◆6
「笹山が……死んだ?」
倉田から受けたその報せに、僕も相川も愕然とした。相川の家の玄関先に現れた倉田は、青い顔で俯いていた。
「そうなの。今朝、うちのお父さんに連絡が入った。脳死判定が出たって……」
衝撃で、しばらく頭が回らなかった。笹山が死んだ。一昨日話したばかりの、八年前は同じ教室にいた人が、亡くなった。言葉の意味は理解できるのに、感情が追いつかない。様々なショックが入り混じる中、僕の中にひとつの焦燥が浮かんだ。
遠子のお母さんの引越し先を知っていた唯一の鍵が、失われた。
笹山が目を覚ましてくれるのを信じて待っていたのに、とうとう聞き出せないままになってしまった。振り出しに戻ったのだ。
そんな薄情な思いを巡らせていると、倉田の後ろに、自転車が停まった。
「倉田さん! 相川くん、日和くんも」
自転車に乗っていたのは、森本だった。
「さっき、笹山さんが亡くなったって聞いたの。あなたたちも聞いてる?」
「うん、今ちょうどその話をしていたの」
倉田が振り返る。森本は息を切らして、ずれた眼鏡を指で押し上げた。
「あなたたち、遠子ちゃんのお母さんの手がかりを探すために、元クラスメイトのこと調べてるようだったからさ。伝えようと思ったの。もう知ってたのね」
「ありがとう。森本さんの言うとおり、まさしく一昨日、笹山さんに会いに行ってたの」
倉田が森本に事情を話す。
「笹山さん、私たちと会ったら、すごく怯えた顔をしたの。『殺しに来た』とか、『一生このままなんて』とか言って……」
倉田の話を聞いた森本は、険しい顔を一層険しくした。
「やっぱり、これは呪いだわ」
どきりと、僕の心臓が飛び跳ねた。呪い。昨日、小野寺の口からも聞いた単語だ。
「こんなの偶然のはずないもの。宮崎さんが死んで、その腰巾着の笹山さんも死んだのよ。あの子たちを恨んでる遠子ちゃんが……!」
「待って! 亡くなった人をそんなふうに言っちゃだめだよ」
倉田が森本の主張を遮る。森本はハッとして黙ったが、僕の心臓は、早鐘を打っていた。
呪い。偶然にしては不自然な、不幸の連鎖。僕たちが会った途端様子がおかしくなった笹山、そして彼女の死。笹山は、“村の外の人”である僕になにか期待していたように見えた。小野寺もそうだった。そしてその小野寺も、「呪い」という言葉を口にした――。
遠子。君は復讐の悪魔になってしまったのか。
森本が泣きそうな顔になる。
「日和くん、もう深追いしないで。悲しみが広がるだけだわ」
倉田がおずおずと、僕に顔を向けた。
「私も、もうやめた方がいいと思う。もちろん、遠子ちゃんのお母さんには会いたいよ。日和くんの気持ちも分かる。だけど、それ以上に心配だよ。日和くんにまでなにかあったらと思うと、怖いよ……」
そうかもしれない。僕が動けばまた、笹山みたいに誰かが死ぬのかもしれない。次は僕なのか、小野寺なのか、谷口なのか。相川がちらっと僕を窺い見る。
「ここまでだな。どっちにしろ笹山がいない今、遠子の母ちゃんの情報もない。動きようがないんじゃないか」
「そうだな……」
悔しいけれど、彼らの言うとおりだ。危険な上に、ヒントもない。
倉田と森本が去り、僕と相川も部屋に戻った。遠子のお母さんを追いかけないのなら、もうこの村に滞在する意味もない。相川の両親にお礼の挨拶を済ませ、僕は鞄に荷造りをはじめた。相川はしゃがんでそれを見ている。お互い、無言だった。
