天秤

 物が雑多に浮かび燃えるような空が照らす廃墟都市を、恋火たちは駆け抜けた。後ろから追ってくる恐ろしく巨大な狼が躍動するたび地面が揺れ、近くの瓦礫がさらに崩れていく。

 大狼が雄叫びを上げた。鳥肌が立ちビリビリと全身が痺れるような感覚に陥ったが、足を止めるわけにはいかなかった。

 恋火は走っている最中、視界の端に無造作に置かれた棺桶を捉えた。

 次の瞬間、狼の大顎が棺桶にかぶりついた。ガシュッという嫌な音とともに棺桶が砕けて潰れる。狼は咥えながら余分なものを取り除くように首を左右に振ってこそげ落した。棺桶に巻きつけてあった銀の鎖をペッと吐き捨てる。棺桶の中に囚われていた魂は狼の腹の中だ。もうその魂は輪廻の旅に戻ることはない。永遠の死を迎えた。

「風楽はどこにいると思う?」

 走りながら訊いてきたその愛地の言葉で恋火は我に返った。

「わからない。でもたぶん、この辺にはいない」

「もっと下か」

 呟くように言った愛地は真剣な表情で何かを考えている。そして、水羽とアイコンタクトを交わした。

 餌に夢中になっていた大狼が再び三人を追ってきた。魂を喰らう牢獄の番犬。

 都市の残骸を縫って走り抜ける。

「あった! 階段!」

 水羽が指差す方向に下へ向かう階段があった。

 恋火は足を踏み外さないよう注意しつつ、素早く階段を駆け下りていった。

 だが、二人の足音がついてこない。

 恋火は階段の途中で立ち止まり、振り返った。愛地と水羽はまだ上の階にいる。

「何してるの!? 早く!」

 恋火が呼びかけるが、二人の反応はいまいちだ。恋火のほうではなく狼のほうを向いている。

 狼はゆっくりと近づき、飛びかかるタイミングを計っているようだった。

「恋火、行って」

 水羽のその言葉が上に戻ろうとする恋火の足を止める。

「水羽? なに馬鹿なこと――」

「道に迷うなよ」

 愛地が笑いながら言った。何がそんなに可笑しいのか。ちっとも笑えない。

 グルルルルル、と大狼が喉を鳴らした。

「大丈夫だ。俺たちを信じろ」

「どうせ今ごろ風楽泣いてるでしょ。早く行ってあげて」

 恋火は握った拳に力を込める。両端に大切なものを載せた天秤が揺れた。

「また会えるさ」

「だって私たち、そういう『仲』でしょ?」

 二人が、天秤の片側を軽くしてくれた。

 恋火は二人に背中を向ける。

「また必ず」

 恋火は二人に声をかけた。

「ああ」

「ええ」

 恋火は階段を駆け下り、先へ進んだ。



 血が滲んだような空の下。滅びを迎えた都市の残骸。

「さーってと」

 愛地は一歩一歩近づいてくる白く巨大な狼を見据えた。

「鬼ごっこでも始めるか」

「どっちが鬼?」

 こんな時でも軽口を叩く愛地と水羽を大狼はギラつく瞳で睨んでいる。

「なあ水羽」

「なに?」

「こいつに俺たちの力見せてやろうぜ」

「なにそれ? どんな力?」

「愛の力ってやつだ」

「ぷっ。ちょっとダサくない?」

「もう俺を置いては行かせないからな」

 愛地の瞳に水羽の視線が重なる。

 大狼が咆哮し、跳躍した。だいぶ待ってくれたほうだ。空気の読める相手で助かる。

 二人一緒なら、怖いものなど無かった。何にだって立ち向かえる。

 大口を開けた大狼の牙が目前に迫った。



 そこは、神殿のような厳かな造りの場所だった。左右に立ち並ぶ血の夕日に照らされた柱の間を恋火は駆け抜けていく。

 前方に黒いものの列が見える。近づくと、それが銀の鎖で封じられた棺桶であることがわかった。夥しい数の棺桶が揃って並べられている。これが全て囚われた魂。このどれかに風楽がいるのだろうか。

 奥のほうにまだ空間がある。恋火はそちらへ向かった。

 ドアをくり抜いたような山なりの隙間から先へ進む。

 真っ直ぐに進んだ通路の先。高さ十メートルはありそうな十字架、その中心に風楽が繋がれていた。

「風楽!」

 恋火に声に、風楽がゆっくりと顔を上げた。

 恋火は急いで駆け寄ろうとするが、視界の端に黒いものが目に入った。

 空間を旋回する黒い翼。

 一羽のカラスが恋火の行く手を阻むように降り立った。

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