第三幕 Le Opere Nella Mostra, o Nel Tribunale 《展覧会、または法廷の絵》

Episodio 5 Chi Ha La Spada? 《誰が剣を取るか?》

 謁見の間から中庭を挟んで反対側に、皇子の自室――ほとんど書斎も兼ね備えていた――がある。皇子は芸術に対しかなりの関心を抱いているが、それがこの部屋の設えにもはっきりと表れている。


 東の海運国アティナスから買い取った大理石の彫刻、テルク帝国特産の幾何学模様を呈した綴織タピスリー、細密な絵が描かれた絹の国ヤムタルの大皿、そしてエーテル王国の名だたる親方たちが制作した大小さまざまの絵画。この部屋ひとつがちょっとした宝物庫になる程の、芸術作品の数々が収められている。


 その小宝物庫に、七日前に運び込まれた二十枚のカンヴァスが、部屋の周囲をぐるりと囲んで立ち並んでいる。かろうじて両手で抱えられる程度のカンヴァスが二十枚もあれば、それだけでも十分壮観な眺めだ。


 ふつうであれば、ゆっくりと時間をかけて堪能することだろう――だが今その絵画の壁の内側にいるのは、これから御抱え画家ピットーリを本格的に決定しなければならないという任を背負った、皇子とジョルジュ、それから十人の学芸係だった。重要な任務であるだけに、皆腕を組んだり顎をさすったりして、眉間にしわを寄せている。


 最終試験はいたって滞りなく進んだ。試験会場の重圧からして、一人くらいは途中で退室する者が出てくる可能性はあるだろう、とわたしたちは言っていたのだが、それも結局は杞憂に終わった。流石、最終試験に選抜されるだけの実力を具えた画家が揃っていたということだろう。


 ロレンツォは相変わらず、試験時間のほとんどを彼の独壇場にしていた。茶色に塗りこめたカンヴァスに、尖筆で数本の線を引くと、その次に白色で花びらとか白磁の花瓶とかをかたどった――それも圧倒的な速さで。色を変え、筆を変えながらみるみるうちに課題の静物をカンヴァス上に描き上げると、最後にあの黒色で、周りを沈み込ませにかかった。


 黒は、あらゆる色の中で最も強く、最も重い色だ。置き方を少しでも間違えると、その黒色に画面の印象全てが引きずり込まれてしまう。だがロレンツォは、大きい丸筆をためらいもなくカンヴァスに走らせた。中央を占める静物に被ることなく、その周囲のみを正確に画面の奥へ奥へと誘うさまは、まさに神がかりとしか言いようがなかった。


 あまりにも筆の運びが早いので、その過程は遠目からすると、粗雑に描いているようにしか見えないという者もいるだろう――だが、近くでそのカンヴァスを見れば、その筆致への計算高い気配りが明らかになる。花のおしべとかめしべ、果実の細い筋、或いは葉脈の陰影が面相筆で細やかに描き込まれる一方で、花瓶や大きな花びらといった大きい要素は、大きい筆で軽やかに描く。


 筆痕を見せない伝統的な手法を踏襲しつつ、彼独特の小気味よい筆致の強弱が画面内にうねりをなすことで、彼の静物画は見る者をいつまでも飽きさせない、そんな不思議な印象をわたしたちに与えた。


 ロレンツォの絵画は二十枚の作品の中でもっとも異彩を放っていた――それだけではなく、見る者を不思議と絵の世界に引きずり込むような、ずば抜けて強い引力のようなものがあった。精緻な筆遣いと鮮やかな色彩が暗闇の奥から放つ光は、他のどの絵画にもまして強烈だ。一次、二次試験の作品ではそれほどなかった気迫が急激に増大し、われわれを飲み込もうとしている――きっと、あの夜の会話が彼に限界を超えさせたのか。


 そうではない。この程度が彼の限界ではないはずだ。単に技法全てに一段の磨きがかかったに過ぎないとすると……今後ロレンツォが生み出す作品から放たれる印象を想像すると、背筋が薄ら寒い。


 世話人だったからという贔屓目はなしに、彼は御抱え画家の位置に相応しい、いや、そこにいなければならないと考えた。彼の強烈な手法は、王宮だけでなく、王都全域に新たな芸術の風を送り込んでくれるに違いない、という確信めいたものをわたしは持っていたのだ。


 しかし問題は、ロレンツォが仮にその地位を得たとして、誰が彼とともに王宮に仕えるのかということだ。彼の手法は斬新で、だから彼は王国全土の画家――のみならず彫刻家や金細工師、陶工など、あらゆる芸術家たちに刺激を与える存在になりうるだろう。そうなったとき、他の画家たちはどうなるだろうか? 


 わたしはロレンツォに大いなる期待を抱きつつも、ある懸念を拭えないでいた――「この画家はロレンツォに比べると古臭いんだよ」「ロレンツォに比べて真に迫るものがないよな」といった評価が主流になると、この国の絵画の基準が。多くの画家が次々に彼の手法を学び、採り入れ始めると、ロムルスの絵画が――ひいてはエートル王国の絵画が、ロレンツォに学んだ絵画になってしまう。それは皇子が目指す、「数多の芸術家たちの切磋琢磨、相異なる芸術の百花繚乱」とは正反対の芸術の在り方だ。


 そうならないようにするためには、伝統的な手法をとりつつ、ロレンツォの絵画がもつ斬新さに対抗できるだけの画面を構成できるだけの画家を選出しなければならない。唯一それに見合うとすれば、伝統的な線描を使いながらも、柔かな光で空間を包み込み、見る者を優しく照らす フェリーぺと、あとは二人いるだろうか……。


 思った以上に審査が難航しそうだな、と同じように難しい顔をしているのは、皇子ヨシュアである。数々の芸術作品を見、商人と議論し品評してきた彼ですら、今日は作品の評価の歯切れが悪い。なにせ一日の午後をまるまる費やして作品をあれこれ議論していながら、すでに七日が経っている。学芸係にも、画学院長のジョルジュにも、ヨシュアにも、さすがに疲れの色が顔に浮かんでいる。


 その時、渦巻いた空気に楔を打ち込むように、ジョルジュが口を挟んだ。

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