上着のポケットから、ぽろっと、黄色い小さな花が落ちた。遠子の、ヒマワリのヘアピンだ。タイムカプセルを開けてこれを出してから、肌身離さず持っていた。だがポケットなんかに入れて帰り道の途中で落としてしまってはいけない。これは鞄の中にしまっておこう。荷物の中に紛れて分からなくならないよう、僕は鞄のいちばん手前の方にあった、洗濯済みシャツの胸ポケットにヘアピンを入れた。
と、ふいに僕は荷造りする手を止めて、相川に訊く。
「なあ相川、谷口の電話番号、まだ携帯に残ってる?」
「消してないよ。着信拒否されてるから、繋がらないけど」
「見せて」
僕が促すと、相川は首を傾げながらも携帯を操作し、僕に差し出してきた。僕はそれを受け取り、自分の携帯の電話画面を開く。相川の携帯に表示されている谷口の電話番号を、自分の携帯のキーパッドに直接打ち込んでいく。相川はやっと、あっと意味を理解した。
「谷口に電話すんのか!」
「相川は着信拒否されてても、僕の携帯はされてないからね」
番号を打ち終えて、携帯を耳に当てる。
「宮崎も笹山もいない今、谷口だけがヒントだ。あいつはなにかに怯えてる。呪いのことも、具体的に知ってるかもしれない」
相川と倉田は呪いの影響を受けていないようだし、森本も、懸念はしているが彼女自身が不幸にはなっていない。小野寺は呪いに怯えているが、彼の方からコンタクトを取ってくれないと会話ができない。また僕が単独で小野寺の家の前を訪れれば入れてもらえるかもしれないから、あとで試してみるとして。
次に連絡を取るべきは、谷口になる。
自分の携帯を返された相川は、怒って大声を出した。
「おい! もう調べるのやめるって言ったじゃん!」
「電話するだけだって。無理に今住んでる場所を訊き出したりはしないよ。ただ、谷口はなににそんなに怯えてるのか、なにがあったのかだけ訊いておきたくて」
「お前なあ! それを『調べてる』っていうんだよ!」
だって、放っておけないではないか。“村の外の人”である僕に助けを求めた、笹山と小野寺がいるのだ、もしかしたら、僕ならこの呪いを解けるのかもしれない。
数回の呼び出し音のあと、谷口の声が応じた。
「はい」
「よし。出たな。谷口、僕だよ。日和」
「は? 日和?」
途端に、谷口の声が震えた。
「なんでだよ! 二度とかけてくるなって言っただろ! また遠子の母親がどうとか言うのか! 俺はもう、村とは関係ない!」
ヒステリックに叫び出す谷口の声が、キーンと耳を劈く。あまりの大声に僕は怯んだが、このまま電話を切らせたくなくて、負けじと大きめの声を出した。
「分かってる! 谷口を巻き込むつもりはない。ただ僕は、谷口がどうしてそんなに変わったのか、気になっただけだ!」
自分だって叫んだくせに、谷口は僕の大声に驚いたのか急に静かになった。僕は勢いづいて捲くし立てる。
「なにか怖い思いをしたんじゃないのか。葉月村にいられなくなるくらい、村と縁を切って全部忘れて、遠くでやり直さないと、生きていけなくなるくらい。一体なにがあったんだ」
「そんなの、お前に話してなにになるんだよ。切るぞ」
谷口の声が、か細く掠れた。携帯を握る僕の手に、力が篭る。
「待って。僕なら、呪いを止められるかもしれない!」
「呪いを……止める?」
通話を切ろうとしていた谷口が、思いとどまった。隣では相川が、真剣な顔で僕を見ている。僕は一旦息を置き、改めて言った。
「笹山と小野寺が言ってたんだ。僕は“村の外の人”だから、助けられるかもしれないんだって。具体的になにができるかはまだ分からないけど、谷口から詳しい話を聞けたら、僕になにかできるかもしれない」
「村の外の……」
