができるのかな」

「そこまでの力はないわ。あの人は、半人間の力を他人の生命と肉体のみに向けて使えるように訓練してきた。だから、私やレオが自分の肉体に対してできるのと、同じようなことを他人の体に行えるということよ。拳や筋力を強化して鉄板を貫けば、逆に拳が砕けて皮膚が裂けるように、できることには限界がある。瀕死の人間を元気にするのと、死んだ人間を生き返らせるのは、全く違う行為よ。彼がしているのは、死体がこれ以上腐食しないように、体内のまだ生きている細胞や組織を延命しているだけ。死んだ人間を生き返らせるだけの力は、魔法使いしか持っていないわ」


 クルミがレオに説明する時は、レオが知っていなければならないことだと決まっている。半人間の限界や魔法使いのことを知っていなければならない状況に、レオはこれから直面するのだ。

 レオ自身にもそれを拒むつもりはなかった。


「それで、魔法使いを雇うには、十億円かかるということ?」


 クルミは小さく肩をすくめた。機嫌がいいのではない。半ばあきらめているように見える。


「御館様が用意できる金額が、おおよそそれぐらいだということだけよ。魔法使いは気まぐれで、魔法使いたち自身が決めたルール以外には絶対に従わない。魔法使いたちは独自のネットワークを持っていて、そこにアクセスする窓口が、日本では神社本庁なの。神社本庁に、十億円の用意があるから死んだ人間を生き返らせてほしいというメッセージを送ると、そのメッセージが魔法使いたちのネットワークに流される。やってもいいという魔法使いが現れれば、レイカお嬢様は助かるし、見つからなれば、レイカお嬢様にはこのまま死んでいてもらうしかない」


「では、このまま待っていればいいのか?」

「なら良かったけどね。魔法使いたちは、ほとんどお金に興味がないのよ。私たち半人間が必死に訓練して身に着ける精神や肉体を操る技術を、当たり前に使えるのが魔法使いだからね。店から何を持ちだしても、金を支払ったように思いこませるなんて簡単なことよ。でも、お金があればわざわざ魔法を使わなくてもすむから、便利な道具であることは間違いない。どんな金額を提示しても、魔法使いが自分から名乗りを上げることはないわ。でも、魔法使いを見つけて、こちらから声をかければ、情報が流れていれば手を貸してくれるかもしれない。そのための十億円よ。だからレオ、もうわかるわね」


「魔法使いを探して来いかい?」

「時間はないわ」

「24時間だ」


 レイカの死体に触れていた老人が答える。


「その時間の理由は?」


 レオが尋ねると、老人は顔も上げずに答えた。


「わしが眠らずにいられるのが、それが限界だということだ。これ以上腐敗が進行すれば、いくら魔法使いでも、このお嬢さんを助けることは不可能だ」

「死体を冷凍すればどう?」


 クルミが尋ねた。老人は少しだけ顔を上げた。顔を上げられないほど集中していたのではなく、気分の問題らしい。


「危険だな。状態を保存できるが、まだ生きている細胞まで死んでしまうかねもしれない。それが確実なら、わしを呼んだりはしないだろう」

「わかったよ。探してくる。魔法使いの特徴は?」


 老人が顔を上げた。クルミもレオを見る。悪い予感がした。クルミが告げた。


「そんなものがあるなら、苦労しないわ」


 レオは絶望した。

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