第5話 死者との再会

 母によって簡単に転がされ、五寸釘レオは地面を舐めた。

 本当に急いでいるのか、それ以上は何もせず、五寸釘クルミは屋敷に向かった。 

レオは男達に囲まれる。


 レオの左腕は折られていた。顔と腹部にも損傷を受けていた。だが、足に負傷はない。レオの行動を封じるなら、まず足を破壊すべきだ。そのことを、クルミが知らないはずがない。


「母さん!」

「いつまでもそんなところにいないで、手伝うつもりなら早く来なさい」


 玄関から屋敷に消える寸前に、クルミが振り返り、声をかけた。

 クルミは、レオに『手伝う』かと尋ねた。

 そんなつもりはなかった。だが、レイカの状況がどうなっているのか、レイカに何が起きようとしているのか、知るにはほかに方法がなかった。


「……わかった。すぐに行くよ」


 あえて、レオは折れた左腕を強引に修復し、左腕を振り回して見せた。とり囲む男達が後退する。得体の知れないレオの力にある者は警戒し、ある者は忌み嫌ったしたのだ。

 母クルミに従い、レオは氏家レイカの自室に招かれた。






 氏家レイカの自室は、できる限りの低温状況に保たれていた。

 五寸釘レオが部屋に入ったときには、ベッドがあると思われる場所のまわりに天幕が張られていた。分厚いビニール製の幕であり、透明ではないので中の様子は一切見ることができなかったが、その異常さが、中にいる者の状況を表しているようだった。


 部屋に入り、二人の使用人と目が会った。いかめしい顔つきで睨みつける初老の大男より、無念そうに目を伏せる若い女性の顔つきが、レオに自らの無力を感じさせた。


「お嬢様はどこ?」

「こちらです」


 五寸釘クルミの問いに、大男の使用人が、天幕として張られた分厚いビニールを持ち上げた。ビニールがめくり上げられると、驚くほどの冷気が漏れ出てきた。

 クルミが、天幕に入る前にレオに視線を送ってきた。一緒に来いという意味だと判断し、レオはクルミに従い、足を踏みだそうとした。


 レオの服の袖が、背後から引かれた。使用人の蛇目スズが、上目づかいで睨んでいた。まるで、レオがレイカを殺した犯人であるかのような視線だった。

 レイカを守れなかった以上、レオが殺したと言われても仕方がない。レオはそう思った。それほどまでに、レイカの安全に気をつけていたのだ。


「どういうつもりなの?」


 女の声とは思えないほど、スズの声は低かった。スズは、レイカの死を知らせてきた。その時は、クルミを止めてほしいと言っていたのだ。クルミとともに来たレオに、失望したと同時に怒りを覚えているのだろう。


「レイカを守りたい」


 レオに言えるのはそれだけだった。それがすべてであり、真実だった。


「手遅れよ」

「そうかもしれないが、最善を尽くします」


 スズが手を離した。


「どうするっていうの? お嬢様はもう……」

「何もできないでしょう。人間にはね」


 スズは何も言わず、レオの顔を見つめた。レオのいう意味がわからなかったのだろう。当然だ。レオはあえて説明せず、立ち尽くすスズに背を向けた。

 分厚いビニールの幕をかき分け、中に入る。

 母クルミの背中越しに、無残な死体が横たわっているのが見えた。






 レオは、分厚いビニールの天幕に入った後、ただ立ち尽くした。

 自分の肉体を自由に操作できようと、他人の精神に干渉できようと、心が強くなるわけではなかった。

 氏家レイカは死んでいた。

 綺麗な死体ではなかった。


 顔は潰れ、首の方向はまっすぐだが、喉の不自然な盛り上がりは首の骨が折れているのだ。

 車に激突されたと聞いていた。

 車はレイカの右側にぶつかったのだろう。右腕と右足が折れていた。服を着ているが濡れて見えるのは、皮膚が破れて内臓が飛び出しているのかもしれない。

 五寸釘クルミが前に出た。レオとクルミのほかには、誰も天幕の内側に入ろうとはしなかった。


「母さん、何をするんだ?」

「何もしない。私にはなにもできないわ」


 クルミが手を伸ばし、レイカの死体に触れた。頭部から肌に触れる。レオは目を背けたかったが、視線を外さなかった。クルミが何をしていようが、同じことがレオにもできるはずだ。見逃すつもりはなかった。

