魂を喰らうもの

 下の回廊も同じく、空には血の海のような色が広がっていた。階段を下りきると、その階段は消えてしまい、上の回廊の地面も見えなくなった。どうやら一方通行ということらしい。地の底へ底へ。

 そこは寂れた廃墟都市というような場所だった。抜け殻のように今にも崩れ落ちそうな建物の合間を通り、時に内部を通過して先へ向かった。

 先々で無造作に置かれた鎖の繋がれた棺桶を目にした。これが魂の法を犯した者たちの末路だ。暗く狭い棺桶の中に閉じ込められ、鎖が解かれるその時まで死すら叶わず囚われ続ける。

 そんな苦痛を風楽に味わわすわけにはいかない。そんなことをしては彼の美しい心が壊れてしまう。絶対に救い出してみせる。

 グルルルルルル。

 唐突に音が響いた。恋火はビクッと体を震わせて立ち止まる。獰猛な野獣が喉を鳴らすその音は、狩られる者の恐怖を呼び起こすには充分な響きを持っていた。近くに何かいる。

 恋火と水羽と愛地は、できるだけ足音を立てないようにしながら、手近にある朽ちかけた電車の車内へ身を潜ませた。薄汚れた座席の上に這いつくばり、窓から姿が見られないようにする。

 足音が近づいてきた。漂う生臭さが鼻をつく。

 ドクン、ドクン、と心臓が高鳴る錯覚を魂が起こす。意識が警鐘を鳴らしていた。

「ひっ!」

 水羽が短い悲鳴を上げ、傍にいる愛地に素早く頭を下げられていた。恐怖の対象を目にせずにはいられなかったのかもしれない。

 足音が止まった。何者かの意識がこちらへ向けられているのを感じる。

 恋火はこのままやり過ごすことができなかった場合の対処を考える。自分たちは武器を持っていない。仮に持っていたとしても、生半可な攻撃など通用するだろうか。相手は魂の牢獄プリズンの主だ。喰われたら魂が消滅するとレッドは言っていた。

 足音は止んだままだった。もしかするといつの間にか遠くへ去っていったのかもしれないという期待を意識が持ちたがる。

 その時、急に視界が暗くなった。電車の窓から入ってきていた赤い空の光が遮られた。

 心臓が鷲掴みにされたような恐怖が奔る。

 そいつは、電車のすぐ外から、中を覗き込んでいた。恋火から壁一枚隔てたすぐ向こうに、奴がいる。足音を消して近づいてきたのだ。

 グルルルルル、とすぐ傍でそいつが喉を鳴らした。恋火は歯を強く食いしばり、恐怖に耐え忍んだ。今すぐにパクリといかれてもおかしくない。強烈な腐敗臭で咳が出そうになるのを無理やり抑える。

 ドスン、と衝撃があり、地面が揺れた。光を遮っていた体が消え、血の色が車内に差し込む。

 どうやら主はいなくなったらしい。しばらくその場でじっとしていたが、近くで音はしない。

 シートに這いつくばったまま小さく顔を起こし、同じような格好の水羽と愛地と顔を見合わせた。

 ここからはもう少し注意して進まなければ。自分たちの目的は風楽を救い出すことであって、獰猛な野獣と相対することではない。

 三人は体を起こし、恐怖で凝り固まった体をほぐしながら電車の乗降口から外へ出た。

 あんな血の色の空なのに、もう一度それを拝むことができた安心した。

「あーまったく。ちょー怖かったよ」

 先に進んでいる水羽がそう言って二人のほうを振り返った。

 その水羽の表情がピクッと固まる。

 恋火は後ろを振り返った。

 電車の車体の上にそいつはいた。

 体中に鎖が巻きつけてある、巨大な白い狼。禍々しく光る赤い目。体毛がまるで剣先のように鋭く伸びていて、それだけで獲物を貫けそうだ。開いた口から魂を八つ裂きにする凶悪な牙が覗き、口の端から唾液が滴っている。

「走れ!」

 愛地の怒号のような掛け声とともに、三人は大狼の反対方向へ向かって駆け出した。

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