第2話 黒き牝鹿のドラゴンスレイヤー

 大きな剣や銃など思い思いの武器を身に着けた屈強な男たちがそこらじゅうで騒いでいる、村の酒場。ここは凶暴なドラゴンにつられてやってきた男たちのたまり場になっていた。


 ドラゴン騒ぎを聞きつけて、この人口300人にも満たない村に50人近くのドラゴンスレイヤーたちが押し寄せていた。おそらくこの村ができて以来の大盛況だろう。


 この酒場は昔ながらのスタイルで、酒場であると同時に二階で宿屋を経営している。

 その片隅のテーブルに陣取り、ドラゴンの生態についての本を読んでいると……。


「お兄さん、ドラゴンスレイヤーじゃないみたいだね」


 俺に向かって呼びかける若い男の声がした。

 声の主は一見ドラゴンスレイヤーのようではあるが、それにしては小柄な男だった。無精ひげを生やしているおかげで老けて見えるが、実際は二十歳そこそこだろう。俺とそこまで変わりない。

 男は会釈すると、俺の対面の席に座った。


「突然すまないね。オレ、フレッドっていうんだ。お兄さんは……?」

「ロイ・スティーブンス。ドラゴン学者だ」

「ああ、やっぱり学者の先生か……ドラゴンを狩るようなガタイにはとても見えなかったから。先生も、この近くで暴れまわってるドラゴンが目当て?」

「そうだ。君はドラゴンスレイヤーか」

「ああ。なんだかんだで数年はこの道でメシを食ってる。人に危害を加えるドラゴンを退治すればたくさんの人に喜ばれるし、革や骨はアクセサリー、肝は薬の原料になるからそれなりに稼ぎもある。悪い仕事じゃない……。

 あっ……ドラゴンが好きな学者の先生からしたら、あまり聞きたくない話だったかな」

「そんなことはない。ドラゴンスレイヤーの活動も、ドラゴンに関わる立派な文化だ。君が俺たち学者を尊重してくれるのと同じように、俺も君たちの活動を尊重するよ」

「ありがとう。学者連中には俺たちを野蛮な人間だっていじめるヤなヤツもいるけど、先生はそんな人じゃなさそうだ」

「ただ君のほうこそ、お世辞にもドラゴンを狩るような体格には見えないけどね」

「まあ、よく言われるよ。でもオレにはちょっとした能力があってね、ずっとそれで生き延びてきたんだ。よかったら一緒に行動しない? きっと先生の役に立てると思うよ。

 そういえば、ドラゴンを退治した人には村長から懸賞金が出るんだってさ。もしうまくいったら、懸賞金は山分けってことで。どう?」


 それにしてもよく喋る男だ。この村にいる間の話し相手にはちょうどよさそうだな。


「いいよ。よろしく頼む」

「そうなれば、さっそく……このウイスキー、先生のかい?」

「ああ。酒場の主人に何か頼めって言われたから瓶ごと頼んだ。ちびちびやるつもりだったけど、飲みたいなら飲んでいいよ」

「じゃ先生、お近づきのしるしに乾杯といこうか」


 フレッドは嬉しそうにウイスキーの瓶を開ける。

 こんなにもウキウキとした姿を見ていると、なんだかこっちも楽しそうになってくる。

 もしかしたら、これが荒くれ者たちの間で生き抜くためにフレッドが見つけだした生存手法なのかもしれない。


「オレの感覚に、先生の知識。あとはドラゴンを仕留める人間がいれば完璧だな……あっ」


 フレッドがため息にも似た声を上げた瞬間、あんなに騒がしかった周りが急に静かになる。

 酒場に集まった男たちの視線は、ある一点に集まっていた。


 そこにいたのは、帽子にロングコート、そしてブーツを身に着けた黒ずくめの女だった。

 女は酒場の入り口から、ゆっくりとカウンターの方に歩いてくる。


 背はすらりと高く、帽子からは長い黒髪が垂れている。

 褐色の肌がさらに野性味と色気を感じさせ、長いまつ毛の目立つぱっちりした眼もあって、まるで牝鹿を思わせる雰囲気を漂わせていた。

 だがそれだけでは、ここまで男たちの目を釘付けにはさせなかっただろう。


 女は黒いロングコートの下に、胸元だけを隠す布と極端に丈の短いデニムしか身に着けていなかった。前の開いたコートの襟の間から、豊満な胸の谷間が何度か見えた。


「先生……すごい格好の女だねぇ」

「ああ」


 背中に大きなクロスボウをたすきがけしていなければ、踊り子か身体を売るような女だと思っても仕方ないだろう。

 事実、俺以外に同じようなことを考えていた者がいたようで……。


「なあ姉ちゃん、一回いくらだ?」


 女がカウンターに着いた瞬間、歯の抜けたハゲ男が近づいて話しかける。

 ニヤつくハゲ男の顔を女は一瞥すると、


「金貨五枚」


 そう言って右の手のひらで『5』を示した。

 だが、ハゲ男がヘラヘラとして金の入った袋に手を入れた瞬間、


「テメエのケツにでも突っこんで、ひとりで楽しんでな!」


 そのまま中指を立てて言い放ち、そっぽを向いた。

 彼女、気が強いうえになかなか面白いことを言う。思わず笑ってしまった。


 しかし。

 ハゲ男の周りが、からかい交じりの歓声と笑い声で満たされたその時、


「こっ……このクソアマが!」


 ハゲ男が女に後ろから殴り掛かったのが見えた。


 危ないっ!

