第9話 地獄の決闘場
日が暮れた後のリオネットは、普段ならば静かで真っ暗な村だった。昨日までは間違いなくそうだった。
しかし今宵は櫓や壁のあちこちに松明がつけられ、その周りに何十人もの人間が動き回って、静かにその時を待っている。まるで祭りの日の晩のようだ。
櫓の物見のところには黒い影。
戦いのはじまりは影の主、ヴァネッサのタイミング次第で決まる。
彼女以外の者は全員、壁のそばでただその時を待つことしかできない。
「先生、本当に来るんでしょうかね」
「きっと来るさ」
フレッドの身体にも、まだ反応は来ていないみたいだ。
風はない。おそらくクロスボウの矢も落下を考えない限りまっすぐ届くだろう。
その時だった。
静かな夜のとばりの中に、柔らかい音色が聞こえ始めた。
「オカリナの音だ」
「来るぞ、備えろ……!」
聞こえてくる優しい曲は、これが凶暴なドラゴンを呼び寄せる曲のようには思えない。むしろ子守歌のように聞こえる。
しばらく、そのメロディに耳を傾けていると……!
「あっ……先生、来やがった……!」
フレッドの身体がガクガクと震えはじめた。
ついにこの時が来たか……!
「フレッド、炎の壁に点火用意だ」
「了解!」
フレッドや他の村人に戦闘指示を飛ばすと、俺は櫓へと向かった。
ヴァネッサの戦いの補佐をするほか、もし危険な状態になった時はヴァネッサを説得し連れ戻す役割だった。彼女がドラゴンを目の当たりにした時、贖罪の思いからその場にとどまろうとするかもしれない。
櫓の梯子を登り切り、オカリナを吹き続けるヴァネッサの横に立つ。物見から身を乗り出すようにして、森の中の暗闇にじっと目を向ける。
すると……。
「見えたっ」
森の中から大きな黒い影が、ゆっくりと現れる。
それはオカリナの音に引かれるように、ゆっくりこっちに向かってきていた。ただ一面が暗闇のため、その姿はよく見えない。
ヴァネッサにもドラゴンの姿は見えているはずだが、オカリナの音色はよどみなく続いている。相当の覚悟と度胸を胸に秘めているのだろう。
ドラゴンが堀の内側に入ったら暗闇に隠れている村人の合図で、堀の中に敷き詰めた牧草に一斉に点火する手はずになっている。
その時だった。
壁の両端が一瞬明るくなったと思うと、そこからドラゴンを囲むように炎の弧が描かれ、畑の一帯が一気に明るくなる。
同時に醜悪なドラゴンの全身が、周りの炎に照らされて畑の中央に浮かび上がった。
さらに炎は両端から弧を描き、ドラゴンの真後ろでくっついた。同時にその長い尾に炎が触れたのだろう、ドラゴンは夜空に向かって大きく吼えた。
その姿はまるで地獄の怪物さながらであった。
ヴァネッサはオカリナを口から離し、代わりに煙草をくわえる。そして慣れた手つきで火をつけると、
「矢が外れたら、どのくらい修正したらいいか教えてちょうだい」
言いながらクロスボウにダイナマイト付きの矢をつがえた。この時初めて、少し強めの風が吹いていることに気がついた。
続けて彼女は祈るようにダイナマイトの導火線に火をつけ、クロスボウの狙いをつける。この場の雰囲気もあって、まるでその行為ひとつひとつが何らかの儀式のようだった。
そしてヴァネッサはゆっくりと静かに、引き金を引いた。。
矢は火花の光点へと姿を変えて闇を駆け抜け、ドラゴンの真横の木箱の山を吹き飛ばした!
「左方向に三メートル!」
「ちぃっ! やっぱり風があるわね」
第二の矢をつがえた瞬間、どうやらドラゴンもヴァネッサの姿をとらえたらしく、大きく吼えると俺たちのいる櫓に向かって一気に駆け出し始めた。
ここでひとつ誤算があった。
「しまった。障害物が意味をなしていない」
ドラゴンの素早い動きを封じるために配置したはずの荷車は飛び越えられ、茨は前脚に小さなかすり傷をつけただけで跳ね飛ばされてしまった。
このままでは、そのまままっすぐ櫓に突っこまれてしまう!