谷口が僕の言葉を反芻する。
「そうか。日和は葉月村の生まれじゃないし、そこに住んでるわけでもないのか。だから、影響を受けないのか……」
なにか思うことがあったのか、ひとりごとのように呟く。そしてやがて、谷口は言った。
「
「ん?」
「俺が今、暮らしてる場所。電話で話すより直接会った方がいい。俺は絶対に葉月村には近づかないから、お前が来い」
僕は驚いて、しばらく声が出なかった。あれだけ拒絶されていたから、会うのはもう諦めていたのに、谷口の方から僕を呼ぶとは。僕は衝撃で携帯を落としそうになりながら、早口に返事した。
「分かった。いつ会える?」
「いつでもいい。早くしろ。着いたら連絡くれれば、島の船着場に行く」
谷口はつっけんどんにそう返した。僕のそわそわした様子で察したか、相川も目を剥いている。
電話が切れたあと、僕はそのまま携帯からインターネットに繋いで、谷口から聞いた地名を検索した。相川が畳に手をつく。
「谷口に会いに行くのか?」
「うん。潮鳴島ってとこにいるらしい」
その島は、三重県に属する小さな離島のひとつだった。ここからだと、最短でも七時間はかかる。相川が顔を顰めた。
「なんなんだよ、谷口の奴。あんなに拒絶しておいて、今度は来いって言うのか」
それから彼は、膝を抱いて丸くなった。
「それに日和、さっき、電話で『笹山と小野寺が』って言ってたよな。いつの間に小野寺と話したんだよ。あと“村の外の人”ってなに? 日和なら呪いを解けるって?」
「詳しいことはまだ僕にも分からない。でも、僕ならなんとかできるかもしれないらしい。谷口も、その可能性に賭けて僕と会う決断をしてくれた」
「マジかよ、お前」
相川は首を竦めて、眉間に皺を寄せた。
「呪いに向き合う気満々じゃねえか。倉田と森本と、もうやめようって決めただろ。俺は行かないからな」
「うん、僕ひとりで行く」
僕は壁の時計に目をやった。
「朝のバス、まだ出てないよな」
「まさか、今から行くのか?」
相川が素っ頓狂な声を出す。僕は時計を見つめて返した。
「朝のバスで麓の町まで行ければ、夕方までには島に着く。島で一泊して、呪いを解くためにこの村に戻る必要があるとしたら、また来る。そうじゃなければ東京に帰るよ」
僕はまとめた荷物を抱え、立ち上がった。相川は畳から僕を見上げ、数秒前と同じ台詞を繰り返した。
「マジかよ、お前」
相川は、畳に向かって顔を伏せた。
「俺は行かないからな。倉田と森本を不安にさせたくないから。お前は鈍感だから、あいつらの気持ちも分かんないんだな。もうどうなっても知らないからな」
「うん、ありがとう相川」
僕は相川にそう言い残して、世話になったこの家をあとにした。
*
一日三本しかないバスの朝の便に、ギリギリで間に合った。三本しかないのに、バスの中はがらんどうで、僕と運転手しかいない。
移動しながら、携帯で潮鳴島までの交通手段を確認する。山の麓の町に出たら、そこから電車で名古屋まで行く。それから高速バスに乗り換えて、港町まで運んでもらい、今度はそこから出る連絡船に乗る。あとは島の船着場で、谷口と合流する流れになる。
勢いで飛び出してしまったが、なかなか長旅になる。倉田にはなにも言わずに出てきてしまったし、相川の言うとおり、心配もさせてしまうだろう。
だが、立ち止まっている暇もない。この悲惨な事件の連鎖が遠子の呪いで、それを解く鍵が僕にあるのなら、一刻も早く動かなくてはならない。
