◆8

 いつも明るくて豪快な、相川の両親が泣いている。

 すっかり日が暮れた葉月村にパトカーが何台も来て、赤いランプで村を照らしていた。第一発見者である僕は、真っ先に警察に事情を訊かれた。でも、なんと答えたか覚えていない。そもそも受け答えができていただろうか。

 玄関の前で、家の前に停まったパトカーを眺める。頭がぼうっとして、なにも考えられない。緩んだ拳の中には、ヒマワリのヘアピンがある。握り締めるほどの力も出ず、本物の花を触るように、軽く曲げた指の中に隠していた。

 家の前には、村の人々が集まってきている。単なる野次馬だ。息子を亡くしたばかりの相川の両親を、見物に来ているのである。

「修平くんが崖から落ちちゃったんだって」

「あらあ、お友だちが泊まりに来てるってはしゃいでたのに……」

 暗闇の中で顔も見えない有象無象が、好き勝手ざわついている。

「かわいそうにねえ」

 中身のない感想に、虫唾が走る。

 かわいそうに? 相川が抱えていた感情を、なにも知らないくせに。

 立ち尽くす僕の耳に、僕を呼ぶ声が届いた。

「日和くん」

 声の方を振り向く気力すらない。そんな僕の肩に、柔らかな体温が寄り添ってきた。

「日和くん、大丈夫?」

 倉田だ。報せを受けて、駆けつけてくれたのだ。

 大丈夫なわけ、ない。

 今までだって、宮崎も笹山も、谷口も死んでいる。同じ教室で同じ時間を過ごしたクラスメイトを、もうすでに三人も喪っているのだ。だけれど、慣れたつもりはなかったけれど、ここまで頭が回らなくなるのは、初めてだ。

「ついに相川くんまで……」

 倉田と一緒に来たらしく、森本の声もした。

「昼に会ったときも、かなり様子が変だったものね。なにかに追い詰められてるような……」

「うん、いつもの相川くんらしくなかった。なにかあったのかな」

 倉田が不安げに言うと、森本が悔しそうに言った。

「私が殺人犯扱いしたからかしら……。様子がおかしいのは気づいたけれど、まさか自殺するほど追い詰められていたなんて……!」

 自殺?

 僕はひとつ、まばたきをした。

 相川の死は自殺なのか。そう考えるのが自然だろう。死ぬつもりがなければ、真っ直ぐ家に帰ってきたはずだ。意味もなく山の奥になど入っていかない。犯した罪から逃げるために、崖から身を投げたのだ。

「日和くん、あんまり自分を責めないでね。日和くんのせいじゃないから」

 倉田の声が、耳に入って頭に届く前にどこかへ消える。彼女なりに必死に俺を慰めようとしているのは、分かった。

 森本が深く、ため息をつく。

「そうね。相川くんがこうなったのも、呪いのせいだわ」

「えっ、これも呪い……?」

 倉田が怯えた声を出す。森本は力強く言い切った。

「呪いについて深追いしたから、相川くんの番が回ってきたのよ。それ以外ないじゃない」

 僕はまだ、声を出せなかった。

 自殺とか、呪いとか、かわいそうとか。

 距離を保った野次馬たちがひそひそ話を続けている。

「こんなに近くで物騒な事件が起こると怖いな」

「自殺だそうよ。あんなに明るい子だったのに、分からないものねえ」

「小野寺さんちの子も、ちょっと心配じゃない? 引きこもりなんでしょ」

 重なる複数の声が、僕の胸をぐちゃぐちゃにする。うるさい。勝手なことを言うな。なんなんだ。ただでさえ、相川を失ったショックが響いているのに。どうしてそんなに皆して、自分勝手なんだよ。

