第一幕 Il Regno, o La Sua Storia Magica 《王国、またはその魔法の歴史》

Episodio 1 La Casa dell’Udienza 《謁見の間》

 わたしは赤いローブのぐあいを整え、暖炉に扉飛び粉プードル・ポルタを撒くと、青色の炎の中に飛び込んだ。飛び込んだ炎から滑り出た先に、深緑と群青色の鮮烈な幾何学模様モザイクが目に飛び込み、一瞬視界をくらませる。わたしと同じ格好の男女が両壁の暖炉から三三五五姿を現し、今年の天候がどうだとか、麦の収穫量が減りそうだとか、娘の嫁ぎ先がどうだとか言い合う声が、革靴の音と共に天井の高い廊下に反響する。



 五人の魔法師が王国の出発と共に百年の歳月をかけて建てたと伝えられている、エートル王国の大聖王宮カステル・サンティ・マッジョーレ


 エートル王国と聞いて、訪れたことのない者はいるにしても、その名を知らぬ者は世に存在しないであろう。大陸を東西に横断する交易路の出発点――或いは終着点であり、世の理をなす魔法の源泉でもある。北の山脈モンテ・アルピより流れ落ちるアプニーノ川が、アルナス、タヴィラという二つの河川に分岐する位置に築かれた王都ロムルスには古来精霊アニモたちが集い、彼らの導きに従って優秀な魔法師が育っていった。


 彼らは精霊と共に森を拓き、荒野を越え、河を渡って、エートル王国を築き上げた。この国の民は非常に強かで、かつ野心的だったので、魔法師の次は強き意思を持つ商人が中心となって交易路を伸ばしていった。その交易路は今や、大陸の東端を挟んだ島国の絹の国ヤムタルから、西端のガリリア王国まで、馬より速い魔法師の箒で太陽の出ている間じゅう走ってなお、横断に二週間かかるとさえ言われる長さを誇っている。


 経済と文化と、王国の名。名実ともに栄華を極めた国が、確かに存在している。


 最新の統計帳簿を参照すると、今や魔法師とまではいかずとも、魔法を操る民は人口の半数程度にまで達しているらしい。魔法はこの国の廻転になくてはならぬ存在となり――食事の準備から、傷薬の生成、庭球技パローネ、住居の建築にいたるまで――規模の大小はあれど、民の生活を支えている。


 一方で魔法を操ることのできない者の存在を忘れてはならない。わたしたちのような王室に仕える者は、国を統べる立場として、多くの民の幸福に気を配る必要がある――魔法を使えるか否かで、民の暮らしに不平等があってはならない。その意味で、先王アビアタルは随分と心を砕いていた。かねて王室公認組合の一つであった職人組合を、自由組合に加えたのである。


 王室公認組合の多くは、農業組合、漁業組合など、魔法を使えぬ者達の組合。対する自由組合は、占星学組合、医師組合など、魔法を使う者達の組合だった。それだけに、職人組合が自由組合に組み込まれるのは当然、異例のことだった。さらに先王は、その際にある条件を加えた。



 ――原則、組合員は使こと。



 かの老人は、芸術に並々ならぬ関心を抱いていた。いや、その可能性を信じていたという方が正しいだろう。それが美しい見た目を誇るというだけでなく、それが、使、魔法に勝るとも劣らない技量の結晶であるという点において。


 そしてアビアタルの独特の感性は、その子サムエル王を飛ばして、孫に引き継がれるかたちで発揮されることとなった。


 王宮学芸係のわたしは、ある特別な任を負って、休日にも関わらず王宮に――正確には、その離宮、葵離宮パラッツォ・マルヴァに足を運んでいた。その名の通り、尖塔、正門など建物の一部が葵色の石材で装飾されている。この離宮を捧げられたこの国のある皇子の、アビアタル先王から受け継いだ芸術への関心が、これから結実しようとしていた。


 ローブから取り出した杖を軽く振ると、謁見の間の扉が開く。メンバーはほとんど揃いつつあった。私が席についてしばらくすると、扉から二人の老人を控えた少年が入って来る。アビアタル先王の孫にして、サムエル五世の次男、葵離宮の城主。ヨシュア皇子である。



「――面を上げよ」


 臙脂色の玉座についたヨシュアが、落ち着き払ったよく通る声で言う。二年半前に成人の儀を終え、幼名レビから改名した皇子は現在十七歳。父である国王サムエル五世に似ず、身体が弱く武芸は専ら不得意である一方、兄弟の中では随一の切れ者の彼は、魔術にも長けていながら「純粋な人の手」が生み出すものにも強い関心を抱いていた。おそらく彼の祖父であるアビアタル先王の影響が強いのだろうが、そんな「軟弱者の」皇子に対し、父サムエル五世は疎ましさを拭いきれないらしい。


 そういったこともあり、皇子は成人してから王宮から少し離れた専用の離宮で比較的悠々自適な生活を送っていた。わたしを含めた王宮学芸係と宝物庫の品々を品評したり、異国から訪れる骨董屋と彫刻の話をしたりしている時間が長い。もっとも、仕事が保障されている上に皇子の慧眼には常々驚かされているので、わたしもそのような生活になんらの不満も抱いていなかった。