その瞬間、ヴァネッサが第二の矢を撃ち出した!
ダイナマイトは走るドラゴンの数センチ手前で炸裂した。おかげでドラゴンの全速力の進撃は止めることはできた。
しかし、三本目の矢をつがえている途中……。
「うぉっ!?」
「きゃっ!?」
ドラゴンは櫓をくんでいる柱にとびつき、横の柱を折り始めた。
同時にヴァネッサはダイナマイトに点火し、真下のドラゴンを狙おうとしたが……。
「待て! このままじゃ俺たちまで吹っ飛ぶ!」
「どうして⁉ じゃなきゃ私たちが先にやられてしまうわ!」
制止した瞬間、さらなる一撃が櫓を襲った。同時に物見が一気に傾きはじめる。
ヴァネッサが導火線の火を消したのを確認すると、下を見て飛び移れそうなところはないか探す。
あった!
「ヴァネッサ、向かって左手の荷車の、干し草の上に飛び移れ!」
「えっ!? 無茶よ!」
「俺がタイミングを指示するから一緒に飛ぶんだ!」
さらなるドラゴンの攻撃。今度は物見の真下の横柱に食らいついた。そろそろ倒れる!
そう思ったと同時に、一気に物見が傾いた。
「今だっ!」
同時に物見を飛びだした俺たちの身体を、干し草はしっかりと受け止めてくれた。
櫓がガラガラと崩れる中、干し草の山から飛び降りると、ヴァネッサはふたたびダイナマイトに点火した。
直後にヴァネッサは矢を撃ち込んだ。
矢は崩れた櫓の上のドラゴンの胴体に飛んでいき……。
雷鳴のような轟きと、大きな煙をあげて炸裂した。
だが、まだだ。
鱗にはばまれて大きなダメージは与えられていない!
「ヴァネッサ、もう一発、最後の矢を!」
「……ない! さっき櫓が崩れた時にどこかに……」
その時だった。
目を光らせ、ドラゴンが再び襲い掛かってきた。ヤツの狙いはヴァネッサだった。
ヴァネッサはとっさに大八車の下に隠れた。しかしドラゴンは大八車を前脚で押し、壁際に押し付ける。ヴァネッサは壁と大八車の作る三角形の隙間に閉じこめられてしまった。
大八車の左右から逃げようとすると、ドラゴンの爪が彼女を引き裂こうと待ち受けていた。
それでもドラゴンは大八車の二台を爪で破ろうと、ガリガリと必死にひっかいている。
ここまでしてヤツはなぜ、彼女を殺そうと狙うのか。
変異種特有の凶暴性からか? それとも翼を切り取られたときの怨みなのか?
とにかくヤツを殺せるようなものがあれば……。そうだ!
「フレッド!」
「先生! 大丈夫かい!?」
「俺の部屋に行って、カバンの中から小さな試験管を持ってきてくれ! ドラゴンを殺せる毒が入ってる!」
その毒をもつドラゴン、コモデウスは他種のドラゴンだって捕食することもある。ならばあのドラゴンにも効果があるはず!
「わかった! ちょっと待っててよ!」
だがフレッドが来るまで、俺も何もしないわけにはいかない。
なんとかヴァネッサを助ける方法を思いつかないと。
そうだ。あれを探そう……!
ドラゴンが大八車をひっかいている間に、崩れた櫓のまわりを探し回った。
さっきまであったんだから、きっとあるはず……。
……あった!
ヴァネッサの落とした、最後のダイナマイト付きの矢。
これさえあればヤツをやれる!
と思ったその時、大八車の荷台が、ドラゴンの爪によって破られて大きな穴が空いた。
時間がない、行くぞ!
