第2話

「前園さん返事おそいから、聞こえてないのかと思った」


 そこまで言い切れば、さっきの奇妙な小宮くんの姿はなくなっていた。


 怒らせたかと思った。


 見た事のない表情だったから、私はそう考えた。


「ほら、早く取りに行こ」

「う、うん」

「これで違ってたら笑えるよね」

「それなら私のマーカーはどこ? って話だよね」


 黒板横にある扉を開け、小宮くんが化学準備室の中に入る。彼の言葉に笑う私も続く。


「えーっと……」


 どこに置いてあるのかは知らないようで、小宮くんがきょろきょろしてる。


「机の上とかに……、あった!」


 わかりやすい場所に置いてあると思ったけど、予想通りすぎてすぐに見つけた。


 その瞬間、ガチャリと音がした。


「え?」


 思わず振り返れば、ザッとカーテンも閉められる。


「よかったね、見つかって。でもさ、もっと欲しいもの、あるよね?」


 昼のように、雑に閉められたカーテンの隙間から入る光は頼りない。

 急な暗さに目が慣れない私は、小宮くんがどんな顔をしているのかわからない。

 それなのに、彼はどんどん近づいてくる。


「ずっと物欲しそうな顔してるのに、なんで欲しいって言わないの?」

「な、にが?」


 マーカーの置いてある机が背中に当たる。

 それだけなのに、逃げ場がないと、体が固まる。

 反対側の扉だってあるのに、足が動かない。


「今だって、期待してるよね」


 その先を、言ってほしくない。


「俺に、どうしてほしいの?」


 そんなの、言わせないで。


 思わずうつむけば、机の上に押し倒された。


「ほら、はっきり言いなよ」


 薄暗い部屋で、小宮くんの黒くなった瞳が近づいてくる。


「……やっぱり、前園さんの返事はおそい」


 唇が触れる直前、小宮くんが顔を上げた。

 そして何かを取り出すと、ぽかんとしていた私の口へチョコを入れてくる。


「昼間、これで遊んでたんだ」

「あそ、ぶ?」


 小さなチョコが舌の上で溶け始めて、その甘さに気を取られる。

 そんな私を、小宮くんが声を出して笑った。って思った瞬間、彼が覆い被さってきた。


「こうやって……、溶かす……、遊び」


 キスの合間に、小宮くんの切なげな声が聞こえる。

 でもチョコの甘さに翻弄されて、私は何も答えられない。

 だって、さっきよりも甘くて、頭がくらくらしたから。


「……はっ」


 軽い吐息と共に、唇が離れる。

 息が上がっているのは、ずっと口を塞がれていたから。

 そう、思いたかった。


「まだ、足りないよね?」


 小宮くんの声が、耳の中を這いずる。

 目の前にある彼の瞳には、私だけしか映っていない。

 その事実にぞくりとすれば、勝手に身悶える。


「欲しいなら、ちゃんと言って?」

「……もっと、ほし――」


 最後まで言わせてもらえなかった。

 でも欲しいものを、小宮くんはくれた。

 チョコはもうないのに、お互いの口が溶けちゃいそうなぐらい甘くて、身体が悦ぶのがわかる。


 でも、これも遊び?


