罪なき生贄

 自宅で政府の発表を聞いた水羽は、その荒唐無稽な発言を罵倒していた。

「ねえ、何なの!? 抽選って。人柱って。人の命を何だと思ってるの!?」

 水羽はたまたま傍にいた彼、愛地に向かって感情をぶちまけてしまった。

「ああ」

「誰かを犠牲にして、自分たちだけ助かろうとするなんて」

「そうだな」

「そもそもそれで本当に防ぐことができるの?」

「俺に訊かれてもわからないよ」

「ああ、駄目。ちょっと治まらない」

 頭の中でいろいろな感情や思考がごちゃ混ぜになり、制御ができなくなっていた。水羽は時折こういった癇癪を起こすことがあった。

 愛地が席を立った。キッチンに向かったらしい。少しして、水の注がれたコップを片手に戻ってきた。そのコップを水羽の前のテーブルに置く。水羽はコップを力強く握り締め、水を一気に喉に流し込んだ。そして乱暴にコップを置いた。

「落ち着いた?」

 水羽は穏やかな表情の愛地をちらっと見やる。そう、彼は水羽と違っていつだって冷静な人間だ。そのことが今は、少しだけ腹立たしかった。

「政府の発表はめちゃくちゃだ。突然すぎるし、奴らのやろうとしているのは非人道的行為」

 水羽の息はまだ荒かったが、どうにか彼の言葉を聞こうと努めた。

「だけど」

 彼のその打ち消しの意味を持った言葉を耳にした時、水羽は自分のどこかが冷たくなっていく気がした。

「もし、世の中の誰か一人だけを犠牲にして、この悪夢が終わるのなら。毎日何千人と出回る数値がゼロになるなら。その賭けに乗ってみるのもありだと思わないか?」

「……本気?」

「えっ?」

「それ、本気で言ってるの?」

「……」

「結局、そうなの? あなたも」

「……水羽」

「もういい」

「俺はただ――」

「もういいって!」

 水羽の叫びの後、凍てつくような静寂が二人の間を流れた。



 政府が宝石化症候群についての発表を行った翌日は、各所で批難の声が燃え上がった。大勢の人間が水羽と同じような反応を示した。

 しかしその翌日になると、世論の声は不気味なほどに静まり返った。誰もが腹の内を隠しているようだった。

 そしてさらにその翌日。選択の日。政府の発表に対する回答はネットを介して行われた。

 集計が終わり、三日前と同じ政府の人間が会見の席に立った。

 水羽はこの前と同じように、愛地と並んで座ってその様子を見守った。

 政府の人間が持っていたノートパソコンを開き、モニターをカメラに見えるようにして置いた。そこにグラフと数値が表示されている。

「このような結果となりました」

 政府の発表した内容、抽選で選ばれた人間を生贄とする方法に賛成する人間は、回答者の「97%」に及んだ。



***



「恋火さん。一度少し、外に出ましょうか」

 風楽の提案に、少し間を置き、ちらっと彼に視線を送ってから、恋火は答えた。

「風楽がそうしたいなら」

「よかった。じゃあ、行きましょう」

 シートから立ち上がった風楽が、片手を恋火に差し伸べた。恋火はしばらくその手を見つめてから、そこに自分の手の平を置いた。彼に引かれて立ち上がる。

『42』のスクリーンの入り口から出る時、恋火はふと人の気配を感じたような気がして、室内を振り返った。

 ざっと座席の並びを眺めたが、誰もいない。

 気のせいだったのだろうか。

 早く行きましょうと急かす風楽に促され、恋火はその場をあとにした。

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