煌めく女神

 愛地は、シイナと並んで研究所の白い通路を歩いていた。綺麗で清潔な場所を歩いていると、自分が汚いもののように感じられた。きっと自分は実際にこの世界にとって汚物でしかないのだろう。

 通路の先のエレベーターの前まで来ると、黒い服の男が立っていた。見覚えのある、眼鏡をかけた男。

「こんにちは」

 タグチだった。エリート面をした政府関係者の男。

 タグチが来ると聞いていなかった愛地は、問い質すようにシイナに顔を向けた。するとシイナは石でも投げつけられたみたいに怯え顔をしかめた。彼のその反応で話はわかった。

「なるほど。何をしでかすかわからない人間を大事な研究施設に入れることは、監視しておかないと心配ということか」

「はい、その通りです」

 タグチは悪びれもせず答えた。

 三人はエレベーターに乗り、地下へ下っていく。

「一応尋ねておきましょうか」

 タグチが顔も見ずに言った。

「あなたはこの場所に何をしに来たんですか?」

 愛地は一呼吸置いてから答える。

「決まってるだろ。女神様の顔を拝みに、だ」

 その答えを聞いて、タグチがちらっと愛地に目を向けた。

 シイナはいつも通りただビクビクしている。

 エレベーターが停止し、扉が開いた後、上階とは対照的に黒い空間に出た。ブラック・ボックス・ラボという名称に違わぬ場所だ。

 通路を進んだ先。あの場所に入る。

 手前にモニタールームがあり、何人かの人間が作業をしていた。

 シイナが奥の部屋に入る扉のドアノブを掴んだところで、愛地を振り返った。垂れ下がった前髪の隙間から覗くシイナの目は、悲しそうに見えた。

 奥の部屋に入る。機械と、それを繋ぐ配線。

 部屋の中央に、少し細長い、棺のような形の入れ物。中は透明の液体で満たされ、淡い光で照らされている。

 その中に、女神がいた。

 ×をつくるように胸の前で両腕を組み合わされ、目を閉じ仰向けに横たわっている。体のあちこちに装置が取りつけられ、液体の中で眠っている。

 その体は、透明の石だった。水羽の形を象った、宝石。

 彼女は人々を救うかわりに、石になった。

 愛地は傍に立ち、水羽の魂の抜け殻を眺めた。

 彼女はもう、動くことはない。愛地に向かって笑いかけることはない。

 彼女の魂はもう、ここには無い。

 それでも、わかっていても、彼女の頬にそっと触れようと、愛地の手が伸びていく。

 その手首を誰かに掴まれた。見ると、そこにシイナがいて、申し訳なさそうに首を横に振った。

 もう、愛地にできることはなかった。いや、初めから何も無い。

 一つ、できることがあるとすれば、彼女との約束を守ることだけだった。あの日、早朝の教会で誓った約束。

「き、きっとまだ、間に合います。どうしますか?」

 別れ際、シイナがそう訊いてきた。

 愛地は彼にちらっと視線を向けただけで、答えもしなかった。

 頑固だよね、と水羽によく言われたことを思い出す。

 確かに、そうかもしれない。



 夜、愛地は自宅のリビングにいた。

 ソファに座り、プリントアウトされた数枚の写真を眺める。

 写真にはそれぞれ異なる建造物が写っている。それは目標の対象物だった。

 その一つに、都心にそびえ立つ電波塔がある。

 そんなことをしても、何の意味もない。奪われたものは返ってこない。それは愛地もよくわかっている。

 だけどもう、止まらなかった。操縦桿を握る手は、もう動かない。

 何かにぶつかるまで。

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