三十分ほどバスに揺られ、山を下って市街地に出た。駅で下車して、電車に乗る。それから計七時間に及ぶ旅の果て、なんとか連絡船に乗りついた。潮鳴島に着く頃には、空に星が浮かび出していた。
僕を連れてきた船が去っていく。船は、一日二回だけ往来するらしい。移動だけでだいぶ疲れた僕は、船着場のボラードに凭れて休んでいた。波のさざめきと、カモメの声が聞こえる。船着場に並べられた漁船が、かすかにゆらゆら揺れている。浜辺には舟小屋や漁具小屋が、質素な佇まいでちんまりと身を寄せている。
潮鳴島は、一時間もあれば島を一周できるほどの小さな島だった。自然豊かな景色を背景に、小さな民家がぽつぽつと並んでいる。のどかな光景は、どことなく葉月村を連想させる。
ぼうっと潮風に当たっていると、若い男の声が耳に届いてきた。
「長旅ご苦労さん、日和」
振り返るとそこに、ラフなTシャツ姿の日焼けした青年が立っていた。しゃきっとした短髪に筋肉質な体格、幼い頃に記憶した、当時の面影が残っている。
「久しぶりだな、谷口」
「早くしろとは言ったけど、今日の今日で来るとはな。まあ、お前のそういうところ、嫌いじゃない」
谷口は冗談っぽく言って、力なく笑った。
子供の頃、僕は彼の威圧的な喋り方が大嫌いだった。遠子のような小さい女の子からすれば、大柄でガタイが良いだけでも萎縮するだろうに、怖がらせるような態度とあからさまな嫌がらせで彼女を追い詰めた。本音を言えば、今も彼は好きになれない。とはいえ遠子を助けられなかった僕に谷口を責める資格などないし、今回は僕の個人感情とは別の問題だ。
谷口は、防波堤に沿って歩き出した。
「悪いがちょっと、話しながら仕事の仕度に付き合ってくれ。すぐ終わるから」
僕は彼の後ろをついていく。筋肉質な逞しい背中なのに、どこか疲れていて、哀愁が感じられた。
「急に訪ねてきてごめん。予定、大丈夫だった?」
「おお。午後は比較的のんびりだから、余裕」
「なんの仕事してるの?」
「漁師。まだ見習い扱いだけどな。今から仕度に行くのも、朝の漁に備えて漁具の準備だ」
他愛のない話をしながら、島の外周を行く。
「谷口、思ったより元気そうで良かったよ。電話で声聞いたら、あの頃の元気で明るい谷口はどこ行っちゃったんだってくらい変わってたからさ」
「はは……そうだよ。今は落ち着いてるだけ。この島で広い海を眺めて、村を忘れてやり直そうって思ってるのに、時々、村のこと思い出してなにもかもが怖くなる。村から逃げたのに、終わらない」
ザ、と、谷口のビーチサンダルが砂利を蹴る。彼は顔だけ振り向いて、微笑んだ。
「だけど日和が『呪いを止める』って言ったから、目が覚めた。呪いから逃げ惑うんじゃない。解けばいいんだって。日和なら、解けるかもしれないんだって」
静かな夜の海に、彼の声がすんと吸い込まれる。
「終わりにするために、俺も逃げずに向き合うよ」
僕は思わず、歩みを止めた。子供の頃は大嫌いだった谷口だが、今の彼とは、協力できそうな気がする。僕はまた、一歩を踏み出した。
「うん。僕にできることがあるなら、なんでもする」
僕がそう言うと、谷口はふっと目を細めた。彼は前に向き直り、手をひらりと仰ぐ。
「当然だ。ま、漁の仕度しながらでも話してやるよ」
広い背中が、僕を導く。僕は背の高い谷口の後ろ頭を見上げ、問うた。
「村を出て行ったのは、漁師になりたかったから?」
「まさか。いろいろあってたまたま行き着いたのがこの島で、ここでいちばん俺に向いていそうな仕事が漁師だったってだけ。村を出たばかりの頃は、自分がなんの仕事したいかなんて、考える余裕すらなかった」