「うるさい……」

 喉の奥から、潰れた声が零れた。しかしそんな僕のささやかな抵抗は、あっけなく喧騒の中に消える。

 だが、すぐ傍に寄り添っていた倉田にだけは聞こえたようだ。彼女はぎゅっと僕の腕を抱き、無声音で、うん、と呟いた。

 再び無言になった僕に、倉田は優しく語りかけてきた。

「ねえ、日和くん。もし良かったら、今夜、うちに来てくれない?」

 僕はまだ、返事ができなかった。倉田は続ける。

「現場の山、うちの所有だから、お父さんもお母さんも警察と話があるんだって。帰りが遅くなりそうなんだけど、私、今夜はひとりでいたくない。だから一緒にいてほしい」

 頭が働かなくて、倉田の言葉が入ってこない。

「それに……きっと今夜は、相川くんのご両親、大変だと思うから……」

 ああ、そうか。息子が死んだ夜、死んだ息子の友人が泊まっていくというのも変な話だ。

 やはり倉田はすごい。こんなときでも、相川の家族や僕に気を回せる。倉田だって、好きだった相川を亡くしていっぱいいっぱいのはずなのに、抜け殻になってなにもできない僕とは大違いだ。だから相川も、そんな倉田を好きになったのだろう。

「うん」

 僕はようやく、それだけの短い返事をした。


 *


 まとめてあった荷物を持って、倉田の家についた頃には、深夜零時を回っていた。この辺一帯でいちばん大きな、庭園付きの大きなお屋敷である。存在感のある母屋がどっしり構える脇に、それよりやや小さな離れが隣接している。この離れも、母屋に比べれば小さいとはいえ、村の他の住宅よりはひと回り大きい。子供の頃、毎日のように一緒に遊んでいたが、家にお邪魔するのは初めてである。倉田は門の前で立ち止まり、僕を振り向いた。

「日和くんは、母屋にある居室を使ってね。家の用事で親戚が泊まりにくるときに貸す、お客さん用の部屋があるの」

「ありがとう」

 僕が弱々しくお礼を言うと、倉田も力なく笑った。

「私の部屋は離れだけど、寝るまでは一緒にいようね」

 門を潜り、広い玄関で靴を脱ぐ。建物の中は、広く、静かだった。建物自体は古いけれど、手入れが行き渡っていて、老舗旅館のような品を感じる。

 倉田に案内されたのは、八畳ほどの居室だった。和室をリノベーションしたらしい板張り床の部屋だ。真ん中に大きな、脚の短いテーブル置かれ、壁際にはインテリア雑貨を載せた飾り台がある。広いベッドには柔らかそうな布団が敷かれており、まさしく旅館の一室のようだ。

 倉田は僕をテーブルの横の座布団に座らせ、訊いてきた。

「なにか食べられる?」

「……ごめん、食欲、ない」

「うん。分かった。飲み物だけ持ってくるね」

 倉田が部屋を出て行く。僕はテーブルに組んだ腕を乗せて、顔を伏せた。倉田だって哀しんでいるというのに、僕がこんなだから、気を使わせてしまう。

 落ち着いた空間でひとりになると、少しずつ、心が静かになってきた。友人を亡くした日にその友人の好きだった女の子の家に泊まりにきたという現状に気づき、自分に嫌気が差す。むろん、彼女には指一本触れるつもりもないが。

 静かな室内に、壁掛け時計の規則的な音だけが淡々と響いている。僕は伏せた顔を傾けて、握った手を開いた。包まれていたヒマワリのヘアピンが顔を出す。折れ曲がった黄色い花弁を見て、また、胸が苦しくなる。