 気づいた時には机の上にあったウイスキー瓶が、俺の手を離れて男のハゲ頭めがけて一直線に飛んでいた。


 ガシャン!

 男の額で瓶が炸裂し、血交じりのウイスキーが地面に滴る。少しよろめいた直後に、ハゲ男は真っ赤になってわめきだした。


「おい誰だ、こんなことしやがったのは! 出て来やがれ!」


 そうかそうか。お望みとあらば、出て進ぜよう。

 俺は椅子からゆっくり立ち上がった。


「女を背中バックから襲うとは感心しないな。そういうのは畜生のやり方だ」

「てめえ……」


 ハゲ男はさておき、女の方を見る。

 女は俺をじっと見つめている。どうやら俺を見て驚いていると同時に、少し心配してくれているようだ。一見細身の俺が戦えるのか不安なのだろうか。

 だが俺自身、全く不安などなかった。ハゲ男くらいの歳や体格を考えれば無力化は簡単だろう……。


 その時だった。


「ああ、まずいよ先生……周りを見てよ」


 俺の後ろに隠れるようにしながら、フレッドが耳打ちする。

 言われた通りあたりを見回すと、周りの男たちの視線が俺に突き刺さった。

 ……もしかして、ここにいるほぼ全員から敵視されているのか?


「ドラゴンスレイヤーは狭い世界で生きてるんだ。この酒場にいる連中、みんなあいつと何らかのつながりがある奴らなんだよ」

「くっ……」


 忘れていた。ドラゴン退治はひとりでできる仕事じゃない。ゆえにドラゴンスレイヤーたちは仲間同士のつながりを何よりも大事にする。

 仲間の仲間、さらにその仲間に至るまでかけがえのない大切な存在なのだ……。


 この酒場の中にいるのはざっと三十人、いや四十人か。

 さすがに屈強なこの男たち全員を相手にして勝てる自信はない。

 さあ、どうする……。


 男たちの殺気に圧倒されかけていた、その時だった。


「野郎っ!」


 しまった!

 俺の左側から男が飛びかかってきた。数多の視線にとらわれてまったく気がつかなかった!

 男は眼前まで迫っている。完全に対処が遅れた!


 と、次の瞬間!


 ヒュッ!


 俺と男の間を何かがかすめていった。それに男が一瞬気をとられた隙に、

 バシッ!

 顔面に左手の裏拳を叩きこみ、続けてみぞおちに右拳を入れる。

 さらに他の男たちを牽制するため、動かなくなった男をそのまま投げるように床に転がした。


「うわぁ……先生、見た目と違って結構やれるんだね」

「自分で言うのもなんだが、伊達に身体は鍛えちゃいない。でないとドラゴン相手の研究調査なんかできないからな」


 しかし今のは……。

 と思ったその時、黒ずくめの女がクロスボウに次の矢をつがえ、俺を守るように男たちにその先を向けた。

 なるほど、クロスボウの矢か!


「見事な腕前だ。助かったよ」

「ええ。こうなったのは私のせいだから、せめてもの恩返しよ。

 でもこれが終わったら、私とあなたはまた他人同士だから。いいわね」


 見た目を裏切らないクールな口ぶり……ますます気に入った。

 さあ、この窮地をいかに切り抜けるかだ……。

 一方で後ろを振り向くと、フレッドは冬の北風にさらされたように体をガクガクと震わせていた。

 まさか、この窮地に怯えているのか? 女と比べてこのザマとは……情けないなぁ。


「フレッド、大丈夫か。辛いようなら俺たちの後ろに隠れてろ」

「そうじゃないんすよ、先生。これがオレの『感覚』……とんでもない奴が近くまで来てやがる」


 どういうことだ……?

 疑問が頭をよぎった、その時だった。


「ドラゴンが出たぞー! ドラゴンが出たぞぉー!」


 酒場に駆けこんてきたのは、この村の村長だった。

 この場にいた全員がふり向いたと同時に、威勢のいい声があがる。


「ついに出やがったか!」

「こんなことしちゃいられねえ!」

「俺が仕留めてやる!」


 こうなるともう止まらない。男たちはわれ先にと酒場を出ていった。

 俺たちに向けられた闘志はそのまま、まだ見ぬドラゴンへと向けられたようだった。


「俺たちも行こう」


 フレッドを連れて酒場の扉へと走る。

 しかしさっきまで一緒だったはずの黒ずくめの女は、いつのまにか姿を消していた。

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