第5話 炎をはさんで

 川の流れに沿って河原を進んでいく。


「ところで宿を探すって、あなたこのあたりに詳しいの? 山の中にスズメのお宿でもあるのかしら?」

「杉の木が生えている山の中には、木こりが寝泊まりする小屋がある。このあたりではおそらく伐った木を川に流して下流まで運ぶから、川沿いにも建てられている可能性は高い。

 ……ほら、こうしてしゃべってたら見えてきたぞ」


 小屋は丸太の積まれた山のそばに建てられた、みすぼらしいものだった。しかし雨や風は十分にしのげる。


「ごめんください、失礼します」


 ドアをノックして呼びかけても返事はない。先客はいないようだ。

 小屋の中には缶詰や酒の置かれた棚や小さなストーブがあった。服を乾かせるのは嬉しい。

 ヴァネッサはストーブに火をつけると、帽子とコートを椅子の背もたれにかけてそのそばに置いた。


「いろいろな缶詰があるぞ。ヴァネッサ、どれがいい?」

「それはダメよ。勝手に食べるのはいけないわ……ちょっと待って」


 そう言うと、ヴァネッサはクロスボウを手に外に出た。

 どこへ行くんだろうか。彼女に続いて外に出た。


 ヴァネッサは河原に立つとしばらく川を眺め、続けてクロスボウを川に向けた。

 そんな姿を後ろで見ていると……。


「あなた、そこにいるなら川下のほうに立ってて」


 言われたとおりに川に入ると、ヴァネッサはクロスボウの矢を二本、川に放つ。

 すると……。

 矢に貫かれた大きなマスが二匹浮かびあがり、俺の方に流れてきた。

 なかなか見事な腕前だ。狩りの成果を拾い上げると、彼女はクロスボウを担いで得意げにこちらを見つめてきた。


「どう?」

「もしかしたら漁師のほうが向いているかもね、君は」

「稼ぎがいいなら考えようかしら」


 二匹のマスはすぐにストーブの炎でじっくりと炙られた。

 空きっ腹に脂の乗ったマスはたまらなかった。ただそのままでは少し味気ないので、塩と胡椒を棚から拝借した。あれだけ大きかったマスは瞬く間に腹の中に収まった。

 そうしているうちに夜は更けていく。外からは川のせせらぎと虫の鳴き声しか聞こえない。


 ヴァネッサはひとつしかないベッドに横になった。俺はいま腰掛けている椅子で、火の番をしながら休むつもりだ。

 本は酒場に置いてきている。煌めくストーブの火を見つめながら、起きているわけでも眠るわけでもなくまどろんでいると……。


「ねえ、あなた。ドラゴン学者ってどんなことをしているの」


 ヴァネッサから声をかけられた。

 彼女は眠れないらしく、目を開けてこっちをじっと見つめている。

 そんなストーブの明かりに照らされた彼女の姿は、より一層野生の動物のように見えた。


「興味があるのか? それとも眠りにつくまでの暇つぶし?」

「両方よ」

「わかった。俺は世界中のドラゴンの生態について研究しているんだ。そのために森や海に出てドラゴンを観察することもあれば、研究所でドラゴンの世話をすることもある。

 ここに来る前も、コモデウスというドラゴンの毒を手に入れるためにずっと野営していた。コモデウスは奥歯に毒牙があるから餌に麻酔薬を入れて眠らせ、その隙に口の奥に手を入れて試験管の中に毒をとったんだ。

 ところがその途中でヤツが起きてしまってね。危うく腕を食いちぎられるところだったよ」

「あなたもずいぶん危ない橋を渡ってきてるのね。研究所の話も気になるわ。どんな感じなの?」

「君はフィールドワークの話の方が興味があると思ってたけど、意外だね。

 俺たちの研究所はウールマットっていう土地にある。近くに温泉が湧くからドラゴンの卵を孵したり育てたりするのにいい場所なんだ。

 俺の妹もドラゴンの世話をして、知能や生態、どんな病気にかかったりするかを毎日調べてる」

「へぇ……私とは正反対の生き方ね」

「そうかもしれない」


 ヴァネッサはその時初めて、俺の前で笑顔を見せた。向き合い方は真逆とはいえ、やはり同じドラゴンに接する者として感じる何かがあるのだろうか。

 


「そうだ。ドラゴン使いはその生涯に一体だけ、最高のパートナーになれるドラゴンに会えるんだって、どこかで聞いたことがあるの。なんだかおとぎ話みたいだけど、どう思う?」