ダイナマイト付きの矢を片手に一気にドラゴンに肉薄し、
「やあっ!」
前脚の付け根のやわらかい部分に体重をかけて全力で体当たりし、深く矢を突き刺した。
ドラゴンの悲鳴を聞く暇もなく、炎の壁めがけて走る。
怒ったドラゴンは大八車を無視して、こっちめがけて走ってきた。一方で俺は畑を全速力で駆け抜けると、炎の壁の前で立ち止まった。
よし、これでヴァネッサは助かるし、なんならドラゴンだって倒せるかもしれない。さあ、来やがれ……。
炎の壁を背にして、俺はこの後の動きを脳内で再生した。
俺の右前には、ドラゴンの疾走妨害用の穴が掘られている。
ヤツが俺に食いつく寸前にその穴に飛びこむ。
そうするとヤツは炎の中へ突っこんでいく。
あとはダイナマイトに引火して……。
来たっ! 今だ!
「たあっ!」
互いの肌がこすれるくらい近くでドラゴンの牙をかわし、穴にとびこむ。
そのままうつぶせになって両手で頭を覆った、その時だった!
すぐ近くに雷が落ちたかのような音に、身体全体が震えた。体の中で空気の震えが反響すると同時に、背中に熱風が襲いかかった。
かと思うと、あたりは一瞬しんと静まりかえる。
終わったのか。
ゆっくりと、周りの様子をうかがいながら慎重に穴から出る。
ドラゴンは炎の中にうずくまっていた。体中はダイナマイトのダメージで焼けただれている。こうなってしまっては、死ぬのも時間の問題だろうか。
ヴァネッサも大八車の下から出て、遠くからこちらをじっと見つめている。
せめて彼女に倒させてあげたかったが、仕方がない。このままではふたりとも死んでいたかもしれない。
緊張が解かれて大きく息を吐くと、
「先生! 大丈夫か?」
フレッドが松明を片手に炎の上に通した板を通り、中に入ってきた。
ちょっと遅かったが、そんなことはどうだっていい。ひとまずはこれで解決だ……。
と思ったその時だった!
「あっ、危ない!」
フレッドの言葉に振り返ると、ドラゴンは炎の中でゆっくり起き上がり、こっちをじっと睨んでいた。
危険を感じた時にはすでに身体は駆け出していた。
ヤツの身体を傷つけた時点で、ヤツにとっては俺もヴァネッサと同じく八つ裂きにしなければ済まない対象なのだろう。
「フレッド、お前は隠れろ!」
「ああ! 先生、これ!」
フレッドは毒の入った試験管を投げてよこした。受け取ると、ヴァネッサのもとに一心に走る。ヤツの走るスピードは遅くなっていた。とはいえ人間に追いつくには十分な早さだった。
「早く! それを私によこして!」
「ヴァネッサ! 矢じりをコルクに刺してヤツの口の中に撃ちこめ!」
ヴァネッサに試験管をパスしたその時、背中に熱い息を感じたかと思うと、俺は襟首のあたりから吊られるように高く持ち上げられた。
ドラゴンに襟からくわえられているんだ! この後どうなるかを察した瞬間に、背筋が凍るような思いがした。
ヤツは俺を牙で噛み砕くか、丸呑みにするつもりだろう。ヤツが勢いよく頭を振り上げた瞬間が、俺の最後の時だ……。
ここまで追いこまれた瞬間、突然俺の身体は解放され、地面に落ちた。
見上げれば俺を食い殺そうとしていたドラゴンが、うめき声をあげている。どういうことだ、と思った時、ドラゴンの後ろから声が聞こえてきた。
「うおおおお! 根性焼きだこの畜生!」
フレッドが後ろ脚の鱗のはがれた部分に、松明を押し付けていたのだ。
「ざまあみやがれ!」
震える声で捨て台詞を吐いて、フレッドが板の敷かれたところまで一目散にかけだそうとした、その時だった。
ドラゴンの長い尾がシュルっと伸び、逃げようとするフレッドに巻きついた!
「うわあああああ!」
「フレッドっ!」
そのままフレッドは空中で左右に振り回されると、勢いそのままに放され……。
炎の中に消えていった。
「フレッドおおおおおっ!」
最悪の予想が頭をよぎった。地面に叩きつけられたか、そのまま炎に焼かれたか……。
だがフレッドは、確かにやってくれた。この戦いで勝てたなら、フレッドの功績は間違いなく大きい。
ありがとうフレッド……お前の犠牲は無駄にはしない。
次の一撃で絶対に仕留めてやる!