 ヨシュアが御抱え画家ピットーリの制度を提案してきたのは、昨年の秋のことである。王国を南東に進んだところに位置するテルク帝国からの画商を見送った後、皇子はわたしたちを呼び寄せた。机に羊皮紙が散らばっているあたり、内心興奮冷めやらぬ様子なのだろうが、皇子はあくまで平静を装い、自室に集まったわたしたちを見て言った。


「テルク帝国の王室には直属のモザイク職人がいるという話を聞いた。我々の王宮でも直属の芸術家を雇えないものだろうか」


「王室直属の芸術家、でございますか?」


 豆鉄砲をくらった鳩のようにぽかんとしてわたしは訊ねた。


「そうだ。思えばロムルスは『天地開闢以来都であり続けた世界の中心』――建国神話の語りに劣らず、実際にこの街は東西の交易路の終着点だ。それはお前たちもよく知っているはず。しかし歴史がいくら長かろうと、文化はどうだ。たしかにおじい様は――アビアタル王はよく芸術を好み、王室の財産をしばしばロムルスの画家たちに投資してくれていた。簡素になり過ぎないこの王宮の美しさと、街中のよき雰囲気は正にその結実ともいえよう」


「ええ、まさにその通りです」


 うなずくわたしの解答に満足げな様子で、ヨシュアは話を続けた。


「だが今の国王はどうだ――父上は巧みな武術と強さ以外の何物にも興味を抱かない。まさに武人たるお方だ」


「わたくしが申し上げるのもおかしな話ではございますが」と、同じく学芸係で最年長のヨセフが静かに進言する。


「サムエル王の質実剛健な性格で、この国の財政が持ち直したのも事実でございます……もっとも、先王のご治世におきましてボルネーを襲った旱魃かんばつ、それに伴う飢饉と財政難、そして蛮勇王の侵攻は不運としか申し上げようがございませんが、それを考慮してもなお先王は多少気の大きなお方でありましたゆえ」


 なるほどヨセフの進言は否定しようがないものだった。


 いくら魔法が世界に存在するとしても、それが大規模な飢饉や旱魃に太刀打ちできるわけではない。先だっての飢饉で確かに彼らは活躍した。が、国中の国家魔法師を総動員して、ようやく被害を受けた水田の五分の一を涵養することができたのだった。


 加えて、異民族の侵攻を撃退するために急きょ編成された軍の補給のためにも、食糧は確保されている必要があった。したがって、エートル全土で穀物を中心に食料価格が高騰。いたる街から届く困窮の声に対応すべく、王家は一時的に麦と米を買い上げ、それを民に再分配するほかなかった。


 王家に協力的な貴族のいくつかの家が買い上げを担ってはくれたものの、この出費が王家にとってかなりの痛手だったことは間違いない。


 そしてアビアタル先王の死後王位を継いだサムエル王は、辣腕の宰相と共に逼迫した国の財政の立て直しに着手。貴族、農民、市民にそれぞれ応じた税を適用して国家の収入を増やし、さらにボルネーとその南の港町シェスリィに要請して工芸品の生産を拡大させ、財政難で失職した市民に雇用を開くことに成功したのである。


「うむ……それはわかっている」とヨシュアが言う。思考を巡らせるときに頤に親指を当てるのは、彼の癖であった。


「されどロムルスは先程も申したように、あらゆる国々の人と物が行きつく場所。財政が持ち直した今であればこそ、芸術に投資するべきであろう。既に先王の時代に活躍した画家たちは今や立派な工房主になっているはず。ここで渋れば、後々の文化が廃れてしまうこともあり得る。それだけは避けたいのだ」


「しかし皇子、なぜわざわざ御抱え画家という位階を設けるのです? 単に芸術を興すのであれば、現状の画学院アカデミアを拡大すればよいかとも思うのですが」と口を挟んだのは、アビアタル王の頃から画学院長を務めているジョルジュである。


 白髪が目立ってきた初老の男のことばは、恐らく彼の野心からではなく、単純な疑問からだろう。もっとも、年一回の総覧会でしきりに画学院生の作品を称讃し、工房の徒弟たちが作る作品に対して辛口になるという彼のあからさまな態度を知っている者は、野心故の発言であると思っただろうが。


 我々の勘繰りを他所に、ヨシュアは口を開いた。


「確かにその通りだ、ジョルジュ。しかしこれには二つの訳がある。一つはそなたの画学院、こちらも重要だが、それだけでもいけない。画学院には画学院の目指す芸術の姿がある。だが王都に――いや、王国に存在する工房にはその工房が目指す芸術の姿があるのだ。数多の芸術家たちの切磋琢磨、相異なる芸術の百花繚乱。これこそが我が国にあるべき芸術だと私は思っている」


 王国内の有力な工房から集められた芸術の精鋭たち、その凝縮した空間としての王宮――それが王都を中心に新たな芸術の波を起こすだろうということだった。ジョルジュは些か不満げであったが、それは間違いないことです、と理解を示していたのは、やはり彼も一介の画家であるがゆえだろう。


 ところでもう一つの理由はどのようなものです、とわたしは尋ねた。ヨシュアの頬がわずかに赤らんだのは、窓から差し込む夕日のせいだけではなかった。


「一度は私も持ってみたかったのだ……直属の臣下というものをな」


 やはり彼も、王家とは言えひとりの少年なのであった。

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