「俺は信じるな。研究所のみんなを見ていると、ドラゴンと人間が本当に強い絆で結ばれているって感じるよ。みんなお互いに、その最高のパートナーってやつなんだろうね」


 ヴァネッサは目を輝かせながら話を聞いている。まるで純粋な少女のようだ。まさか、彼女にこんな一面があったとは。


「ねえ、あなたにも最高のパートナーっていえるドラゴン、いるの?」

「ああ……そうだ、折角だからいま紹介しよう。名前はドレイク」


 そう言って俺は腰のナイフを抜き、ヴァネッサに見せる。

 彼女は一瞬きょとんとしていたが、すぐにその意味をわかってくれた。


「もしかしてそのナイフ、ドラゴンの骨……?」

「ああ。俺が生まれた時にはもう、ドレイクはその生涯の黄昏を迎えていた。でも一緒にいろいろなところに冒険しに出かけて、小さかった俺にたくさんのことを教えてくれたよ。

 それ以来いろいろなドラゴンに会ってきたけど、彼より素晴らしい親友にはまだ出会えていない」

「素敵……。虹の向こうに旅立ったあとも、姿を変えてずっとあなたのことを守ってるのね」


 


「ところで君のほうは? なぜドラゴンスレイヤーに?」


 尋ねると、ヴァネッサは視線を床に落とした。


「……復讐のためよ」


 一瞬、言葉を失った。


「すまない……余計なことを聞いたね」

「いいの。私にも話をさせて」


 そう言うとヴァネッサはベッドから起き上がり、静かに話し始めた。


「私の家族は村から離れたところで自給自足の生活をしていて、家族全員で一頭、家を守ってくれるドラゴンの世話をする習慣があったの。あなたたちがレッドテールって言ってる種類をね。

 あれは、私が十三歳の時だった。私が山菜取りを終えて村に戻ると……家が壊されて、家族みんなが血まみれになって死んでいたの。まるで何か大きな獣に襲われたみたいに。

 家畜はもちろん、大切に世話をしていたドラゴンまで食い殺されていたわ。そんなことができるのは同じドラゴンだけだった。

 私はその時、大切な時間を一緒に過ごした家族を全員、一度に失った」


 ヴァネッサの瞳に、ストーブの炎が反射してうかびあがる。

 その時、ストーブの中の薪がパチンと音を立てて爆ぜた。


「その日から私は、鍛えたクロスボウの腕を活かしてドラゴンスレイヤーになった。

 ドラゴンが人を襲った話を聞けばその土地に乗りこんで、大きなものから小さなものまで、容赦なく殺していったわ。

 役割もさまざま。ある時は大切な人を奪われた者の復讐の代行者として。ある時は恐怖と不安に震える人々を守る用心棒として。何度も感謝されたし、ひとりで生きていけるだけの報酬ももらった。

 だけどそれはすべて、私の家族を殺したドラゴンを見つけ出し、決着をつけるまでの長い道のりにすぎなかった。

 そしてついに、私はあいつと巡り合った。つい数時間前、この森で……。

 あいつだけは絶対に、私の手で殺さなければならないの。たとえどれだけ強くて、凶暴で、残忍だったとしても……」


 ヴァネッサの長いまつ毛が、小刻みに震える。

 同時にクロスボウを、まるで子どもが人形を持つように大切そうにかかえた。きっと戦いのときに常にいた相棒として彼女にとって心の支えになってきたのだろう。


「ヴァネッサ、君の思いはわかった。かなりつらい人生を送って来たんだね。

 だけど今は眠らないと。万全の態勢で臨まないと、あのドラゴンは倒せない。見張りは俺がやるから、君は安心して眠ってくれ」

「ありがとう、優しいのね」

「そうでもないさ」


 ヴァネッサはクロスボウをそばに置いて静かに眠りについた。おそらく習慣になっているんだな。彼女にとっては、俺が隣で眠るよりよっぽどいいだろう。

 しかし……さっきのヴァネッサの話は少し引っかかる。

 狩りから帰ってはじめて家族の死を知ったのなら、彼女はあのドラゴンとは遭遇しなかったはず。なのになぜ家族を殺したのがあのドラゴンだとわかるのか……。


 その時、ヴァネッサの上着のポケットが丸く膨らんでいるのに気づいた。

 何が入っているんだろう。クロスボウ用の油さしだろうか。

 ポケットに手を入れて確かめてみる。大きな卵のような楕円形で、全体的に固い感触だ。油さしではない。ゆっくりと外に出してみると、それは……。


「オカリナ……?」


 片手に収まるサイズの、なんの変哲もないオカリナだった。強いて変わったところを挙げるなら、吹き口には薄汚れた赤いリボンが巻きつけられていた。


 ……もしかしたらこの先、詳しい話を聞くことになるかもしれない。

 安らかなヴァネッサの寝顔を見ながら、ふたたび彼女の過去に思いをはせた。

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