「次は東京を案内するって、約束したのに」

 亀裂が入ったままだった。あれが、最後になってしまった。

 深呼吸を兼ねた、深いため息をつく。ヘアピンを眺めていると、部屋の戸がノックされた。

「飲み物、麦茶で良かった?」 

 盆にグラスをふたつ載せ、倉田が戻ってきた。僕はさっと顔を上げ、丸まった背筋を伸ばす。

「ありがとう。ごめんな、気を遣わせて」

「ううん、私が日和くんに来てほしくて呼んだんだもの。そっちこそ、気遣わなくていいよ」

 彼女はテーブルに麦茶を置き、僕の横の座布団に座った。

 数秒の静寂のあと、僕は倉田に言った。

「相川が不安定になってたのは、僕にも分かってた。でも、あいつがそれを理由に自殺したとはどうしても思えないんだ」

 麦茶の水面に目を落とす。

「ヒマワリのヘアピン、自分が持ってるのに気づいて、僕に返そうとしてたらしい。それなのに途中で気が変わっていきなり自殺するなんておかしい」

 相川が僕にヘアピンを届けようとしていたのを、森本が見ている。たしかに相川は、僕に「死にたい」と零したりもした。だけれど彼は、そのあと僕にこうも言った。『死のうなんて考えたら承知しないからな。俺をひとりにするんじゃないぞ』――こんなことを言う奴が、僕をひとりにして、自ら死ぬとは思えない。

「それが、遠子ちゃんの呪いなのかな」

 倉田が呟く。

「人を急激に不安にさせて、心を壊して、死に追い込むのかな……」

 森本は、相川が死んだのは遠子の呪いだと言った。

 相川が追い詰められていたのは間違いない。でもそれは、谷口を殺した罪の意識に苛まれていたからだ。遠子は関係ない。

 いや、しかし。僕が相川を付き合わせた果てで、相川は人を殺した。その結果、彼は彼を保てなくなった。そうか、僕が遠子のお母さんを捜そうとさえしなければ、相川は死ななかった。因果がそこに帰結するのだ、これも遠子の呪いか。

 倉田が言うように、この呪いに心を蝕まれると自分自身を制御できなくなるのだとしたら、相川が妙な行動を取ったのもつじつまが合う。

「そうだったら……次は誰が壊れるんだろう」

 僕はテーブルに肘をついて、重ね合わせた手の甲に顎を置いた。

 自分だったら、まだましだ。倉田かもしれないと思うと、怖かった。この絵に描いたような気立ての良い娘が心を乱し、恐怖と不安に押し潰されて死んでいくとしたら。そうなったら僕は、いよいよ気が狂う。

「大丈夫だよ、日和くん」

 倉田が僕の顔を覗き込んだ。

「一緒に終わらせよう。もうこれ以上、誰も哀しまないように……解決策を探そう」

 彼女の優しくも凛とした声に、僕は、え、と口をついた。

「でも、呪いのことを深追いすると、危険だって……」

「そうだけど、逃げたままじゃ終わらないもの。遠子ちゃんに許してもらえる方法が、きっとあるはずだよ」

 僕は倉田と目を合わせた。生命力に満ちた瞳が、僕を見つめ返している。

「遠子に許してもらう方法って……?」

「分からない。とりあえず、遠子ちゃんのお母さんを捜してみよう。遠子ちゃんをいちばん知ってる人に会ってみたら、なにか分かるかもしれない」

 ふんわりと柔らかな声色なのに、強い決心と勇気を感じる。彼女が僕の手をとって一緒に行こうといってくれるのならば、僕も、すくんだ脚を前に出せる気がする。

 弱気になっていた僕の前に、小さな光が見えた。

 倉田は麦茶を飲み干し、立ち上がった。

「疲れちゃったね。今日はもう休んで、難しいことは明日考えよう。さ、お風呂の場所、案内するよ」

 戸を開ける倉田の背を追って、僕も立ち上がった。ついてくる僕を一瞥し、倉田は言った。

「あのさ、こんなこと、私から言うのもおかしいかもしれないけど。相川くん、日和くんに怒ってたけど……友達じゃなくなったとは、思ってないはずだよ。だって、ヘアピン返そうとしてたんでしょ? 仲直りしたかった、ってことだよね」

 倉田の声が、僕の鼓膜を擽る。

「だから、喧嘩したままだったけど……ううん、本当に喧嘩してたわけじゃないよね。相川くんは、日和くんをひとりになんてさせない人だから」

「うん」

「小五の頃、相川くん、転校してきたばかりの日和くんに真っ先に話しかけたでしょ。あれね、あなたがひとりぼっちにならないように、いちばん乗りで友達になったんだよ」

「……うん」

 それは、本当は気づいていた。鈍感な僕だけれど、ちゃんと気づいていて、でも気づいていないふりをしていた。あいつはバカだけれど、バカである以上に良い奴で、僕の最初の親友だ。