どうもやはり、逃げ出すように村を飛び出してきたみたいだ。防波堤に打ち付ける波の音が、鼓膜を擽る。
「鉄工所の職人のおじいちゃん、覚えてる?」
「……ん」
谷口が喉を微かに震わすだけの返事をする。僕はぽつぽつと続けた。
「元気そうだったよ。でも、谷口のこと忘れちゃってた。仲良しだったのにな」
「……そうか」
ため息をつくように、谷口はそう言った。でもそれは寂しげなものではなく、安堵のため息だった。
「良かった。おじいちゃん、俺との約束、ちゃんと覚えててくれたんだ」
「え?」
「『忘れてくれ』って、俺からお願いしたんだよ。たとえ誰かが俺を捜しにきても、始めから俺なんか知らないふりをしてくれって。そうすれば、そうすれば……」
谷口の声が、少しだけ掠れた。
「あの人を、巻き込まないで済むから」
含みのある言い方に、僕は息を呑んだ。谷口は僕が訊かずとも、分かっているといわんばかりに話し始めた。
「俺がなんで村を逃げたのか、気になってるんだろ。包み隠さず言う。村八分だよ」
はっきりと告げられたその言葉に、僕の肩は強ばった。カモメがきゃあきゃあと歌う。谷口は、短髪の頭を掻いて続ける。
「あの村の気味の悪い仲間意識のせいだよ。敵と認識されたら終わりだ。村じゅうから無視されて、俺は居場所を失った。通ってた中学は幸い村の外だったから、村の外には自由があるのを分かっていたけどな」
潮風が鼻につく。
「あの村にいたら、いつか殺される。だから俺は、家族で引っ越した。でも俺が元凶でどん底まで落ちたのを責められて、家族も決裂して……そうして俺は、俺のことを誰も知らないこの島で、ひとりで生きていく道を選んだ」
そうだったのか。だから職人のおじいちゃんに、自分のことを忘れるよう、約束したのだ。仲が良かったというだけでおじいちゃんまで仲間はずれにされてしまわないように。彼がこの先も、あの村で穏やかに暮らしていけるように。
職人のおじいちゃんが、谷口の居場所を訊いても素知らぬ顔をしていたのは、認知症でも物忘れでもなくて、谷口との約束を覚えていたからこそだったのだ。
僕らの歩く脇には、漁具小屋が整然と並んでいる。古い木で組まれた外壁は、黒っぽくくすんで見えた。
「でも、村八分って……谷口、そんなに村の人から嫌われるようなことしたのか?」
やんちゃ坊主だったとはいえ、村じゅうを敵に回すほどの事件があったとは、相川たちからも聞いていない。谷口は僕の一歩先で、遮るものがない広い空を見上げた。
「宮崎のバカのせいだ」
「宮崎の?」
僕が訊き返すと、谷口は並ぶ小屋の前で立ち止まった。そのうちのひとつの扉に、ポケットから出した鍵を差し込む。
「ここ、俺が使わせてもらってる漁具小屋。漁師を引退した人からそのまま受け継いだんだ。ちょっと中で待っててくれないか」
「へえ。お邪魔します」
谷口に促されるまま、小屋に入ってみる。中は暗く、なにも見えないが、物が雑然としている気配は感じる。先に入った谷口が、灯りをほわっとつけた。
「電気がなくてごめんな。これ、集魚灯」
下から照らされた谷口の顔と共に、小屋内の全貌が浮かび上がる。壁一面の棚をロープや網や浮子、蛸壺、銛なんかが埋め尽くし、狭い小屋をもっと狭くしていた。
谷口はロープを手に取り、腕に抱えてなにやら作業をはじめた。
「日和、お前電話で『呪い』って言ったよな。お前は呪いの件、どこまで知ってる?」
徐に問われ、僕は小屋の中を見回しながら答えた。
「宮崎の家が火事になって、一家全員亡くなったのは知ってる。それと笹山が精神的に不安定になって……彼女も、亡くなった」