 クルミはただ、レイカの首の向きを直しただけのように見えた。


 携帯電話を取り出し、滑らかな動作で相手を呼び出す。慣れた手つきだった。

レオは母が電子機器の取り扱いに長けているという記憶はなかった。

 電話を耳に当て、クルミは話し始めた。


「おそらく即死ね。人間には修復不可能なのは間違いないわ。すぐに来られるの?」


 クルミは誰かにレイカの様子を伝えていた。相手の声を聴くために、レオは聴力に意識を集中した。


『もう屋敷の前におる。直接見ないとわからんが、わしだけでは無理じゃな』

「ええ。わかっている。本庁に連絡済みよ。すぐに回答があると思うわ」

『ならいいがな』


 レオには解らないことのほうが多かったが、クルミは質問する隙を与えなかった。クルミは携帯電話を懐にいれ、天幕の外に顔を出した。正門前にいる人物を連れてくるように命じたのが聞こえた。


「母さん、説明してくれよ。レイカをどうするつもりなんだい? オレに、何をしろと言うんだい?」


 天幕の外から顔を戻し、クルミがレオを見た。レイカの死体を前に、当然のことながら、クルミの表情は真剣そのものだった。


「氏家のお屋敷の裏手にある小さな神社の経営で、どうして生活していけると思っていたの? 五寸釘家は代々半人間の家系で、氏家の財力と権力で守られてきた。その代わり、氏家の命令にはどんな命令でも逆らうことはできない。氏家の家系は、子供が少ないうえに体が弱かったから、五寸釘の者は使用人として、命をかけて氏家の直系を守ることが義務付けられていたわ。レオ、あなたもレイカお嬢様のためなら、いつでも命をかけられるでしょう?」


 ゆるぎない言い方は、自分の言葉を疑っていないことを意味していた。レオは言葉にすることをためらい、小さく頷いた。中学生のころ、どんな代償でも払う覚悟で誘拐犯人の元に乗り込んだことがあった。クルミは続けた。


「レオは気づいていないかもしれないけど、私がそうなるように仕組んでいたのよ。年が近いし、レイカお嬢様はレオに気があるようだけど、レオは分をわきまえてレイカお嬢様を女性として見たことはない。私が、そうなるようにずっと幼いころから言い続けてきたからね」


「母さん、オレが知りたいのは、そのことじゃない」

「わかっているわよ。氏家の直系の人たちは、体が弱いうえに災難に巻き込まれることが多かった。このレイカお嬢様が典型ね。私たち五寸釘家の者は、氏家の人たちを守るために、自分の体を鍛えると同時に、万が一守り切れなかった場合に回復させる手段を用意することを求められた。半人間の能力には個人差があるけど、自分の肉体強化と他人の治癒能力を同時に持つことは、私たちにはできなかった。だから、外部の半人間と協力して、高い治癒能力を持つ人をいつでも派遣してもらえるようにしてあるのよ。レオは知らないでしょうけど、半人間のことを良く思わない人間も多いから、人間の社会で生きるために半人間はいつくかの組織を形成しているわ。そのうちの一人が、いまこっちに向かっている人よ」


 治癒能力を持つ半人間は数少ない。半人間の能力は産れ持ったものだが、その能力を何に使用するかは、自らの選択によって決まる。

 ほとんどの半人間が、本人の肉体強化を選択する。長く生きることができるし、職業選択の自由が広がるからでもある。


 自らが半人間であることを知らないで育つ者も多く、知らない間に力を行使する場合、力は外部には向かわず本人の肉体能力の向上に向けられる。

 治癒能力に長けた半人間は、幼いころからそうなるべく育てられた者に限ると言われている。

 部屋の天幕が動いた。

 めくられた天幕の間に顔を見せたのは、腰の曲がった老人だった。

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