死への迎え
0時きっかりに、インターホンが鳴らされた。玄関に進み、ドアを開ける。
そこに、黒いスーツ姿、黒いマスクをし眼鏡をかけている男が立っていた。スッと細長い体型、思っていたより若い見た目の年齢は三十代ほど。洗練された佇まいから、一見してエリート街道を進んできた人間だという印象を受ける。その男から少し離れた場所に、やはり黒服の二人の男が控えていた。
「こんばんは、タグチといいます」
タグチと名乗った眼鏡の男は、水羽の横に並んで立っている愛地に少し訝しげな目を向けた。
「挨拶なんていらない。それで?」
水羽の言葉で、タグチが彼女を向く。
「これからあなたを研究施設のほうに案内します」
「案内? 拉致するの間違いじゃないの?」
「こちらとしても手荒な真似はしたくありません」
「人の命をなんとも思わないお前たちがよく言うな」
愛地の皮肉に、タグチが少しだけ眉間に皺を寄せた。
「私たちは今、人の命を救うために動いています」
「自分たちの政策のため、だろ?」
タグチの表情が停止した。おそらく頭の中では伝達物質が忙しく働き、どう答えるか考えている。
「そんなことどうでもいい。行くなら早く行きましょ」
「もうここへ戻ってくることはできませんが、準備はよろしいのですか?」
「ふざけないで。自分が死ぬための準備なんて、終わるわけがない」
「そうですね。失礼いたしました」
タグチは思ったより傲慢な男ではなさそうだったが、それで水羽の気分が晴れるわけもない。
「外に車を用意しています。そちらへ」
背中を向け歩きかけたタグチだが、水羽と一緒に玄関から出てくる愛地を見て、足を止めた。
「申し訳ありません。関係者以外の方をお連れすることはできないのです」
「俺が無関係だと思うのか? お前たちは俺の大切な人の命を奪おうとしているんだぞ」
「仕方なく決まったことです」
「俺はお前たちに彼女を渡さない。最後まで絶対、傍にいる」
水羽は傍らの愛地を見やる。
好きだった。彼のことが。自分も彼と離れたくない。
「仕方ありませんね。これから見ることは全て口外無用であることを覚えておいてください」
「俺の口が堅いうちはな」
愛地は一歩も退かない。普段は優しい彼だけど、本当は自分よりずっと強い人間であることを水羽は知っていた。彼の信条は、どんな時も折れることはない。
マンションの表に停めてあった黒塗りの車に乗り込む。やってきた三人の他に、運転手が一人いた。
「観覧車からの眺めは、いかがでしたか?」
移動の途中、助手席に乗ったタグチが訊いてきた。その発言は、今日一日水羽たちを監視していたことを暗に示している。この場から逃げられないということも。
「そうね。おかげさまで糞みたいな景色だったわ」
水羽の皮肉に、ミラーに写るタグチが少しだけ嫌そうな顔をした。エリート男の鼻っ面を殴れたようで、満足だ。
移動の間、愛地は水羽の隣でずっと手を握ってくれていた。こんなに心強く感じる人は他にいない。彼と一緒なら地獄の底へだって行けそうな気がした。
車は首都高に上がり、高いビルの合間を縫うように走り抜けた。
「今のうちに一つ訊いておきましょうか。世間の人間は、人柱として誰が選ばれたのか、知りません。お望みであれば、あなたの名前を世間に公表することができます。世界を救った英雄として、あなたの名前は語り継がれるでしょう。どうですか?」
「そうね。それこそ、糞っくらえ、だわ」
水羽の口撃は止まらない。タグチの表情がまだ一段階険しくなった。
自分が死んだ後の世界になど、興味はない。誰が何を崇めようと、知ったことではない。
それ以上喋ると自分の気分が害されると思ったのか、タグチはそれきり口を閉ざした。車内で話をする者はいない。水羽の隣に座っている愛地は、思い詰めたような顔でなにか考え事をしているようだった。
高速道路を下り、車は都内の道を走った。深夜でも煌々と明かりが灯っている。
あるビルの前で、車はウィンカーを出しスピードを落とした。ビルの裏手に回り、警備を通過した後、地下へ下っていく斜路を通っていく。そして薄暗い場所の駐車スペースの一角で停車した。
「正直、驚きました」
エンジンの切られた車に乗ったまま、口にチャックをしていたはずのタグチが口を開いた。
「不条理な方法で、あなたは死を決定づけられました。死刑囚のように、自業自得な罪を犯したわけではない。たまたま選ばれてしまっただけなのです。もっと暴れたり、逃げ出したりと、抵抗する可能性を視野に入れていました。それなのにあなたは、悠然と事の次第を受け入れています。なぜですか?」
「なに? もっと私に抵抗してもらいたいわけ? これから鬼ごっこでも始めろって?」
「いえ。個人として興味を惹かれたのです。この短期間でどのようにして死を受け入れたのか」
「受け入れられるわけがない。ただ私は、後悔したくないと思っただけ」
「そうですか」
「それで」
割って入るように愛地が口を開いた。
「ここには豪勢なスイートルームでも用意されているんだろうな?」
愛地の脅迫口調のジョークに、タグチは笑って答えた。
「ええ。とびっきりの部屋をご用意しております。ブラック・ボックス・ラボへようこそ」
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