「笹山も?」
「うん。僕と相川と倉田がお見舞いに行ったら、暴走して、道路に飛び出して……」
僕は自身のつま先に目を落とし、続けた。
「笹山は、村に戻りたくないって怯えてた。暴走した原因はどうも、僕が僕だけじゃなく相川と倉田を連れてきたせいみたい。僕だけなら、“村の外の人” だから会ってもいいと考えていたようだった。引きこもりの小野寺も、家の中にいれば安全だから、って篭ってる。でも僕だけは、会ってもらえた」
笹山も小野寺も共通して、なにかから逃げていて、“村の外の人”は例外と見ていた。
「それで森本が、これは遠子の呪いだって言ってたんだ」
「トロ子の?」
谷口がこちらに顔を向ける。不愉快なあだ名を出され、僕はむっと気色ばんだ。谷口が顔を背けて訂正する。
「はいはい、遠子、だったな」
「ともかく僕は、これらの情報を整理した。遠子の呪いは、村にいると宮崎みたいに残酷な死に方をする。たとえ村の外へ避難しても、村の出身の人が近づくと、呪いを運んでしまう。そういうことなのかな」
谷口は黙って、ロープを手繰り寄せている。僕はまた、棚の漁具を眺めはじめた。
「最初は、当時、遠子をいじめてた奴が呪われてるんだと考えた。だから村に住んでいても、遠子と仲が良かった相川や、直接は関与してない森本は無事。でもそうだとすると、森本と同じく殆どなにもしていなかった小野寺はなんだろう。あいつも僕が知らないところで遠子をいじめてたのかな」
話しつつ、僕ははたと言葉を止めた。谷口の背中を一瞥し、付け足す。
「いや、先生含めてクラス全員がいじめてたといっていいんだけどさ。だれも遠子を助けられなかったんだから」
そういう意味では、僕も谷口と変わらない。むしろ、遠子の告白をあしらった僕は、とどめを刺したようなものだ。ふいに、谷口が作業がてらに言った。
「そんなややこしい話じゃない。単純に、俺はあいつにとって不都合な存在だった、それだけだ」
ずる、と、ロープが木の床を引きずる音がする。
「日和、お前はひとつ大きな勘違いをしてる」
え、と僕が訊き返す前に、谷口が言う。
「でも呪いを封じるのにお前の協力が必要不可欠というのは合ってる」
「なにをしたらいい?」
諸々をすっ飛ばし、率直に訊ねる。谷口はこちらを振り向かず、ロープを引いていた。
「簡単だ。ある人物を消す。それだけ」
「は?」
僕は耳を疑った。
「人物を消す? 人を殺せってこと?」
「落ち着け。よく周りを見ろ」
どういう意味だ。困惑する僕に、谷口は目だけ向けていた。
「誰を消すべきか、分かるか? ヒントは、俺がこの漁具小屋にお前を連れてきたことだ」
「小屋……?」
僕はごちゃついた漁具小屋の中を見回した。棚に詰め込まれるコンテナや漁具、床にまとめられた網が、僕を四方八方から囲んでいる。灯りの中でくっきりとした影を落としているそれらに視線を流していると、やがて谷口が言った。
「お前だよ、日和」
振り向く前に、僕の首筋にぐっと、ロープが食い込んだ。咄嗟に両手でロープを掻いたが、喉にめり込んだ太いロープは外れない。
僕の背後で、谷口がロープを強く締め上げる。
「ガキの頃から変わらない、鈍感で情に流されやすいバカなお前で助かったよ。話を聞いてりゃ、的外れもいいとこだしよ。本当、能天気で腹が立つ」
「く、だ、誰か」
ギリギリと首を締め付けるロープに、爪を立てる。呼吸が苦しくなって、意識が朦朧としてきた。短く悲鳴を上げる僕の耳元で、谷口が震えた声で笑う。
