アカシックレコード

 少女は、愛くるしい笑顔を浮かべて恋火を眺めていた。まるでこれから自分と遊んでくれることを期待しているような、そんな笑顔。

 あいにく、恋火に遊んでいる暇はなかった。雨に打たれてもその輝きを失っていない、白い大樹を見上げる。

 もし恋火が願いごとをするなら、今この時をおいて他にない。風楽を救ってほしい。非情な運命の筋書をどうか書き換えてほしい。

「その樹に触って」

 鈴が転がったような、耳に響く声。笑顔の少女が恋火に言った。

 恋火は少女の存在を訝しく思いながらも、言われた通り白い樹の幹に触れた。

「今、記憶をあげるね」

 右手を樹に当てている恋火の傍で、少女も樹に触れた。

 その途端、恋火は自分の意識が樹の中に吸い込まれていくような感覚を感じた。白の中へ入っていく。

 繋がっていた。そこでは、全てが。無数に枝分かれした世界。無数の人の想い。全てが、白い樹を通して、繋がっている。

 歌が聴こえた。大勢の人間の声が合わさった歌声。ずっとずっと昔から響いている、悠久の歌。

「こっちだよ」

 白い世界の中に、少女がいた。薄紫色の髪に、白いドレス。

 恋火の意識は少女についていった。

 棺桶があった。白い世界の中で一際目立つ、黒の棺桶。

 少女がその棺桶の蓋を開いた。中に朱い光がある。

「これがあなたの記憶」

 朱の光が浮き上がり、こちらに向かってきた。それが自分の意識の中に入ってくる。

 パン、と意識が弾けるような感覚があり、恋火は現実世界に戻ってきた。突然の衝撃で、恋火は尻もちをついた。

 記憶が意識に馴染むまで、しばらく時間がかかった。少しずつ、理解していく。

 恋火は今、現世にいた。今回の生をまっとうしようと、生きていた。

 目の前にある白い樹は、まるで宇宙空間に浮かぶ記録の大樹ツリーのようだ。この白い樹は、現世の情報をあの世と繋ぐ役割を担っているのかもしれない。司書のレッドはその情報を管理し、視覚化した情報を浮世の鏡シアターで流している。

 恋火は今、現世にいながらあの世の記憶を所持してしまった。それは禁忌にあたる。けれど、そんなことはどうでもよかった。恋火は風楽を救いたい。また生まれ変わることができると知ってしまった今でも。

 恋火はこれまでに何度も歩んできた生を思い出す。いつもそこに、風楽の顔があった。おどけているようだけど泣き虫で。どんどんこちらに入り込んでくるくせに、変なところで遠慮する。恋火が恋火であることを称えてくれる。自分のことを好きでいてくれる。寄り添ってくれる。優しい人。

 目の前の白い樹が記録の大樹ツリーに繋がっているなら、そこから情報を引き出せるかもしれない。風楽を救う手立てがあるかもしれない。

「ふふ、ふふふ」

 鈴を転がしたような少女の声が響く。少女は樹の傍に立っていた。

 恋火は改めて、少女の存在を疑問に思った。彼女は、何者だろう? どうやって記録の大樹ツリーにアクセスしたのだろう? どうやって恋火に記憶を与えたのだろう?

 一体何が目的なんだろう?

 少女は手に、少し細長い丸い物体を持っていた。それは白く、大きさも鶏の卵ほどだが、卵にしては少し平たい。

「それは何?」

 恋火は訊いた。

「種だよ」

 少女は相変わらず笑顔で答えた。

「あなたは誰?」

「わたしは■■」

 おかしな現象だった。少女は口を開き、恋火の耳にも確実に声が届いたにもかかわらず、少女の名前を認識することができなかった。

 頭上から冷たい雨が降り注いだ。こうしている間にも、風楽の命の灯火は縮んでいく。

「私、大切な人を救いたいんだ。協力してほしい」

「いいよ」

 あまりの即答に、恋火は不安を抱く。彼女を信用していいのだろうか?

「どうしたらいい?」

 恥もプライドも捨てて、恋火は少女に知恵を求めた。

 白い樹の下に立つ少女は、手の平を開いて片手を上に上げた。見ていると、樹の枝から一枚の白い葉が剥がれ落ち、落ちてきた葉が少女の手の平にのった。

「これをあげて」

 恋火は少女から白い葉を受け取った。本当にこんなもので人の命を救うことができるのか?

「そのうちまた会うと思う」

 恋火がその場から去る時、少女はその意味深な言葉を呟いた。

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