 小宮くんの荒い息遣いが聞こえる中、冷静な私が問いかけてくる。

 だから思わず、彼の胸を押した。


「……何?」

「あの、さ。遊ぶなら、別の相手に、してくれない?」


 息を整える前に言い切って、私は起き上がる。

 小宮くんもそれにつられたように、退いてくれた。


「何で?」

「何でって、小宮くんにはたくさんの女の子がいるじゃない」


 その中の1人にはなりたくなくて、泣きそうになる。


「あれはね、俺の入れ物だけが好きなの」

「入れ物って……」

「顔とか、身体とか。だって俺の中身は、空っぽだから」


 小宮くんが何を言ってるのか、わからなかった。

 でも、彼の瞳が悲しげに揺れた気がした。


「空っぽな人なんていないよ」

「そうかな。俺はそう思えないから、作ってもらってる」

「作って……?」

「俺は、女の子達が求めるものをあげるだけ。その子が本当に欲しい俺になりきるだけ。そうやって作り続けていれば、いつかは俺の中身が満たされるかな? って思って」


 そう言い切れば、小宮くんはつまらなそうな顔になった。


「でも前園さんは俺が欲しいくせに、ずっと見てるだけ。そのマーカーだって取りに来るって思って、わざわざ女の子と遊んでたのに」

「もしかして、全部、わざと?」

「うん。授業が終わってみんなが移動する時、気付いてた。その時、思いついたんだよね。こうすれば、素直になるのかなって」


 そこまで言われて、腹が立った。

 何より、私はその他大勢になりたくなかった。


 小宮くんにとって私って、何?


 気付けば、パンッ! と小気味よい音を響かせて、私は小宮くんを叩いていた。


「私は、他の女の子達みたいに、なりたくない」

「どういう意味?」


 叩かれた頬を撫でながら、小宮くんはずっと微笑んでる。

 不気味なぐらい、嬉しそうに。


「私は、私だけを見ていてくれなきゃ、いや」

「そういう重いのは、いらないんだよね」


 さっきから浮かべている笑みを崩す事なく、小宮くんは残酷な言葉を吐き出す。

 だから、ちゃんと言えたんだと思う。

 この酷い人の中に、少しでも特別な私を残したくて。


「それでも、私はそういう想い方しかできない」

「ずっと?」

「ずっと」


 小宮くんのどこか暗い瞳を見つめて、淀みなく言い切る。

 すると彼の笑みが、切なそうなものに変わった。


「でも、俺の中身なんてないんだよ? 演じれば演じるほど、自分がわからなくなる。そんな俺の、どこを好きなったの?」


 これは小宮くんの本心だと、彼の揺れる瞳でわかった。


「全部」

「全部って、前園さんが俺の何を知ってるの?」

「いろんな女の子の隣で笑って、友達と楽しそうに笑って、私が、何もないところで転んだのを笑わないで心配してくれた、小宮くん」


 私が彼を好きになったきっかけなんて、きっと彼は覚えてない。

 だけど、伝えたかった。


「私が見てきた小宮くん全部。私には、小宮くんが1人にしか見えないよ」

「1人?」

「どれだけ小宮くんが演じ分けても、その中にちゃんと小宮くんがいたから」

「何それ」


 自分でも、なんて伝えたらいいかわからなかった。

 けれど、どんな小宮くんからも、彼が伝わってきた気がしたから。


「前園さんの言ってる事、よくわかんない。だからさ、もっと教えてくれる?」

「え……」

「他の女の子、全員切るから。だから前園さんが、今までの女の子達の代わりに教えてよ」


 でもそれって、遊びの延長なんじゃないの?


 単純に喜ぶ私の頭の中で、馬鹿にしたような自分の声がした。

 それが聞こえたかのように、小宮くんが欲しい答えをくれる。


「それに、ずっと俺の事を見てくれてた前園さんは特別。遊びじゃないから」

「……本当に?」

「本当。不安なら、今から電話して全員切るけど」

「それはだめ。ちゃんと謝って」

「何で?」


 不思議そうな顔をする小宮くんを、私は睨む。


「本気で小宮くんの事好きだった子もいるはず。だからちゃんと直接謝って」

「そうかな? でもそれが前園さんの望みなら、そうする」


 何だか納得のいかない答えだったけど、きちんと関係を終わらせてほしい。

 そう自分を納得させて、小宮くんの考えを邪魔しないように、頷いた。


「だから、これからはずっと俺のそばで、俺だけを見ていてね、前園さん」

「小宮くんも、私だけ見てて。よそ見したら、許さないから」


 想いを伝え合って、カーテンを開ける。

 明るい光が、これからの私達の未来を照らしてくれた気がした。

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