「助けを呼んだって無駄だ。この時間にこんな浜辺に人なんか来ない。残念だったな、お前は明日の朝には海の藻屑だよ」
酸素が足りない。眩暈がする。谷口の声が、聞こえているようで頭に入らない。
「お前さえいなければ、呪いは起こらなかった。お前が消えれば全てが終わる」
意味が分からない。なんで、どうして僕なんだ。どうして呪いを終わらせるのに、僕が死なないといけないんだ。
ロープ抵抗する腕に、力が入らない。時間の感覚がなくなって、なにも考えられなくなっていく。だめだ。僕は覚悟を決めて、目を瞑った。
遠のいていく意識の中で、声が聞こえた気がした。
「ああああああああ!!」
鼓膜が破れそうな叫び声。ゴッ、という鈍い衝撃音。
次の瞬間、喉の苦しさがふっと軽くなった。力の抜けた僕の体は、床に崩れ落ちた。腐った木の床に頬を張り付けて、ぜいぜいと荒く呼吸する。まだ脳に酸素が足りなくて、視界に星が飛んでいる。息ができる。どうやら生きているようだ。
まだ焦点が定まらない目に、集魚灯の光が眩しい。徐々に頭に血が巡ってきて、僕は頭を手で支えて、やっと視力を取り戻した。
そして眼前に広がっていた光景に、絶句した。
谷口が僕の体に覆い被さって突っ伏している。しかもその頭は大きくえぐれて、頭蓋骨が覗く傷口から血を滴らせていた。
「えっ……」
僕が上体だけを起こすと、谷口の体はずるりと転げて、床に仰向けになった。僕の服は谷口の血で染め上げられ、床についた手も、ぬるっと滑る。
凍り付いていると、頭上から聞き慣れた声が降ってきた。
「日和……」
そこには、血のついた石の蛸壺を両手で抱えた相川が立っていた。
なにが起こったのだろう。どうしてここに、相川がいるのだろう。目の前の相川は、脚を震えさせながら真っ直ぐに僕を見ている。泣きそうな顔で息を荒くする相川に、僕は呆然とした。
それからハッと我に返って、倒れている谷口に目をやる。
「お前……谷口は!?」
「分からない」
相川が掠れた声を出した。僕は慌てて、寝そべる谷口の肩を叩く。
「おい、谷口、谷口」
ぴくりと、谷口の指が動いた。良かった、生きている。ほっと胸を撫で下ろしていると、相川がらしくない静かな声を発した。
「日和、ちょっとどいて」
僕は目を白黒させつつも、素直に従って、座ったまま後ずさりした。途端に相川が、蛸壺を振り上げる。
「うわあああ!」
絶叫と共に振り下ろされた蛸壺の角が、谷口の顔面に直撃した。血飛沫が僕の鼻先を濡らす。相川を取り押さえないと、と頭では思っているのに、動けない。
「ちょ、おい! よせよ……!」
「だめだ、ちゃんと殺さないと。ちゃんと殺さないと!」
相川の腕が、もう一度蛸壺を振り上げて、動かない谷口に力いっぱい叩きつける。何度も、何度もだ。返り血が相川の頬に飛ぶ。止めなきゃ。と思うのに、立てない。
「あいか……わ」
僕はなんとか床を這って、相川の足首を掴んだ。ようやく、相川が蛸壺をを捨てる。血走った目で息を荒くする相川を見上げ、僕は掠れた声を出した。
「なんてこと……したんだ」
なにも、殺さなくても良かったはすなのに。 相川は足元の僕にゆっくりと視線を動かした。
「日和」
震える声で呼んで、ふっと口角を吊り上げる。
「お前……鈍すぎだよ」
相川は崩れ落ちるようにしゃがんで、僕と目線の高さをを揃えた。
「あとをつけられてても、狙われてても気づけない、そのくらい鈍感なんだよ、お前は」
ぼろ、と、相川の目から涙が零れた。
「そんな鈍感な奴だけど、俺にとっては、いちばん大事な友達だから」