 *


 僕を風呂に案内したあと、倉田は離れへと向かっていった。離れは、倉田が小学生の頃から、まるまる一棟彼女が使っているらしい。上京してからはたまに帰ってくる程度だが、部屋はそのままになっており、今も変わらずそこが倉田の部屋なのだそうだ。

 母屋の浴室は、驚くほど広かった。東京にある僕が暮らしているアパートの居室の三倍くらいある。熱いお湯を浴びて、何度もため息をついた。ここのところ、様々なことが一気に起きて、精神を削られ続けていた。だけれどそれも、出口が見えてきた気がする。倉田と一緒に遠子のお母さんを捜して、呪いを解く。きっと、それで全てが終わる。

 きゅ、と、シャワーを止める。前髪から滴る雫を見つめ、僕は心の中で呟いた。

 倉田と共に、全てを終わらせる。そのためにも、なぜ、僕が潮鳴島にいたのを彼女が知っているのか、確かめる必要がある。

 だって、危ないじゃないか。

僕と相川が谷口を殺した証拠を、倉田が握っているとしたら、それは僕にとって不都合以外のなにものでもない。これから協力しようと決めている倉田が、いつ裏切るか分からない。

 僕は倉田を信用したい。だから、証拠があるなら潰さなくてはならない。部屋に忍び込むチャンスがあるのは、彼女の家に泊まる、今夜しかない。

 風呂を出た僕は、誰もいない廊下をそっと歩いた。庭へ出ると、湯上りの体に夏の夜風が吹きつけた。数メートル先には、明かりの灯った離れが見える。庭の砂利を踏みしめて、離れに近づく。耳を済ませると、かすかにシャワーの音が聞こえた。僕は縁側から離れに上がりこみ、忍び足で中へ入った。

 どきん、どきん、と心臓が激しく脈打つ。こんなことをしたら、倉田がかわいそうだ。最低だ。でも、やるなら今しかない。

 離れの暗い廊下を静かに歩き、戸の隙間から明かりが洩れている部屋へ辿り着く。戸を数センチだけ開けて、様子を窺う。

 空き巣に入っているような罪悪感と、自分を守るためだという使命感が交錯する。相川亡き今、谷口殺しの証拠が挙がったら僕がひとりで罪を背負う。隠し通すと決めたのだ。危険因子を取り除くのは、当然だ。

 カラ、と音を立てて、部屋の戸が開く。そこにあった光景に、僕は絶句した。

 壁一面に貼り付けられた、無数の写真。家の近くの見慣れた道。手には、よく買う缶コーヒー。ぼうっと空を見上げている、退屈そうな横顔。その一枚一枚全て、同じ人物の――僕の写真なのだ。

 え、どうして。

 どうして、こんな写真が?

「いけないなあ、日和くんは」

 背後から聞こえた声に、体が凍りついた。

「部屋に来ちゃうなんて、意外と大胆なんだね」

「倉田……これ……」

 僕は自分が侵入者であるのも忘れて、倉田を振り向いた。彼女はにっこりと、長い睫毛で細めた目を包んだ。

「素敵でしょ。大学で撮った最新のもの、貼ったばかりなの」

「待て、倉田……なんだよ、この……」

 壁に貼り付けられている写真を、恐る恐る指差す。どうして倉田が、この写真を持っているんだ。

「これ、僕だよな?」

 大学の授業に出てノートを取る姿、友人とゲームセンターで遊ぶ姿、部屋で寝ている姿まである。もちろん、倉田といた記憶がないシーンである。

 どういうことだ。考えてみたけれど、分からなかった。倉田が可笑しそうに笑う。

「実はね、小学生の頃、ブレスレットをなくしたの、わざとなの」

 彼女の声が、静かな部屋に吸い込まれる。

「日和くん、転校初日から相川くんと遠子ちゃんといて、話しかけるきっかけがなかったから。大切なものをなくしたふりをすれば、優しいあなたは困っている私を放っておかないって、思った」

