宝石化症候群
水羽はこの日の会社での勤務を終え、最寄り駅から自宅への帰路を歩いていた。
駅前の華やかな通り。洒落た店構えの多い、都会の街。時刻は夕暮れ時。
冬でもないのに手袋を着用し、帽子を被り、マスクもして、目元以外の肌の露出を極力控えた格好。水羽が特別というわけではなく、そういう時世がやってきた。
水羽が雑貨屋の前の歩道を歩いていると、少し離れた場所から何か硬いものが割れたような甲高い音が響いてきた。水羽はその音に足を止める。
音は通りから奥に入った路地のほうから聴こえた。
水羽は迷った。このまま何もなかったように通り過ぎてしまうほうが無難であることはわかっているのだが、自分の中の小さな正義心が行動を起こすよう駆り立てる。
水羽は踵を返し、道を折れて路地に進んだ。
そこからさらに一つ道を曲がったところで、見つけた。
白く透き通った、輝かしい宝石の山。ダイヤモンドのような煌めき。
水羽はその美しい宝石を目にし、吐き気を堪えるように口元に手を当てた。
それはつい先ほどまで命を宿していたある物体の、成れの果てだ。
背後から鋭い足音が響く。
「きゃっ!」
振り返る間もなく、水羽は何者かにぶつかられ突き飛ばされた。薄汚れたアスファルトの地面に倒れ込む。
やってきたのは、全身黒尽くめの二人の人間だった。その二人はバッグから取り出した大きな布袋に地面に散らばっている宝石をせっせと詰め始めた。その「回収」の動作は、とても手慣れているように見えた。
やがてその場から宝石の山が消え、二人の人物が去ると、哀しみに暮れる水羽一人だけが残された。
事の発端は、ある地域の採掘業者の体質の変化だった。
ある日突然、その人物の体の一部が鉱石に変異したのだ。時間の経過とともに、変異は徐々に体全体へと広がっていった。
体が石になったというのに、生活をするうえでとくに支障が出ることはなかった。なぜか人体としての機能に異常は見られなかった。
だが、やがてそれが起きた。体の変異が心臓まで到達した時、体全てが石へと変わり、爆発するように弾け飛んだのだ。あとに残ったのは煌びやかな宝石の山だけで、人間の体としての名残りは全て消え失せていた。一体何が起こったのか、誰もわからなかった。
変異の原因は未だ解明されていない。体質の変化は生体実験によるものだという噂すら流れた。
のちに「宝石化症候群」と名づけられるこの奇病の恐ろしさは、発病すればいずれ来る死は免れないこと、そして皮膚から皮膚、人から人へ感染していくことにあった。
明確な対策も講じられないうちに、宝石化症候群は世界中に爆発的に広がってしまった。いつどこでどう感染するかわからないという恐怖が、世界を混乱の渦中に巻き込んでいった。
水羽はマンションの自室に帰宅した。
リビングに進み、明かりを点けるが、彼の姿はない。彼がまだ帰宅していないことはわかっていた。それでも今すぐに彼に会いたいという気持ちが、水羽に彼の姿を探させた。
先ほど路地裏で水羽が目にしたのは、宝石化症候群を発症した人間の最期だった。彼女は人の死を目撃したのである。
せめて安らかな眠りを、と彼女は祈りを捧げに向かったのだが、「回収」を行う人間と遭遇し、他人の命を自らの糧と見なす人間の薄汚い側面を目にすることになってしまった。
これまで抑圧され潜在的に存在していた人間の欲望、本性とも言える部分が、宝石化症候群の広まりをきっかけにして多く発露するようになった。
差別。強奪。拒絶。攻撃。
沈殿した泥のような人間の心の醜さがそこかしこで表れる。
水羽はこの世界の行く末を案じずにはいられなかった。
***
「これは?」
恋火は隣のシートに座っている風楽に尋ねた。
「はい。これは現世で起こっている現実の出来事です」
二人は大型のスクリーンに流れる映像を観ていた。それは単なる映像ではなく、まるで人物の思考が物語のように自分に雪崩れ込んでくる奇妙な感覚があった。
「
「何のためにこんなものを見る必要がある?」
「恋火さんは、映像に出てきた
「私は知らない」
「そうか。そうですね。すみません」
「なぜ謝る?」
「すみません。続きが始まるようです。ひとまず観てみましょう」
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