「相川……」
「だから……死んじゃだめなんだ」
俯いて嗚咽を洩らす相川に、僕はどうしてやればいいのか分からなかった。
しばらく、相川は床の谷口を見つめていた。集魚灯に照らされる横顔は、前髪で翳っている。彼は訥々と、震える声を搾り出した。
「日和がこの島に出かけたの、追わないつもりだった。でもやっぱ、放っておけなくて。バス待ってられないから、親父の軽トラ借りて麓の町まで出て、追いかけて、連絡船はもう出ないって聞いたけど、港の船乗りに頼んで個人の船出してもらって……」
そして島に辿り着き、小屋から洩れていた僕らの声で、ここを見つけたという。
「ごめ……俺、日和が殺されるかもって思ったら、止まんなくて……」
頭部が潰れた谷口を前に、相川が言う。
「死にたい」
すがるような目が、僕に向いた。
「殺して」
「僕が? 相川を?」
「じゃないと、繰り返すかもしれない。人を殺したんだ、俺の中に『殺す』って選択肢ができてしまった」
気が動転している。彼は裏返った声で訴えかけてきた。
「一度でも人を殺したら、それ以降は殺しに抵抗がなくなっていくんだって、なにかで読んだ。二人目はもう『初めてじゃない』って余裕ができてくるし、三人目なんか、当然のように殺せるようになる」
相川は怯えた目で血塗れた手を震わす。僕は彼の腕を掴んだ。
「お前はそんな奴じゃない。自首しよう。僕を助けるために仕方がなくやったんだ、情状酌量の余地はある」
僕の掌についた血が、相川の腕を赤く塗る。ガタガタ震えながら、相川は首を横に振った。
「や……やだ、だめだ、俺は人殺しだぞ! もう俺の人生は終わった。たとえ刑罰が軽くなったとしても、刑期を終えたとしても、人を殺した事実は変わらない!」
「静かにしろ!」
叫ぶ相川に、僕は短く一喝した。相川がびくっと縮こまり、口を結ぶ。僕は相川の腕を掴む手に、ぐっと力を込めた。
「分かった。とにかく、着替えよう」
「え」
「このままじゃまずい。誰かに見られたらおしまいだ。谷口は……海に捨てればいい」
「日和?」
僕はよろりと立ち上がって、小屋の収納された漁具を物色しはじめた。
「ブルーシートに包んで運んで、海流が荒い辺りに捨てれば死体も上がらないだろ。この小屋の鍵を閉めて、鍵は死体と一緒に捨てれば、痕跡の発見もある程度は遅らせられる。谷口自身も僕を殺すつもりだったんだ、人を殺してもばれないよう、根回しは済んでるはず」
「お前……それ……」
相川が愕然として、目を見開いた。
隠蔽する。 最低なのは承知だが、決めた。
相川も立ち上がり、喚いた。
「それはだめだ、ばれたら日和まで罪になる!」
「うるさいな、お前に貸しを作っとくのが嫌だから言ってんだよ」
バカの頭を平手で叩く。ぺしっと良い音がした。
「あ痛っ!」
「相川が命の恩人とか、なんか気持ち悪いからな。ていうか、僕が今お前を殺す方が僕の罪が重くなるだろ」
僕は相川の両肩に、手を置いた。
「いいか、お前は相川修平だ。バカでお調子者でなにも考えていなそうな、相川だ」
相川は黙って俺を見ていた。
「人を殺したのは事実だ。気にするなとは言えない。だから演じろ、バカの相川を」
「う……分かった」
相川がこくんと頷いた。
「よし、口裏合わせろよ。怪しい素振りはするな、完全に、いつもどおりの相川でいてくれよ」
ごめん、谷口。僕を殺そうとしたその男は、大柄な亡骸を横たわらせていた。
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