決闘
暗い暗い道だった。
手探りで草をかき分け、木々の間を縫い、愛地は進んだ。
耳元で囁くように鳴る呪いの言葉には耳を貸さず。
破滅の道を辿った。
行く手を遮るように草木が伸びていても。
へし折り、踏みつけ、蹴散らしていった。
この感情が恨みなのか悲しみなのかも忘れて。
どんなに身心が痛もうと。
彼は歩みを止めなかった。
頭上でカラスが鳴き、飛び去っていく。
視界が明るくなる。森を抜けた。
夜の空にまあるい月が浮かんでいた。普段見るより何倍も大きな月が、愛地を睨んでいる。
目の前は石造りの大きな橋だった。トラック二台がすれ違ってもまだ全然余裕があるような。
愛地は橋を渡っていく。
この先に希望など待っていないと知りながら。
前方に、一人の人間が立っていた。
闇に浮かぶ灰色のボブカット。闇に紛れる黒のドレス。
朱い瞳。
愛地は足を止めた。
二人の間を鋭い風が通り過ぎる。
「ここから先は行かせない」
その女は言った。凛とした、自信に満ちた声。
「悪いけど」
愛地は口を開く。
「もう止められない」
女の冷たい視線が愛地を射抜く。
歌が聴こえた。大勢の人間の歌声。
それは怒っているような激しい響き。
月明かりに照らされた橋の上。
女は手に長い棒を持っていた。木刀のように見える。
それを愛地に向けて構えた。心得のある所作だ。
いつの間にか愛地の右手にも木刀が握られていた。
「手加減はしてやる」
愛地は不敵に言った。
女の表情は動かない。
「どけ」
愛地は木刀を持って駆け出した。
女は一瞬で距離を縮め、愛地の喉元に向かって木刀を突き出した。速い。
愛地はすんでのところで横に飛び退り体を石畳に打ちつけながらどうにかかわした。
転がった愛地を女は冷たい目で見下ろしている。
「やるな」
愛地はニタニタと笑みを浮かべながら立ち上がった。
「引き返せ」
女は言った。
「無理だな」
言いながら愛地は前進し、大振りに木刀を振り回した。
女は楽々と避け、木刀でいなした。それでも愛地は無理やりに攻撃する。
突如左肩に激痛が走った。女が振り下ろした木刀が命中したのだ。愛地が呻いている間に女は腹に蹴りを見舞ってきた。華奢で細身な体から繰り出されたとは思えない力で愛地は後ろに突き飛ばされた。
尻もちをつかされた愛地を尻目に、女はグルグルと木刀を回転させる余裕の構えだ。
歌声は激しさを増していた。
「これ以上堕ちるな」
女が言った。愛地のことをわかっているような口ぶりだった。
「そんなことは、誰も望んでいない」
愛地は近くに落ちている木刀を拾い立ち上がった。
「知ってる」
愛地は女に笑いかけた。
女は探るような視線を愛地に向ける。
「だけど、これはどうしたらいい?」
愛地は自分の胸に手を当てた。
「この感情は。大切なものを失った悲しみ。絶望。喪失感。やり場のない、憎しみ」
胸元の服を乱暴に掴んだ。
「壊すしかない。自分もろとも」
「壊しても、意味はない」
「やってみなきゃわからないだろ?」
愛地は木刀を持って走り出した。
動く様子のない女に迫り、両手で木刀を持って振り被る。
キン!
女が鋭く一閃し、愛地の木刀が高く高く彼方へ吹き飛ばされた。
女が目前で目を見開く。
愛地は隠し持っていた拳銃の銃口を女に向けていた。
「もうやめましょう」
すぐ傍で柔らかな声がした。
華奢な体格の男が後ろから体を密着させ、拳銃を握る愛地の腕を掴んでいた。
戦意の削がれた愛地は、拳銃をその辺に放り投げた。
歌声は先ほどより静まっている。
現れた男は女のもとに行き、こちらに向いて並んで立った。
朱の瞳と碧の瞳が静かに愛地を見据える。
その視線は、憐れみではなかった。
その眼差しは、理解だった。
「約束、ちゃんと守ってよ」
愛地は驚きに目を見開いた。声が聞こえた。
彼女の声が聞こえた。
すぐさま辺りを見回すが、姿は見えない。
だけど、確かに聞こえた。
体に流れる血が、これまでとまったく異なるものを循環させていく。
懐かしい、温かさ。
愛地のまぶたから、もう流れることはないと思っていた涙が流れた。
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