記録の大樹
「もう一つ、恋火さんに案内すべき場所があります」
風楽はそう言って
どこまでも広がる大地と空。
柔らかな風に、美しい花畑。
白いローブ姿の風楽の背中を見て歩いていると、ふと彼が立ち止まって振り返った。
「あの、恋火さん。一つ提案なんですけど」
「なに?」
「手」
「て?」
「手を繋いで、歩きませんか?」
風楽が女の子みたいにはにかみながら言った。
「誰の手と誰の手?」
「僕と恋火さんの手ですよ。他にありますか?」
「なぜ?」
「僕がそうしたいからです」
「一人でも歩ける」
「二人でも歩けますよ」
風楽が近寄ってきて、恋火の片手を取った。
「まだいいなんて言ってない」
「だめとも言ってませんね」
風楽に懐柔され、二人は手を繋いで歩き出した。
心底嬉しそうな風楽の顔を見ていると、つい心が和んだ。ここまで自分の内に踏み込んでくる人間など、他にいるだろうか? 自分は現世でどのような一生を送ったのだろう?
「ほら、見えてきました」
風楽の言葉を聞いて前方に目を向けると、遠くに巨大な白い球体が見えた。
「あれは何? 中にガスでも入ってる?」
「ガスタンクではないですよ。行けばわかります」
二人は手を繋ぎながら球体に近づいていく。
球体は、スポーツなどが行われる競技場の半球のドームをちょうど×2したような大きさだった。球体に向かって階段があって、ちょうど真ん中の高さに突き当たる。球体のその部分にドアがあった。
「あれに入るつもり?」
「そうしてみましょうか」
「爆発とかしない?」
「怖いんですか?」
「訊いてみただけ」
「怖かったら僕の胸に飛び込んできてもいいんですよ。あっ、痛っ!」
恋火は彼の手を握る手に力を込めた。
「調子に乗らない」
恋火にたしなめられた風楽は、少しだけしゅんとする。
二人は階段を上り、球体に設置されたドアの前まで進んだ。
「じゃあ、行きましょう」
風楽が繋いでいた手を一度離し、両開きのドアを開けた。
球体の内部は、とても暗かった。ほのかな明かりが見えるが、外からでは内部の構造がまったくわからない。
風楽がそのまま一人で中に入っていった。
恋火も続いて中に入る。
その途端。
「わっ!」
恋火は滅多に出さないみっともない声を上げた。
球体の内部には、床が無かったのだ。足がつくはずのところに何も無く、足が空回りした。
そのまま落下してしまうと思ったが、そうもならない。恋火の体は宙に浮いていた。
「大丈夫ですか?」
風楽の声が聞こえる。恋火は声のほうに向かって泳ぐように腕をかき回しながら必死に手を伸ばした。彼を見つけ、その手を掴む。
「あっ」
「風楽」
「恋火さんのほうから手を繋いでくれるなんて。感激です」
「風楽、ここは何?」
恋火の声にはまだ焦りが滲み出ていた。
風楽は恋火の驚きと戸惑いを楽しむように笑っている。
「ここは、
「名前なんてどうでもいい。こうなるなら、先に言って」
「すみません」
謝罪の言葉を述べる風楽の顔に、反省の色は見えない。こうなることがわかっていたのだ。
球体の内部は突然の無重力だった。そして暗く、細かい星々のような明かりが点々と瞬いている。まさに宇宙空間に飛び込んだような。
「アカシックレコードという言葉をご存知ですか?」
飛行機のように体を水平にしながら、風楽が言った。
恋火はどうにか冷静を装おうとするが、まだ無重力に慣れずについ手足をばたつかせた。
「知らない」
「アカシックレコードというのは、宇宙誕生からこの世界で起きた全ての事象が記録されているという宇宙の図書館のような概念です」
「それが何?」
「それが、ここなんです。厳密には、その一部でしょうか」
宇宙空間のような場所を漂う二人の前方に、粒のような物体の集まりが見えてきた。恋火は自分たちが宇宙を漂う岩石群に突っ込もうとしているのではと思い、身構えた。
しかし、近づくにつれ明瞭になってきたそれは、岩石の群れではなかった。
本だ。
二人の傍に無数の本が浮かんでいる。
恋火はその一つを手に取り、ページを開いてみた。そこには恋火の読むことのできない言語の文字が書き連ねられていた。
「恋火さんは本は好きですか?」
「とくに。好きでも嫌いでもない」
「僕は好きですよ。僕は以前小説書きの人生を送ったこともあるんです」
「そう。私はなさそうだ」
「はい。僕の知るかぎりは」
二人は空間を漂う本の群れを通過した。自分たちが進んでいるというより本のほうが動いている気がしたが、よくわからない。
「あそこを見てください」
風楽が恋火の手を掴んでいないほうの手で指を差した。
そちらを見ると、空間に浮かんでいる大きな白い樹が見えた。根っこの部分は眩い光に包まれ詳細を確認できない。幹は太く立派で、上部で広がる枝にはこんもりと葉が茂っている。その全てが白い。樹の周りには円を描くようにして無数の本が回っている。
「あれが
「そう」
「僕たちのことだって全て記録されているんですよ」
「それはそれは。ご苦労さま」
「少し前に一度言いましたよね」
「何を?」
「僕らはそれぞれ成し遂げるべき課題を与えられて現世へ赴く。その課題のことを
「それが何?」
「人が
「それで?」
「僕たちの一つ一つの行いが、魂、ひいては世界を成長させていくことに繋がるんです」
「つまり、生きてるうちはできるだけ良い行いをしましょう、ということ?」
「まあ」
「じゃあ逆に、人が悪い行いをしたらどうなる?」
「罰が与えられるでしょう」
「例えば、過去の記憶を奪われるとか?」
それはぽろっと出た思いつきの鎌かけだった。しかしそれは恋火も思いも寄らぬ効果を発揮した。風楽が目を見開き、驚きの表情を浮かべたのだ。核心を突かれたかのように。
恋火は風楽から視線を外し、宇宙空間に光を投げかける白い大樹を眺めながら彼の言葉を待った。
「一つだけ」
風楽が口を開く。
「一つだけ、言っておきます」
「なに?」
「いつだって。どんな時も。どうなったって」
恋火を見つめる風楽の碧の瞳が美しく輝いた。
「僕はあなたのことを愛しています」
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