第8話 追いかけてきた過ち
ヴァネッサの眼は遠くの、夕陽で影になっている山を見つめていた。
「……私がちょうど、八歳になった日の話よ。
山に狩りに出かけた父が、私へのプレゼントに大きな卵を持ってきてくれたの。
巣を離れて捨てられていたドラゴンの卵だって、父は言った。
きっと、私が自分のドラゴンが欲しいって言ってたのを覚えててくれたのね。
本当に嬉しくて、早く卵がかえらないかなって暖炉のそばでいつもぎゅっと抱きしめてた」
ヴァネッサの表情は優しかった。見たことのない表情だったが、壮絶な運命がなければもしかしたらこういう表情で過ごせていたのかもしれない。
「その年の冬の間ずっと世話をして、ようやく卵は帰ったわ。
赤ちゃんのドラゴンは本当に可愛かった。その子には首に真っ赤なリボンをつけてあげてね。
膝の上で撫でながら、大きくなったこの子と一緒に山を駆けまわって遊んだり、空を飛んでいろいろなところに行ったり、いろんなことを考えた。
その子も私を親だと思ってくれてたみたいで、いっぱい甘えてくれた。
そうそう、私の持ってたオカリナの音が好きでね。どこかに隠れていても、オカリナを吹くとすぐに飛んできてくれた」
そうか。やっぱりオカリナはこの時に条件づけられたものだったのか……。
「だけどその子は、大きくなるにつれて少し変わった見た目になっていったの。
家族で世話をしているドラゴンに比べてしっぽは長くなって、目つきはするどく、ぎざぎざの鋭い歯がいっぱい生えてきた。だけど私は、それがこの子の個性なんだと思って、大切に育てていたの。
でもある日、そんな私のドラゴンを見て、私のおじいちゃんがきつい口調で言ったの。
『こやつは悪魔の宿ったドラゴンじゃ! 早う殺してしまわんと!』
って……」
「……おじいさんはその時、凶暴な突然変異種だと見破ったんだね」
「ええ。今だったらそうだってわかるけど、あの頃の私には到底受け入れられなかった。
私はだだをこねて泣きわめいて、絶対手放したくないって言い張ったわ。さんざん押し問答をくり返して結局、ふたつの条件を呑んで私はこの子を手放すことを決めたの。
ひとつは、父が新しいドラゴンの卵をまた探してくれること。
もうひとつは、この子の命は自分の手で奪うこと。
私がそう決めた時に、おじいちゃんも父も、この子が成長したらどれだけ危険なことになるかを嫌というほど聞かされた。私は泣きながらずっとその話を聞いてたわ。
そして次の日の朝、私はそのドラゴンの命をとるために山に向かったの」
そこまで語って、ヴァネッサは静かに一呼吸置いた。
「私はナイフを片手に握って、その子の首筋にあてた。首をかき切ること自体は簡単だったわ。母の手伝いで、鶏をしめたことだってあったから。
でも……どうしてもそこから先ができなかった。
前に私、ドラゴン使いはその生涯に一体だけ、最高のパートナーになれるドラゴンに出会えるって言い伝えがあるって言ったでしょ。
私にとっては、その子がそうだったの」
ヴァネッサは淡々と語り続ける。しかし彼女のまつ毛は、何かをこらえているように細かく震えていた。
「私は首筋にあてていたナイフを、その子の翼にあてた。おじいちゃんから、命を奪った証として翼を切り取って持って帰ってくるように言われていたから。
そのまま私は全身の体重をかけてその子の身体を押さえて、両方の翼を切り取った。あの時に聞こえた甲高い悲鳴と、切り口からあふれる血が手についてねばりつく感触は忘れたくても忘れられない。
あまりの辛さに、ことを終えた私はしばらく呆然としていたわ。そして気がついた時には、もうその子の姿はなかった。
茂みの中に向かって血の跡が残ってたけど、追いかける気にはなれなかった。
今思えば、あの歳でよくあんな事ができたものね。きっとあの時の私はどうしても、あの子に生きていて欲しかったのね」
あまりにも壮絶な話だった。
研究所のメンバーでも、パートナーのドラゴンに同じことをしろと言われて、できる人間はいないだろう。
ましてや、まだ十歳の女の子だ。普通ならトラウマになっていてもおかしくない。
「……あとは前に話した通りよ。
あの子は何年も経って、私の家族の前にふたたび姿をあらわしたの。
ひとつだけ付け加えるなら、あの時死んだ家族のドラゴンのそばに、赤いリボンが落ちていたの。まぎれもなく私が、あの子につけたリボンだった。
あの時の私の過ちが、私の家族を全員奪ってまったの」
ヴァネッサの眼に涙がたまる。普段の彼女からは想像もできないが、それだけ深い心の傷になっているのだろう。
「今まで人を襲ったドラゴンを殺してきたのは、私が殺してしまった家族への、あいつが殺した人たちへのせめてもの罪滅ぼしのため。
そんな旅を続けてきて、私はようやくあいつに巡り合った。何があったとしても絶対に仕留める。それが私のするべきことなのだから。
だけど……もしあいつを仕留めたところで、あいつに食い殺された人たちが帰ってくるわけじゃない。
私はあの時思わず犯してしまった、自分の罪を抱えて生きていくしかないの」
ここまで話して、ヴァネッサは顔を伏せて身体を震わせた。
彼女のそばにそっと近づくと、突然彼女は俺の身体にもたれかかった。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
それが贖罪の思いがあふれ出した言葉なのか、思わず感情をあふれさせてしまい、俺に迷惑をかけたと思っているゆえの言葉なのかはわからなかった。
どうすればいいのかわからないが、せめて元気づけてあげたい。
「話してくれてありがとう、ヴァネッサ。俺にできることはないか。この後の作戦、君の手助けならなんだってしよう」
「ありがとう……。でも大丈夫よ。強いて言うなら……」
ヴァネッサは伏せていた目を、ゆっくりだが真っ直ぐに俺に向けた。
「あの子だけは絶対に、私の手で仕留めさせて頂戴」
彼女の目は涙で腫れてしまっていたが、その向こうの瞳には執念も怒りもなく、ただ強い決意だけがこもっていた。
ヴァネッサとあのドラゴンの間には確かに強い絆があったのだろう。
強い絆は『因縁』へと変わり、今もふたりを繋ぎ続けている。
俺にできるのは、この戦いを見届けることだけなのかもしれない。
ならば、精いっぱいその手助けをしつつ、きっちりとその役割を果たすとしよう。
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