「準備できたっ!」
ヴァネッサの構えるクロスボウの矢の先には、毒入りの試験管がつけられていた。
もう囮になったり逃げたりする必要はない。
吼えるドラゴンにヴァネッサはクロスボウを向け、そして――。
「先に地獄で待ってなさい」
ヴァネッサは引き金を引いた。
矢はドラゴンの口に吸い込まれ、喉の奥を貫いた。直後、ドラゴンは叫び声をあげて大きく後ずさる。
だが、まだだ。毒が効くまでは少し時間がかかる。
ヴァネッサを立たせ、炎の上に敷かれた板に向かって走る。ヤツに追い付かれる前に渡り切らないと。一切後ろを振り向かずに走った。
しかし。
後ろから聞こえるのは、苦しそうなうめき声だけだった。
足を止めて振り向くと、ドラゴンはやたらと立ち上がったり、その場でくるくる回ったり、奇怪な行動をとりはじめていた。
毒の効果で幻覚状態に陥っているのだろうか。
爪で荷車を叩きこわし、長い尾で木箱の山を薙ぎ払う。まるでドラゴンは自らの苦しみを周りのすべてにぶつけているように見えた。
そしてドラゴンは、また二本足で立ち上がって丸太の壁にもたれかかり……。
「まずい……!」
壁を押し倒して外に出た。向こう側から叫び声が聞こえる。俺たちはすぐさま壊された壁から向こう側に走った。
だが、それがヤツの最後の大暴れだった。
一回その場でくるっと回り、夜空に向けて馬のいななきのような甲高い叫びをあげたと思うと……。
そのまま地面に横たわって動かなくなった。
俺たちふたりはドラゴンに近づき、それぞれの方法で生死を確かめた。
ヴァネッサは頭に近づき、口元に手をかざす。俺は胸元に耳をつけて心臓の音を探った。
「……心臓は止まってる」
「息もしてないわ……」
その瞬間、ようやく本当に体の緊張がとけた。思わずドラゴンの遺体の上に腰掛けてしまった。
ヴァネッサも、その場にへたりこんでいる。
「終わったのね」
「ああ、今度こそ」
ヴァネッサはまるで放心状態だった。
復讐と罪滅ぼしに、彼女はその人生をかけてきた。それを果たした今、そうなってしまうのも無理はないだろう。
しかし、その時だった。
ヴァネッサはクロスボウに矢をつがえ、自分の喉につきつけた。
「なにをするんだ!」
俺はクロスボウを蹴り飛ばした。直後、ヴァネッサはがっくりとうなだれて嗚咽をもらした。
「あなたこそ何を……⁉︎ 私はこれで、完全にひとりになってしまった。今の私に残っているのは消えない罪の意識だけ。そんな中でひとり生きていくなんて……!」
「もういい、もう十分だ! 君はもう許された!
このドラゴンの傷を見ろ。この傷は君の背負ってきた罪の意識そのものだ。君の罪はすべてドラゴンが身体の傷で償って死んでいったんだ!
君は過去のあやまちに対してけじめをつけた。ドラゴンは自分が被るべき罰を受けて死んだ!
それで十分だ! これ以上、他に何をしなければならないというんだ!」
彼女の前にかがみ、励ますように両肩に手を置いて言葉をかける。
俺は珍しく、感情的になっていた。
「ヴァネッサ、君はこれから、君自身の人生を歩むんだ。
君はこれから幸せになるべき人間なんだ。今まで背負ってきた苦しみや辛さの分だけ、たくさん……」
俺はただ、ヴァネッサに幸せになってもらいたかった。彼女が辛さに耐えられないのなら、彼女の心ゆくまでそばにいてあげたかった。
その感情を一般的に愛と呼ぶならば……俺は彼女を愛しているのだろうか。
炎の壁は未だに燃え上がり、夜空を赤く染め続けていた。
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