第5話 背後からの声

 思えば、この屋敷は何か変です。クリスがこの部屋まで来られたのは、偶然にしては出来過ぎていました。何か、始めからこうなるように仕組まれていたようにも思えます。次から次へと変わる状況。光や音や匂いなどが作る感覚のイメージ。すべてが「まやかし」であるかと思ってしまうほど幻想的なのですから。


 でも、それを顧みる余裕のないほどにクリスの心は、かつてない好奇心と冒険心とに翻弄されていました。すぐそこにあるベッドには、カーテン越しに、なんとなくうっすらと人の寝ている影のようなものが見えます。そして、いよいよ手を伸ばしカーテンの裾を掴んだその瞬間に後ろから耳元に囁きかけるように、

「いけません。今、お休みの最中なので…。」

と、誰かが制止しました。驚いて振り向いてみると、この屋敷の給仕と思われる、痩せて、なで肩の背の高い、かなり年配の男性が立っています。不意を突かれて言葉失い固まっているクリスを見て、給仕は手で合図をするように、

「さあ、こちらへ。」

と小さな抑え気味の声で部屋の外へ出るように言いましたので、クリスは黙ってそれに従い一緒に部屋を出ました。


 部屋の扉が音もなく閉まって、さっきの扉しかない部屋に入った時、我に返ったクリスは給仕に向かって言いました。

「あの…ごめんなさい。勝手に、お屋敷の中に入ってしまって、その…私…道に迷ってしまって、あの…何て言うか…。」

「ええ、ええ分かってますよ。大丈夫です。さあ、こちらへどうぞ。」

 給仕は、微かな笑みを浮かべながらそう言うと、向かって左側の部屋の扉を開けて、クリスに中に入るように手で勧めました。その時、クリスの口から、つい言葉が漏れてしまいました。

「あれ?さっきは、鍵が掛かっていて開かなかったのに…。」

「中からロックしていたので。こちらは私用の部屋、つまり給仕用の休憩室です。」

「じゃあ、この部屋にずっといらっしゃったんですか?」

「ええ、ええ、そうですよ。」

「私がここに来たのをいつ、お知りになったの?」

「つい先ほど。」

「でも、不思議なくらい音の響かない場所なのに、どうやって?」

「はっはっはっ。随分と好奇心の旺盛なお方ですね。いいでしょう。ご説明します。簡単なことですよ。先ほどのお部屋の扉が開閉すると、この部屋にあるベルが鳴るように仕掛けがしてあるんです。ほら、そこのベルがそれです。」

 給仕が指さしたのは、入り口の上の方に横並びで付いている拳ほどの大きさの二つのベルでした。なるほど、この部屋の中にあるベルだから、外にいたクリスには鳴っても聞こえなかったというわけです。

「ああ、そうだったんですね。でも、ついでに、もう一つ聞いてもいいかしら。」

「ええ、もう、この際だから聞きたいことがあれば、お気の済むまで。」

 給仕はクリスの目を見ながら紳士的な笑顔で、そう答えました。


(第6話へ続く)


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