二人の死神





 歌。




 歌が聴こえる。




 魂が昇っていく。




 役目を終えた体から離れ。




 庭へ帰っていく。




 碧の光に包まれ。




 記憶が戻っていく。


 風楽は棺桶の中で、目を覚ました。

 手に何かを握っている。平べったい、軽いもの。

 棺桶の蓋を開け、光の中に出る。

 持っていたのは、白い葉だった。死ぬ直前に恋火からもらったもの。

 以前恋火と一緒に現世の森の中で見た白い樹は、記録の大樹ツリーと似ていた。

 どうして恋火はこの葉を取ってきたのだろう?

 風楽は彼女に最後にかけられた言葉を思い出す。

『私もすぐに帰るから』

 その言葉はまるで、魂の庭ガーデンのことを示しているように思える。

 しかし、こちら側の記憶は現世では所持していないはずだ。単に自分もすぐあとを追うという意味だったのかもしれない。

 今回の生は、だいぶ心残りだった。恋火としっかり結ばれる前に終わってしまった。いろいろとやってみたいこともあったが、まだ何もできないうちに終幕した。

 自分がいなくて、彼女は大丈夫だろうか? 方向音痴なのにすぐに突っ走るところがある。考える前に走り出す。自分がブレーキ代わりになってあげないとスピード違反になるまでアクセルを踏み込みそうだ。

 そんなことを考えて、風楽は笑った。このことを彼女に言ってみたらどんな反応をするだろう? どういう反応があるにしろ、見てみたい。

 風が吹き、白い花畑をそよがせた。

 点々と散らばる黒の棺桶。

 どこかでカラスが鳴いた。

 ゆらゆらと揺れる黒いものが近づいてくる。

 黒い傘を持ち、黒いローブを羽織った少女。

「あなたは、死神?」



 恋火の目の前で、風楽は粉々に砕け散った。病室のベッドの上には赤い宝石の欠片が散らばった。

 恋火はしばらく茫然と立ち尽くした。周りで忙しなく動き回る人たちも気にせず。

 彼女には、風楽の亡骸を弔う気持ちもない。もうそこに彼の魂は無いと知っているからだ。彼の魂は魂の庭ガーデンに旅立った。

 これまで気力と体力を奮い立たせて走り回っていた反動で、力が一気に抜けた。気を抜くとその場に倒れ込みそうだ。

 恋火はふらつく足で、病院をあとにした。

 もし向こうでまた彼に会えると知っていなかったら、どうにかなっていたかもしれない。

 救えなかった。あの世の記憶を持っていても、これでは何の意味も無い。

 雨に打たれながらとぼとぼと病院の駐車場を歩く。

 カラスが鳴いた。

 目の前に黒いフードを被った小さな人間がいた。雨が降っているのに、手に持った黒い傘は閉じたまま。

「死神」

 恋火はぼそっと呟いた。

 その呟きに、死神のジジは戸惑いの表情を浮かべた。

「どうしてわかる?」

 わかって当然だ。今の恋火には「記憶」があるのだから。魂の管理者を知らぬ者はいない。

「記憶があるのか?」

 ジジの問いに恋火は答えない。もう、どうでもよかった。

「お前、どうやってアカシックレコードにアクセスした?」

 恋火の脳裏に白いドレスの少女の姿が浮かんだ。それをわざわざ教えてやる義理も無い。

「種はどこだ?」

 種? そういえば、少女がそんなことを言っていた。

「吐かないつもりか?」

 ジジが威嚇するように傘を構えた。

 恋火は雨粒を浴びながら死神を静かに見据える。

 いっそ一思いにやってほしい。そうすれば自分でやる手間が省ける。

「いいだろう」

 ジジは傘から鋭利で巨大な鎌を引き抜いた。

「お前から大切な記憶を奪ってやる」

 大切な記憶?

「あっさり再会できると思うなよ」

 鋭い軌跡を描きながら、死神の鎌が振るわれた。



 風楽は死神のニニから事の顛末を聞いた。

 恋火が禁忌を犯したらしい。アカシックレコードに接続し、現世にいながら記憶を所持した。そんなことをしては、世界の均衡が失われる。人は死が待っているからこそ、成長を遂げるのだ。

 風楽はニニの事情聴取を受けた。といっても、彼は本当に何も知らなかった。そして、もし知っていたとしても、恋火が不利になるような話をするわけがない。

 あの樹だ。風楽は一つ思い当たる節があった。現世の森の奥にある白い大樹がきっと関係している。おそらく恋火はそこで記憶を手に入れたに違いない。

 彼女がそうまでして行動を起こそうとした動機は、一つだ。

 恋火は風楽を救おうとしたのだ。

 たとえ魂の法に触れたとしても、彼女ならやりかねない。

 風楽は嬉しかった。自分に対して彼女がそこまでしてくれたことが。

「彼女は記憶を奪われる」

 ニニが言った。

「記憶?」

「この地の情報。輪廻の記憶。あなたのことも、全て忘れる」

 風楽はそれを聞いてショックを受けた。

 もし恋火がこの魂の庭ガーデンに帰ってきても、風楽のことがわからない。これまで築いてきた数々の思い出が、彼女から失われる。

「やめてください……そんなこと」

「あなたに口を挿む権利は無い」

「嫌です。僕のことを覚えていないなんて」

 ニニは冷たい視線を風楽に向けている。そこに懐柔させる隙は無い。

「あなたに命令がある」

 ニニはさらに言った。

「命令?」

「彼女がこの地で目覚めた後、監視をすること」

「恋火さんが何をするって言うんですか?」

「何もしないように、あなたが見張るのよ」

 風楽は冷たく言い放つニニを睨みつけた。

 お前が彼女の何を知っているというのか。彼女の温かさ、優しさを知らない人間が、彼女を語るな。

「何か言いたそうな顔ね」

 べつに、と無愛想に呟きそうになったところで、風楽に一つの考えが浮かんだ。

 交渉の余地があるだろうか。

 いや、説得させなければならない。

「条件があります」

 風楽は悲しみを抱きつつ、覚悟を決めた。

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