蛙と蛇
恋火はレッドの言葉を信じ、
この辺りに、蛇がいるらしい。にわかには信じ難いが、その蛇の口が
恋火は塔の周りをグルグルと周り、茂みや森の中なども探してみたが、木の枝に足をかけて蝙蝠のように逆さにぶら下がっている人間がいたり超肥満体型でその丸々としたお腹が地面につかえて身動きの取れなくなっている大きな鼠を目にした以外はとくに気になるものは見つけられなかった。
恋火は早くも蛇の捜索に飽きてきてしまった。風楽を助けたいという気持ちはもちろんあるが、その気持ちとは別に興味のないことをすることはつまらないことであるというのも事実だった。風楽や愛地だったらきっともっと根気よく続けることができるとは思う。こういうことは自分にはあまり向いていない。
「ありゃあ。これまたずいぶんなべっぴんさんやないか」
すぐ近くから少ししゃがれた男性の声が聞こえた。
恋火は辺りを見回すが、声の主は発見できない。
「どこ見とる。ここやここ」
恋火はすぐ目の前の地面に目を向けた。するとそこに、焦げ茶色の体をした一匹のカエルがいた。
カエルとがっつり目が合った気がしたが、恋火は何も見なかったふりをしてそのまま通り過ぎようとした。
「コラコラ! なに無視しとんねん!」
カエルは口をパクパクさせ、気に障ったような声を出した。
恋火は一度振り返ってカエルを見たが、やはり関わりたい気持ちは起きなかったので前を向いて歩こうとする。
「待てっちゅうねん。はいはいわいが悪かった。かんにんしてケロ」
哀愁漂うカエルの姿を目にして、さしもの恋火もその場に踏みとどまった。
「何か用?」
そう恋火に尋ねられると、カエルは満足げに喉元を収縮させた。
「あんた、何か探しとるようやな」
「うん」
「よかったらわいに話してみい。力になれるかもしれんで」
カエルがその場で元気よく飛び跳ねた。
望み薄ではあったが、恋火は一応訊いてみることにした。
「蛇を探してる」
「へびぃ? それわいの天敵やないか」
「ああそうか。ならあなたをオトリに使えば」
「ちょい待ち。さらっと怖いこと言うなや」
その時、罵るように喋るカエルの背後の地面がモコッと触れ上がった。そこから切れ目のような細い瞳孔の二つの目を持つ顔が現れる。
「後ろ」
「後ろ? なんや?」
カエルが体を捻らせながら飛び跳ねて着地し、後ろを向いた。これでカエルにも今にも自分に襲いかかろうとしている巨大な蛇の姿が目に入っただろう。蛇は舌なめずりするようにチロチロと先が二股になった舌を出し入れし、それから大きく口を開けて上顎についた鋭い二本の牙を露わにした。
「きょ、きょええええぇぇぇぇ!」
今にも蛇に丸呑みにされそうなカエルらしからぬ叫び声を上げるカエルを恋火はすんでのところで素手で掴み、横に飛び退ってパクンと口を閉じた蛇から距離を取った。地面から首を生やした人さえ軽く呑み込めそうな体躯の蛇は、取り逃がした獲物をその爬虫類の目で睨みつけた。
「た、助かったあ」
カエルが恋火の手の平の中で安堵の息を漏らした。
恋火は地面から突如現れた黒光りする大蛇を見据える。こいつがレッドの言っていた蛇だろうか?
すぐ後ろでボコッと土がめくれ上がる音がした。
恋火はすぐに振り返ったが、遅かった。鱗のあるしなやかな長い体に巻きつかれる。人の力では到底振りほどくことのできない力で体を締めつけられた。咄嗟の判断で手を離し、カエルは地面に逃れていた。
「アカン! べっぴんさん!」
大蛇が鎌首をもたげ、二本の牙から毒液をしたたらせながら顔を近づかせてきた。最期の間際に聞く声がカエルの声だなんて。なんだか可笑しくて笑えた。
しかし、獰猛な大蛇の顎が、恋火の体に届くことはなかった。視界に白いものが見えたかと思うと、それは横から大蛇の顔に何かを叩きつけた。
「楽しそうだな。俺たちもまぜてくれよ」
白いローブ姿の男。愛地だった。彼は木の棒で大蛇に攻撃し、蛇が怯んだのを確認してから恋火に向かって楽しそうに笑った。
「きゅ、救世主現る!」
カエルが足元で耳障りな声を上げた。
「恋火!」
蛇の締めつけが緩んだ隙に、駆けつけた水羽が蛇の体を振りほどいた。恋火の手を引いて引っ張り出す。
「大丈夫?」
「うん。ありがとう」
大蛇がシャーと空気を絞り出すような音を発した後、体を高速で小刻みに震わせてカシカシャカシャと威嚇音を鳴らした。かなり怒っている様子だ。
しかし、頼もしい二人の仲間が駆けつけてくれた今、恋火に恐れるものなどなかった。ドレスの裾にくくりつけていた小袋を手に取り、大蛇目がけて剛速球を投げつける。それは蛇の鼻の辺りに命中した。袋から粉が漏れ出て空中を漂い、蛇の顔の周りに充満する。
不快そうに首を動かす大蛇だったが、次第に動きが散漫になってきた。やがて持ち上げていた首が地面に落ち、目を閉じて動かなくなった。
「二人にお願いがある」
恋火は言った。
「この蛇の口を開いててくれる? その間に私が中に入るから」
「入るって、なんで?」
水羽が訊いた。
「なんかこの蛇の口が、
「えっ、マジ?」
「私行ってくるよ」
その時恋火の左肩に手が置かれた。振り向こうとすると、置かれた手から人差し指が伸びていて、その指が恋火の左頬に食い込んだ。愛地の顔が見える。
「なに?」
ほっぺに指を食い込ませながら恋火は訊いた。
「ぷっ」
近くにいる水羽が吹き出した。無表情のままの恋火が可笑しかったのかもしれない。
「俺たちも一緒に行く。当然だろ?」
「やめたほうがいい。まず無事に帰ってこれない」
「それならなおさらだ」
「手、離して」
「恋火がうんと言うまで離さない」
「……うん」
恋火の胸の内で温かな感情が満ちていく。
「よし。じゃあレディファーストだ」
恋火から手を離した愛地がそう言って、横たわっている大蛇の口を大きく開いた。
「なにがレディファーストよ。最初に入るのが嫌なだけでしょ?」
「バレた?」
恋火は笑い合う愛地と水羽を眺めた。彼らは紛れもない、大切な仲間だった。
「ひえええええ!」
水羽が悲鳴のような声を上げながら大蛇の口から中へ入っていく。恋火がそれに続いた。
「頑張ってな! あんたたちの無事心から祈ってるでえ!」
カエルがピョコピョコ飛び跳ねながら激励の言葉をかけていた。
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