死のルーレット

「よう。最近よく会うな」

 無数の本が漂う宇宙空間を抜け、浮世の鏡シアターのロビーに出ると、レッドが少しだけ嬉しそうに話しかけてきた。

「べつに、あなたに会いに来たわけじゃない」

 恋火のその冷たいあしらいにもレッドは動じず笑みを浮かべた。

「まあそう言うなって。そういえばさっき、ジジとニニの奴らが来たぞ」

「ジジとニニ? 確か、あの育ちの悪そうな双子だっけ?」

 恋火は螺旋の塔タワーで会った黒いフードを被る二人の少女の姿を思い浮かべた。

「ハハ。育ちが悪そうか。いいな。あんたもあまり育ちが良さそうとは思えないが」

「すぐ足が出ますからね」

「うるさい」

 恋火は風楽の追撃をピシャッと遮断した。

「それで、その双子が来たという情報が私たちに何か関係ある?」

「あいつらはあんたの話を聞きに来たんだ」

「私? 私が何?」

「元気にしてたか、ってよ」

「……」

 レッドの楽しそうな笑みを見て、上手くはぐらかされたと感じた。

 恋火が無表情で黙り込んでいると、レッドは少しだけ罪の意識を感じたらしい。

「まあ、なんだ。そんな顔するなよ。俺ならいつだってデートに付き合ってやるからさ」

「いらない」

 恋火はつかつかと歩いてさっさとその場から立ち去った。後ろから風楽が焦ってついてくる。

『42』のスクリーンに向かった。その前の通路まで来たところで、またあの少女を見つけた。

 白いドレス、薄紫の髪の少女が、無垢な笑みを浮かべて恋火たちに手を振っていた。

 恋火は少女の近くまで進んでいく。

「私たちに何か用?」

 少女は楽しそうな顔で恋火をただ見上げる。

「もしかして、迷子? 両親とはぐれたの?」

「恋火さん。幼い子供を見るたびに迷子と疑うのはやめましょう。ここでは見た目の年齢はあまり関係がないんです」

「べつに本気で言ってるわけじゃない」

「わかってますけど」

 二人が雑談している間も、少女は愛くるしい笑顔を振る舞いていた。彼女のほとんど白と言っていい瞳は、現実ではない何かを見ているように感じた。どこか、人間味を欠いている。まるで人形のような。

「さあ、恋火さん。僕たちには仕事が待っています」

 風楽がそう言って恋火の手を引いた。

 恋火も風楽に従い歩き出したが、少女のことが気になり振り返る。

 そこにいる少女はただただ笑顔を浮かべていた。



***



 抽選された人間を生贄にし病に対抗するという、宝石化症候群に関する政府が発表した施策について、国民の大多数の人間が賛成の意を示したという事実。水羽はその衝撃をまだ飲み込めずにいた。

 傍らの愛地に目を向けると、彼は神妙な顔つきでテレビの画面を見つめていた。そこに驚きの様子は見られない。彼はこうなることを予測していたのだ。

 自分の知らない世の中の誰かを犠牲にし、自分たちはのうのうと生き残る。見なかったふりをして。そんな事実があったことすら忘れて。今この国が進んでいるのは、そういう道だ。

 今、この国では宝石化症候群による死者が多数出ている。誰か一人を犠牲にし大勢の人間の死を食い止めることができるなら、そちらを選択すべきなのかもしれない。ただ水羽はそう簡単に妥協することができなかった。数の問題とは思えなかった。

 その時、愛地が体を寄せ、腕を回して水羽の肩を抱いた。不安定な状態だった水羽は、その温もりの中に飛び込んだ。彼の胸に自分の顔を埋める。暗闇に落ちないように、必死にしがみつく。

「宝石化症候群による犠牲を最小限に抑えるためには、一刻も早い行動が必要です」

 テレビから発せられた音声を聞き、水羽は愛地に抱かれながらテレビ画面に目を向けた。

 テレビに映る政府関係者が誰かに合図を送った。すると、会見の会場に六台のルーレット台が運び込まれてきた。

「今からここに、一台につき二桁ずつ、計十二桁の数字をまったく手の加えられていない完全にランダムな形で抽選し、表示させます。その表示された十二桁の数字に当てはまる個人番号を所持している人間が、宝石化症候群撲滅のための人柱として選ばれます」

 ドクッ、と鼓動が跳ねた気がした。気持ちの整理も許さないまま早くも生贄が選ばれようとしている。それは、死刑宣告だ。政府は今、罪もない一人の人間を殺そうとしている。

 壇上の関係者は、会場のどよめきが静まるのを待ち、続けた。

「一つ、念のため、言っておきますが。これは、みなさまの意思、判断による行動です。我々はあくまで手段を提示したにすぎません。そのことをお忘れなきようお願いいたします」

 それは、政府が責任を国民に押しつける言葉だった。のちのちどう批難されようと、自分たちが下した判断であると責任逃れをするつもりだ。

「では、抽選を行います」

 六台のルーレットが一斉に回転を始めた。どこかで見たような光景だと思い当たる。確率的にも、宝くじの一等と同じようなものかもしれない。普通に考えて、当たるはずがない。水羽は回転を続けるルーレットをただぼんやりと眺めていた。彼女の頭の中では、生贄に選ばれる人間についてどう解釈するか、どう考えたら罪の意識が軽くなるだろうかと、自己防衛の意識が働いていた。

 一台ずつ、ルーレットを停止させていく。そのたび二桁の数字が表示され、計十二桁の数字が排出された。会見の会場はシーンと静まり返っている。

 そのランダムに選ばれた数字を見ても、どこの誰が選ばれたのか、他人には知る由もない。意味を成さない者にとって、それはただの数字でしかなかった。

「数字が決定しました。選ばれた人間が世間への公表を望まないかぎり、我々が公の場で名前を告げることはありません。ただ、覚えていてください。我々が生きる世界を救うため、尊い犠牲となった人がいるという事実を」

 その時、家の電話が鳴った。水羽と愛地は顔を見合わせる。その間も電話のベルは鳴り続ける。

 愛地が立ち上がって電話に出ようとするのを制し、水羽は受話器に向かって電話に出た。相手の声は、知的に感じる男性の声だった。

『〇〇水羽さんですね。こちら政府の関係の者です。会見は見ていましたか? そうですか。それは話が早い。明日の深夜、日づけ的には明後日になってすぐの0時に、我々があなたのご自宅に伺います。それまではどう過ごしていただいても構いません。その時刻にご在宅いただけるようお願いいたします。詳しい話は明日お会いした時に申し上げたいと思いますが、今のうちに訊いておきたいことなどございますか? ……ない、ようですね。それでは明日』

 相手が電話を切る前に水羽の手からこぼれた受話器が床に落ち、大仰に音を立てた。

 何かが壊れたみたいに。

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