犠牲の意味

 そこは、どこもかしこも白かった。床、壁、天井、左右にいくつか見えるドアも。曇り一つない白が照明を照り返し、眩い光を投げかける。

 通路を進んでいくタグチのあとについて歩く。水羽と愛地の後ろには二人の黒服がついてきている。左右のガラス窓から研究室の中が見え、深夜過ぎだというのに白衣を着た人間たちが作業をしていた。向こうも通路を歩くこちらの団体に気づき、ちらっと目を向けた。

 通路の奥にエレベーターらしきものがあった。ピッ、と音が鳴り、扉が開く。タグチがコンソールの操作をしていた。

 タグチがエレベーターに乗り込み、目線で乗るように促した。五名の人間を乗せ、箱が下っていく。地下のさらに奥深くへ。

 箱が止まり、扉が開く。

 そこは、上階とは対照的に、全てが黒かった。水羽は黒い箱の中に閉じ込められたような気分になった。

 エレベーターの近くで、一人の人間が待っていた。

 白衣のように丈の長い、しかし黒い服。梳かされている様子のない黒の前髪は目元辺りまで垂れ下がり、視界が遮られているように思える。黒いマスクもしているため肌はほとんど見えないが、僅かに見えるそれはまるで死人のように白かった。かなり細身の、男のようだ。

「あっ、あっ」

 マスクの下が見えたらきっと口をパクパクさせているような、そんな挙動。

「こちら、シイナさんです」

 タグチが代わりに紹介をした。

「あっ。よ、よ、よろしく」

 シイナと呼ばれた男が水羽に向かって声を震わせながら言った。目の下にかなり濃いくまができている。友達になりたいというなら、あまりよろしくされたい相手ではない。

「こ、これからあなたを、そ、装置に。し、し、死にます。生成したワクチン、を」

「えっ? ちょっといきなり何言ってるか」

「すすす、すみません。ぼぼ、僕のせいで」

「あなたのせい?」

「僕が開発したんです。そ、そ、それで……」

 シイナが前髪の隙間から見える目線でタグチに助けを求めた。

「シイナさん。あなたの研究は人類を救う発明です」

 タグチの発言はシイナの肩を持ったものに思えたが、シイナは目を背けて辛そうに俯いた。

「〇〇水羽さん。まずは、検査を行うようです。明日の朝には結果が出るでしょう。その後は、です」

 いいように言っているが、それはつまり、水羽の人生は明日に終わると言っているようなものだと解釈した。

「信頼できるんだろうな? 人の命を扱おうとしているんだぞ」

 愛地が口を開いた。タグチに対するそれは、いつもの穏やかな彼の口調ではない。彼の態度には怒りが満ちていた。

「はい。もちろん実証済みです」

 そのタグチの言葉に、水羽と愛地は目を見開いた。

「はっきり言いましょう。〇〇水羽さん。あなたは人々の心の拠り所となるために選ばれたのです。もちろん確率的には偶然の産物であることは断言いたします。宝石化症候群という未知の奇病に対し、人々は恐怖と混乱の境地に陥った。それが全て顕在化しているかどうかは別にして。この奇病に対抗するために生きている人体が必要だとしても、それが真っ当な生き方をしている人間のものである必要はない。掃いて捨てるほど、とは言いませんが、どう考えても世の中に必要だとは思えない種類の人間だっているでしょう?」

「うそ?」

「あなたの尊い犠牲が、人々の心を救うのです。わけのわからないものにすがり病を克服しただけでは、人々は満足しないのです」

「ふざけんな!」

 愛地が大声で怒鳴り散らした。その声が室内に反響する。

 シイナは頭を抱えて今にも倒れるんじゃないかという様子だった。

 タグチは愛地にちらっと目を向けたが、動じていない。

「これまで複数人による臨床試験により、人体を用いることで宝石化症候群を防ぐことが可能と立証されています。安心してください。あなたの命が無駄になることはありません」

 水羽の胸の内が、すーっと、凍てつくように冷たくなっていった。



***



「ねえ風楽」

「はい」

「現世ってこんなに酷いところだったっけ?」

「そうですね。でも、僕たちはもっと酷い時代を生きた時もありました」

「どんな?」

「人と人が殺し合う戦争の時代」

「私たちも戦ったの?」

「……かもしれません」

「そう。ねえ風楽」

「ふふ」

「……なにか可笑しい?」

「いえ。恋火さんに名前を呼ばれるのが嬉しくて」

「じゃあもう呼ばない」

「なんでですか!?」

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