呪いの声

 朝、水羽は身支度を終え、駅への順路を歩いていた。

 駅前の広場までくると、そこに人だかりができていた。この時間はみんな通勤や通学で忙しいはず。よっぽどのことがないかぎり足を止めることはない。人が集まると感染のリスクも高まる。

 水羽が人だかりの輪の中を覗くと、そこに上半身裸の男が立っていた。遠目からでもすぐにわかった。男の左脇腹辺りの肌が透き通った紫色になっていることが。

「ハハハ! どうだ、みろよこの体ぁ! 近くで見たことあるか!? 石になってるんだよ、体がぁ! よく見ろよ、これは呪いだ! お前たちもみんなみんな、そのうちこうなって死ぬんだよ! 怖いだろう!? 悲しいだろう!? 怖かったら泣き叫べ! そして死ねえぇぇ! ヒャハハハハハ!」

 男の言葉は狂気に満ちていた。周りの人々は口々に何事かを呟きながら、恐怖と好奇心の間で揺れていた。笑みを浮かべながらスマートフォンで楽しそうに男を撮影している人間もいる。それもまた狂気だ。

 水羽は人込みを縫って、輪の中に入っていった。彼女の中に流れる何かが、そうさせた。そのまま他の人間より一歩進んで、上半身裸の男の正面に立った。

「ん、なんだお前」

 男は死にかけた虫でも見るような目で水羽を見た。

 水羽はじっと男を見据える。

「そうか。お前も欲しいのか。ならくれてやるよ。ほら、触ってみろ」

 男はそう言って両腕を左右に広げ、宝石化した体を差し出すように見せた。

 水羽は男に近づいていく。

 周りからいくつかの悲鳴が上がった。

 まさか水羽が近づいてくるとは思っていなかったらしい男は、驚きと戸惑いの表情を浮かべた。

「いいよ」

 それは自分でもびっくりするぐらい落ち着いた声だった。つけていた手袋を外してその辺に放り投げる。

「それであなたが救われるなら」

 水羽は男の両手を取り、体の正面で合わせた。そこに自分の両手を重ねる。男は驚愕に目を見開いている。

「だからもう、そんな悲しそうな顔はしないで」

 男は硬直したようにじっと水羽を見つめた。その男の目から、透明の液体が溢れ出す。それはまぶたから頬へと伝っていった。

 そこへ、どかどかと騒がしい足音が近づいてきた。人込みの間からフェイスガードをした三人の警官が入ってくる。

 警官たちは男を連れていった。

 広場に集まっていた人々が四方へ散っていく。

 水羽はその場に茫然と立ち尽くしていた。

 体が震え自分が涙を流しているとわかるまで、だいぶかかった。



 夜、水羽は自宅のリビングで愛地と並んでソファに座り、リポーターの姿を映すテレビ画面を眺めていた。

 そして、発表の時がきた。

 カメラが切り替わり、会見の壇上に上がる政府関係者の姿を映す。

 水羽は愛地と手を握り合いながら、その発表を聞いた。

「三日後に、国民のみなさまからこの案についての是非を問う。

 我々は後日、できるかぎり近い期日のうちに、国民の中から抽選を行う。

 抽選にはコンピューターを用い、完全にランダムで行われる。

 抽選で選ばれた者は、宝石化症候群撲滅のための人柱となってもらうことになる。研究の結果、その手段を用いることで宝石化症候群を防ぐことが可能になった。

 突如現れた宝石化症候群という奇病が、我々にとってどれだけの脅威であるのか。みなさまも周知の事実のはず。

 一人の命を犠牲にし、世界を救うか。

 ただただ世界を犠牲にするか。

 三日後にその是非を問う」

 会見の会場は戸惑いと興奮、罵詈雑言で溢れ返った。



***



 恋火は言葉もなく、ただただ険しい表情を浮かべていた。その様子は少し怖いぐらいだった。風楽はこれまで喧嘩で彼女に勝てたためしが一度もない。そもそも滅多に喧嘩になどならないが。

 こういう時は、無為に触れずにそっとしておくべき。風楽は経験でそう学習していた。

 風楽は一度恋火のことは置き、現世の出来事に考えを向ける。

 状況は、自分がまだ生きていたころより悪化しているようだった。歪みが顕在化したというような。

 その中で、風楽は水羽という女性のことを思う。

 これまでの生で何度も苦楽をともにしてきた仲間。ともに輪廻の旅を行く道連れの一人。

 彼女が抱えているカルマは、とてつもなく険しい。風楽は、そう感じた。

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