行く手に降り立ったカラスからもやのようなものが広がり、輪郭が曖昧になっていく。やがてそれは黒いローブを羽織る人の形をとっていった。

「やっぱり来たか」

 フードの下から覗く鋭い目が恋火を見据えた。手に自らの体躯より巨大な鎌を構えて。

 死神のジジは恋火を黙って通してくれそうにはなかった。すぐそこに風楽がいるのに。

「恋火さん」

 十字架に磔にされている風楽が彼女の名を呟いた。その声に力はない。

「会いたくて来ちゃった」

 恋火は珍しく正直な気持ちを吐露した。それを聞いた風楽が目を見開いた後、クスッと笑った。成功だ。

「寂しくて泣いてなかった?」

「何言っているんですか。泣くわけないじゃないですか……」

 そう言う風楽の目から見る間に涙が零れ出した。

 まったく、これだからほっとけないのだ。

 恋火はじりっと一歩前へ進む。

「止まれ」

 ジジが恋火を睨みつけた。

「止まらないよ。邪魔するなら、火傷するのはあなたのほう」

 その恋火の挑戦的な言葉に、ジジはニッと口角を上げた。

「そうか。わかった。それなら」

 目の前からジジの姿が消える。

「お前に本物の死を与えてやる」

 空中に飛び上がった黒いシルエットから巨大な鎌が振り下ろされた。



***



 その日、恋火は剣道の全国大会で優勝した。

 会場の喝采を浴びる彼女だったが、その顔にこれといった喜びは浮かんでいない。いつもの淡々とした彼女だった。

「恋火さん」

 だが、観客席から彼に言葉をかけられた時、恋火の表情は初めて綻んだ。

「やりましたね」

「ちゃんと見てた?」

「はい。かっこよかったです」

「そう」

 恋火は強くありたかった。彼女が武道の道へ進んだのは、守りたいものがあったからだった。

 風楽の美しい笑みが目に入る。

 その彼の笑顔は、恋火が何より好きな宝物だった。



***



 グワーン、という共鳴音が鳴り響いた。

 恋火は振り下ろされた鎌に対し十字に刃を当てた。ジジの目が驚きに見開かれる。

 恋火は刀を振り、ジジを跳ね飛ばした。ジジは身軽な身のこなしで距離を取っていく。

 恋火は自分の右手にあるものを見た。刀身の細い銀の刀。反りのある側が朱い。

 彼女の想いが守るための道具を呼び起こした。

「恋火さん」

 風楽の声が聞こえる。

 彼がいれば、自分は強くなれる。

 恋火は死神のジジに向け、刀を構えた。

 ジジがゆらゆらと揺れながら体を起こした。

 フードから覗くその暗黒の瞳には、狂気が浮かんでいた。



 はあ、はあ、と愛地は荒い呼吸を繰り返していた。水羽と並んで走り、大狼と距離を取っていた。

 その後には点々と血溜まりが形成されていく。

 愛地の左腕は大狼に喰い千切られていた。

 魂だけの存在のはずなのに、肉体があるように痛みを感じた。これまで操作していたはずの場所に左腕がないため、脳は混乱をきたしている。

 朽ちかけたレストランのような建物があり、二人はそこへ入って身を隠した。壁に背を預け、座り込む。

 大狼はすぐにやってくるだろう。獲物の血の臭いを追って。

 水羽が悲痛な面持ちで愛地を見ている。

 もうここから、逃げられそうにはない。

「水羽」

「私もここにいるから」

 愛地の思考を悟ったように水羽が機先を制した。

 もう言葉はなかった。残された者の苦しみは、彼が誰よりわかっている。

 大狼が近づいてきた。足音と腐敗臭が迫ってきている。

 愛地はまだ残っているほうの手で、水羽の手に触れた。水羽もその手を握り返した。

 愛地は歌を歌った。ずっと昔から歌い続けられてきた、悠久の歌。

 水羽もそれに倣い、歌う。

 二人の歌声は、血の空に儚げに響いた。

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