 全身が、寒い。

「ここにある写真は、私とあなたの大事な思い出。日和くんは鈍感だから、全然こっちを向いてくれなかったけど……。私は目を離したりしなかったよ」

「どういうこと……」

「日和くん、中学校に上がるときに遠くへ行っちゃうんだもん。ずーっと寂しかった。死ぬかと思った。日和くんも、私がいないと死んじゃうって思ったの。だから中学を卒業したら、すぐに日和くんのところへ行ったよ」

 鳥肌が立った。それじゃあ、倉田が僕と同じ大学にいたのは、偶然でもなんでもなくて……。

「ずっと僕に張り付いてた、のか?」

「見守ってたの。日和くんが誰にも盗られないように」

 なにを言っているんだ。どういうことだ。

 理解が、追いつかない。自分の中にあった倉田が、がらがらと音を立てて崩壊していく。

「なんで……? 倉田が好きなのは、相川じゃなかったのか?」

「本当に鈍感なんだから! 私はずっと、初恋から死ぬまで日和くんだけだよ」

 朗らかに笑う倉田は、声の調子も表情も、いつもどおりだ。いつもどおりなのに、倉田が倉田に見えない。

「どうしても傍にいられないときもあるけど、ちゃんと見守ってるよ。GPSで日和くんがどこにいるか、いつでも見てるから」

 なんだ、こいつ。倉田はどこだ。目の前のこれが、倉田なのか。僕の知っている倉田ではない。気持ち悪い。

 相川が言っていたとおりだ。俺は、鈍感だった。ここまでなんの違和感も感じずに、なにも気づかずに過ごしてきたなんて。

 倉田はにこりと微笑んだ。

「相川くんももういないし、今日からは日和くんも、私だけを見てね」

 ぞくっとした。『一緒に終わらせよう』――そう言って僕を元気付けてくれたのは、ほんの数分前なのに。あの時見えていた、優しくて包み込んでくれる倉田はどこだ。騙されたような気分だった。全て、偽物だったみたいだ。

「うーん、本当はもっとロマンチックに想いを伝えたかったんだけど、これはこれで。鈍感な日和くんでも、私の気持ち、分かってくれたよね」

 倉田がこちらに一歩、踏み出してきた。僕はびくっと後ずさりする。

「来るな」

 声を荒らげたつもりだった。でも、出たのは情けないくらい震えた声だった。倉田がぱっと目を輝かせる。

「そんな顔、初めて見た! 嬉しい。私が日和くんの感情を動かした」

 僕がこんなに拒絶しているのに、倉田はまるでそれが分からないみたいに、僕の反応を楽しんでいた。言葉にならないないほどの嫌悪感で、体じゅうがぞわぞわする。逃げ出したいのに、体に力が入らない。がくっと膝が折れる。倉田は優しい笑顔で僕を眺めていた。

「そろそろ薬が効いてくる頃かも。ほら、こっちに来て」

 麦茶になにか入れたのか。体が言うことをきかない。僕は目一杯強気に、倉田を睨んだ。

「気持ち悪い……二度と僕に近づくな……」

「気まぐれだなあ。協力して、呪いを終わらせるんじゃなかったの?」

 倉田は呆れ顔で苦笑いした。

「ねえ日和くん。潮鳴島でなにをしてたの?」

 どくんと、心臓が飛び跳ねた。返事は、できなかった。ずるい。それを出されたら、僕は倉田に従うほかない。返事ができないだけで、倉田にとっては充分、答えになっていたのだろう。彼女は優しく、僕を許すように微笑んだ。

「大丈夫。なにがあっても、私は日和くんの味方だから。たとえ、誰かを殺していたとしても」

 こんなの、脅しだ。

 震える僕の手を、倉田がそっと取った。咄嗟にはじきそうになったけれど、力が入らない。抵抗できない僕を、倉田は愛おしそうに見つめていた。

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